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カデンツァ|音楽の未来って(1)〜希望の灯火〜|丘山万里子

音楽の未来って (1) 〜希望の灯火〜
“Where does Music come from? What is Music? Where is Music going?”
“ D’où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?”
(1)Candle of hope

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 渡辺力/写真提供:栗友会(合唱劇)

謹賀新年。
オリンピック・パラリンピックで沸くこの夏、宴のあとに何が残るだろう。

知人が一昨年の春『さよなら未来』(若林恵著/岩波書店)を出したので、早速買って読んだのだが、テクノロジー最前線の人々に会いまくって得たIT関連横文字多数知見に頭がついてゆけず、でも「さよなら未来」という句が気になってずっと傍に置いている。
「音楽の未来」(地球の未来)を考えながら年末にまた手に取り、あ、そうか、と思った。最終章の一文をしげしげ眺めて。

イリイチは晩年に「未来」などない、あるのは「希望」だけだって言い続けてい
るんだけど、〜〜未来に期待をして、予測をして、計画をしていくことで、ヒト
の人生も、開発すべき「資源」や「材」とされてしまうことにイリイチは終生抗
い続けたんだよ。

この書でもう一つ、私が傍線を引いたキーワードは「最適化されてはいけない」で、今日の音楽状況に向き合うに、自分も「最適化」に引きずられそうだという自覚ゆえ。データ解析から「最適解」を引き出し、そこに自身を「最適化」してゆく思考への警鐘だ。この種の思考が掲げる「未来」、そういう「未来」とはおさらばしよう。なるほど、「さよなら未来」とはそういうことか、と腑に落とした(落ちた、とは言わない)わけだ。

さて、この稿は『音楽の未来って(1)』とする。折に触れ書くつもりだが、どんな風になってゆくかは私にもわからない。
クラシック音楽の先細りは今に始まったわけではないが、昨今、先端テクノロジーとのコラボレーションが話題を集める中、本誌 Back Stageで発信されるそれぞれの音楽現場でのご努力、すなわち独自企画、若手新人育成、青少年プログラム、アウトリーチなどの地道な取り組みに私はやはり未来を見たい。そこにも多々問題があるのも事実だが(それについてはまた改めて)。
2016年年頭カデンツァは『希望の光』だったが、3年後も変わらぬ「希望」をまず述べることから「音楽の未来って」を始めたい。

知人の高2お嬢さんがブラバンに入部、定期演奏会に誘われ、今時の高校生ってどんなもんじゃい、と出かけたのは昨夏。市民ホールに行くローカル線プラットフォームに坊主頭が群れている。そうか、ブラバンは高校野球の応援隊であったな、と気づき、青草(臭ではない)茂れるむんむんに当てられるのはたまらんと、別車両に乗車。改札なしの駅からぞろぞろホール到着、先般の坊主頭、かぶりつき席にずらり並ぶ。壮観だ。
『A列車で行こう』とかクラシカル、『明日への手紙』とかセンチメンタルなど、へえ、と思いつつ隊列組んで動く吹奏(ドリル)に感嘆であったが、中でも盛り上がったのがもちろん『野球応援メドレー』であった。
初めてそれを目撃した私は興奮しまくった。楽隊にのって一斉に立ち上がり赤いメガホン打ち振り歌い出した前列野球部男子軍団の元気発剌なんてもんじゃない、飛び上がり、肩を組み、叫び吠え、青春の嵐渦巻く熱量と、ステージで頬ふくらませ太鼓たたく楽隊のエール交換(灼熱スタジアム、汗だく衣装で吹き鳴らすみんな!いつも応援ありがとね&勝っても負けても定演きてくれ一緒に踊り歌ってくれて最高!ありがとね)がただただ熱く麗しく、私は涙目で「これが青春、これが音楽だあ!」と頭どころか全身に血昇り叫んだのであった。

まずもってこの子たちはこの歓喜を決して忘れまい、この燃焼を忘れまい、ここに鳴っている音とここに集っている仲間たち、老若男女(親兄弟友人その他)一緒くたのこの笑い泣きは一生胸に刻まれる!演奏の上手い下手でなく、ピュアそのものの「音楽の喜び」。
これだ、これが必ずはじまりにあり、おわりにあるもの。
高2女子は楽譜も読めない、ジャニーズ『嵐』命のそこらの普通の女の子、クラブ紹介でなんとなく選んだブラバンでトロンボーンも他にやる人がいなかったからとか。でも、合宿ありステージありスタジアムあり、さらには街中お祭り盛り上げ隊、山あり谷ありの青春日々を音楽と一緒に過ごしているのは間違いなく、青少年向けコンサートなんかに来なくても十分音楽しているのだ。
彼彼女が大人になってクラシック愛好家になる可能性はさして大きくあるまい(オーケストラの管打楽器、ステージ裏方その他の方々はブラバン出身が多いらしいが)。それが何か?
音高音大エリート生たちは彼らの部活に一度混ぜてもらい、音楽の弾ける喜びを全身体感するといい。上手い下手以外のものが確実にそこにあること、幼少期からの音感教育だのコンクールだのの基準・競争以外の、音楽の本当の「価値・意味」を知るだろう。
まずはそこからだ。
すなわち、ブラバンにこそ「音楽の未来」への「希望」がある、と思った次第(いわゆる吹奏楽コンクール路線とこれは別の話)。

