Menu

トマーシュ・ネトピル指揮 読売日本交響楽団 第593回 定期演奏会

トマーシュ・ネトピル指揮 読売日本交響楽団 第593回 定期演奏会
TOMÁŠ NETOPIL conducts Yomiuri Nippon Symphony Orchestra Subscription Concerts No. 593

2019年11月29日   サントリーホール
2019/11/29  Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
Photos by  林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)
トマーシュ・ネトピル(指揮)
白井圭(ゲスト・コンサートマスター)
読売日本交響楽団

<曲目>
モーツァルト:歌劇『皇帝ティートの慈悲』序曲
リゲティ:無伴奏チェロ・ソナタ
リゲティ:チェロ協奏曲
(ソリストのアンコール)
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV1007~サラバンド
スーク:アスラエル交響曲 ハ短調 作品27

 

2012年3月の新国立劇場への『さまよえるオランダ人』(東京交響楽団)登場以降、トマーシュ・ネトピル実に7年ぶりの来日は読売日本交響楽団への初登壇として実現した。それ以前にも2007年にN響への客演で来日を果たしているネトピルであるが、ヨーロッパでの大活躍ぶりが伝わってくることはあったにせよわが国では一部の好事家以外にはさして大きな注目もされなかったような印象がある。実は筆者も名前だけは以前から知ってはいてプラハ響との『わが祖国』やそれこそ当夜の曲目である『アスラエル交響曲』(現在音楽監督を務めるエッセン・フィルを指揮)の録音を一応耳にはしていたが、前者での清新な音の作り方には惹かれた記憶があれどその後はネトピルの存在をさして意識もせず過ごしてきた中での今回の読響との共演、次の来日もまたかなり先にならないとも限らないので定期演奏会へ足を運んだ次第。

にこやかに登場した長身のネトピルの姿は実にステージ映えするが、1曲目の『皇帝ティートの慈悲』では弾けるような響き、自由なテンポ、思い切ったダイナミクスの変化によるドラマティックな表現、いかにも才気走っている。響きもタイトに引き締められ、この5分そこそこの序曲を聴いただけでこの人はオペラ指揮者なのだな、と納得させられた次第。初共演でこのような音を読響から引き出したのだからその実力は明白だろう(今気が付いた訳でもないが、実演ではごまかしが利かないからその腑の落ち方が格段に違う)。

この後オケの楽員は一旦ステージから退場、そして照明が落とされたのちチェロの演奏台だけにスポットライトが当たる。そこでケラスが登場してリゲティの無伴奏チェロ組曲の演奏が開始。リゲティのハンガリー時代の作品ゆえ曲想はバルトークやコダーイの影響が明白だが、その文脈からしてもより高度かつモダンな技巧が散りばめられている。冒頭及び終楽章に登場する重音のピチカート・グリッサンドの正確さには驚いたが、ケラスの演奏の特徴は、どんな難曲を弾いても常に技巧に余裕があるので「表現」を行うことが可能だということ。正確に弾くことに精一杯だと表現自体にまで気が回らないのだ。第2楽章では快速調のテンポで目まぐるしく楽想が変化していくが、ここでもケラスのしなやかな運弓は粗さをまるで感じさせず、テンポの変化も自然かつ巧みに処理する。全く、ケラスの演奏は何を聴いても感心しきり。

無伴奏チェロ・ソナタが終わったのちにはステージが明るくなって楽員が再登場、次は同じリゲティのチェロ協奏曲。ケラスは既にブーレーズと同曲を録音していたが、実演だとより強烈だ。『ロンターノ』と同様のトーン・クラスターを用いたその音楽は表面的には極めて静謐ながらその内部では多様な音楽の変化に満たされていて全く息つく暇がない。全編これかそけき吐息あるいは影のような音楽がサントリーホールの大空間で演奏されるというこの快楽的ミスマッチ。冒頭「無から現れるように」との指示がある箇所はなんとpppppppp。この異様な弱音はよく耳を澄まさねば聴こえないような音なのだが、ここでもケラスはほとんど音のブレも揺れもなく驚くような安定した技巧で正確にホ音を伸ばし続ける。曲とケラスの凄さに打ちのめされるような体験(読響もこの難曲を驚くべき精度でこなし大拍手)。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番からサラバンド。軽く弦に弓を当てて多様なニュアンスを融通無碍に表出するその演奏はバロック的/モダン的云々の前に徹頭徹尾ケラス的な音の快感に満たされている。

休憩を挟んではスークの『アスラエル交響曲』。正直に記せばその標題性と曲の内実がいまいち筆者の脳裏で噛み合わず雲を掴むような楽曲なのだが、先に記したネトピルの録音同様、当夜の演奏も卓越したものだ。指揮者による極めて骨太の音作りは読響に元来備わったパワーと相まって猛烈な音響を炸裂させる。1曲目のモーツァルトとはネトピルの音作りがまるで異なり、作品の違いからそれも当然とは言え、ここでも指揮者の力量と言うか対応力を思い知ることとなる。しかしこの『アスラエル~』でもただ強烈一本槍ではなく、アダージョでは大変に親密で細やかな音楽が展開されていた。

モーツァルトの項にも記したが、初共演の読響から既にして確信に満ちた自分の音楽を引き出したネトピルはやはり逸材と呼びうる存在である、と実感したコンサートであった。近い内の再登壇を望む。

(2019/12/15)

<Performers>
Conductor = TOMÁŠ NETOPIL
Cello = JEAN-GUIHEN QUEYRAS
Gest Concert Master = Kei Shirai
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra

<Programme>
MOZART: “La clemenza di Tito” Overture
LIGETI: Sonata for Solo Cello
LIGETI: Cello Concerto
SUK: Asrael Symphony in C minor, op. 27