昨年末の聖夜、足を運んだのは慶応義塾大学混声合唱団楽友会の定演。気になりながら聴けなかった寺嶋陸也の合唱劇『賢治と嘉内〜銀河鉄道の二人』を上演するという。中野サンプラザに行き、どうも様子が違うと慌ててチラシを確認、寒中大汗で中野ゼロへと急いだのであった。
さすが、いくぶんハイソな若人だらけの満席。これを見たらクラシックの集客に奮闘している方々はよだれが出るだろう。学生さんで創作合唱劇とは、時代は変わるものだ(私は高校で合唱部、『水のいのち』とか歌ってた)。どれどれ、なんて上から目線はたちまち吹っ飛んだ。
前半の終曲、三善晃『地球へのバラード』の<私が歌う理由>、その終節。

私が歌うわけは
一滴の涙
くやしさといらだちの
一滴の涙

彼彼女らはどう「くやしさ」と「いらだち」を歌ったか。
言葉に全身全霊の想いを込めて、生(なま)の自分自身の感情・感覚をのせて、それがずしりと重く、強く、鋭く伝わり、私は思わず胸を衝かれた。そうなんだ、君たちにもあるんだね、くやしい気持ち、いらだつ気持ちが。ずぶ濡れで死んでゆく子猫、根を絶たれ枯れてゆくケヤキ、目をみはり立ちすくむ子ども、目をそむけうずくまる男が、見えるんだね。
こんな風に、言葉に自分の想いをのせる歌声を、なんて久しぶりに聴いたろう。
上手いとか下手とかでなく、まっすぐな心のつまった声。

『賢治と嘉内』は、賢治の生涯を作品とともに辿る寺嶋の合唱劇構想の第1部で、初演は2012年。銀河鉄道の旅に賢治とその親友嘉内の青春期(盛岡高等農林)を重ねた作品で、脚本・演出はしままなぶ。横山琢哉指揮、クラリネット草刈麻紀、ピアノ寺嶋。
賢治にジョバンニ、嘉内にカムパネルラが映り込んでいるが、賢治・嘉内がぞれぞれ思い描く幸せは異なり、やがて別れを迎える。音楽(合唱・ソロなど)にはすべて二人の短歌、文語詩が使われ、これにセリフが加わるが(セリフは正直不明瞭で聴き取りにくく背後の客席でもそんな声を聞いたが、そんなことはどうでもよろしい)、圧倒的だったのはここでもやはり合唱そのもの、歌声の力だ。合唱は賢治・ジョバンニ、嘉内・カムパネルラの2群に分かれ、ソロの賢治・嘉内は男子学生、ジョバンニ・カムパネルラは女子学生が演じ歌う。そうして全員が手に持つ灯りとその点滅、舞台照明の美しさがこれを幾重にも彩り、銀河宇宙の時空を拡げた。
プログラムに、親友二人の出会いと別れ、友情、大切な人を失うことがどんなことか、そこに自己投影を、という賢治役学生の解説があったし、脚本・演出家もまたそれが筋と書いていたが、私が彼らの歌声から受け取ったのはそういうものではなかった。
違う。君たちが歌ったのは、届けてくれたのは「ほんたうの幸せ」についての君たちの想いだった。それを仰ぎ見る君たちの眼差しだった。
ジョバンニの切符の行く先、車掌に聞かれ、「なんだかわかりません」と小さく答えるジョバンニの困惑とどこか遠い彼方を想うような口調、その声、そしてそれを諾う(うべなう)合唱の優しさ、「ほんたうの天上へさへ行ける切符だ」という鳥捕りにもう一度「なんだかわかりません」と繰り返す声に宿る心細いような、でも何かわからないけれどそっちの方が見える気がする、そんな気持ち。
「ほんたうの幸せ」はなんだろう、そう思いめぐらせつつ、今、生きている、立っている此処とこれまでの旅、そしてこれからの旅を、君たちは輝く銀河とともに、歌ってくれた。
私だって、なんだかわりません。だけど、君たちは教えてくれた。「ほんたうの幸せ」を考え続け、想い続ける旅は、決して途絶えないと。誰かが必ずそれを担い、歩み続けてくれると。一人一人の学生の持つ純な灯り、歌声が、未来を照らす。音楽の力、歌声の力の凄さ、美しさ。
これもまた「音楽の未来」への希望の灯火。
この作品に出会えた君たち、私たちは幸福だ。作曲&pfの寺嶋、指揮横山に感謝を。
アンコールの賢治作詞作曲『星めぐりの歌』の優しく澄んだ晴明な歌声は、満天の星からの祝福となって2019年聖夜を包んだ。前列の男性が眼鏡を外しそっと目を拭う。私もまた(いわゆる合唱コンクール路線とこれは別の話)。

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。 (星めぐりの歌 第1節

ブラバンと合唱、プログラム記載の全員一言からそれぞれ一つだけご紹介する。

中学の時はめんどくさい、だるい、などで部活をサボりまくった自分がこんなに
も続けられたことに驚きです。ここまでやれたのはみんなや周りの人たちの支え
のおかげです!今日はその恩を返せるように頑張ります!(高3トロンボーン女
子 テナバス)

私が歌うわけはこたえなき問いかけ。本当の幸せは、愛はどこにあるのか。愛し
い人と共にあるここか、はるかな銀漢の果てか。誰がこたえるのだろう、問いか
け。それはたぶん自分なのだ。ならば、答えなき問いへの、私なりの応えを歌に
こめよう。(理工—物理情報工学 ベース)

SNSゲーム世代のデジタル思考、とか、音楽の真の力を伝えるには、などの論議の前に。
私たちこそ、音楽の喜びの灯火がいつどこでぽっと自分に灯ったのかを、もう一度凝視めるところから始めたい。

(2020/1/15)

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