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パリ・東京雑感|壁を壊す人 教皇フランシスコ|松浦茂長

壁を壊す人 教皇フランシスコ
Man of Boundless Compassion Pope Francis

Text 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
Photos from Vatican News

日本を訪問したフランシスコ教皇

フランシスコ教皇は、核兵器を「犯罪」と決めつけ、軍拡競争は「テロ行為だ」と断罪した。これまでの教皇は、核が戦争を防ぐ抑止効果を認める現実主義に傾いていたのに、フランシスコ教皇は、核は持つだけで「倫理に反する」と歯切れが良い。日本政府は核抑止力を信奉し、核兵器禁止条約に反対しているから、日本での発言は気を遣って少し抑えるかと思ったら、挑発的なほどのストレートさだった。この教皇、見かけの柔らかさと裏腹に、大胆不敵なところがある。

僕がモスクワ駐在だったとき、ゴルバチョフ大統領のバチカン訪問があり、バチカンの事務所に取材カードを申請に行った。天井の高い堂々たるオフィスに入るや、威圧的で冷たい空気に身震いした。対応は無愛想を通り越して意地悪。モスクワに帰って、親しいアメリカ人神父に「バチカンの役人はKGBみたいでした」と報告したら「KGBより悪い」と言う。教皇庁にも動脈硬化した非人間的な官僚主義がはびこっていたに違いない。
伝統に固執し、特権を死守しようとするバチカンの濁った空気の中から、教皇が生まれるのだから、魅力的な人物は期待できそうも無いはずなのに、振り返ってみると、予想を裏切るとんでもない教皇が登場してきた。密室に缶詰の、コンクラーベと呼ばれる選挙制度がうまく機能するのかも知れない。下馬評に上るような有力枢機卿は、選挙となると反対勢力も強く、3分の2の票が得られない。あれもダメこれもダメと数日間選挙を繰り返すうち、疲れもたまり、誰も思いつかなかった泡沫枢機卿で手を打つことになる。
1958年のコンクラーベでは、本命が落ち、妥協策としてできるだけ任期の短いつなぎの教皇として76歳のヨハネ23世が選ばれた。ところが、「つなぎ」のはずのヨハネ23世、90年ぶりに公会議を招集し、カトリック世界をひっくり返してしまった。僕らの学生時代の教会は、第二バチカン公会議のおかげで前近代的、独善的な教会が生まれ変わりそうな新鮮な空気にあふれ、たとえば黙想会に参加すると、朝から晩まで座禅。神父は「仏教徒もキリスト教徒も同じ高い山を、別の道から登っている。頂上は雲に隠れて見えないけれど、多分同じ地点に着くのでしょう」と話していた。
1978年に選ばれたヨハネパウロ2世は、ポーランド人。455年間教皇はイタリア人と決まっていたし、ましてポーランド人が教皇になるなんて前例がない。彼の伝記映画を見ると、選ばれた瞬間、ヨハネパウロ2世はあんまりボロボロの靴を履いているので、それが気になって下ばかり向いている愉快なシーンがあった。本人にとっても予想外だったこの人選、歴史のこの瞬間もっとも必要とされる人だったのだ。教皇の祖国訪問によって勇気づけられた労働組合「連帯」が、共産主義世界解放の先駆けとなり、20年後にベルリンの壁崩壊、ソ連の終焉をもたらす。カーター大統領の安全保障補佐官だったブレジンスキーは、ヨハネパウロ2世を訪ね、共産主義との闘いに支援を求めたとき、教皇の政治感覚の鋭さに驚いたらしく「我が国の大統領と入れ替わって貰いたいくらいだった」と回想している。
2005年には珍しく最有力候補にすんなり票がまとまり、ベネディクト16世が誕生した。彼は名高いドイツの神学者なのに、学者にあるまじき粗雑な論理でイスラムを貶め、イスラム世界に抗議の嵐を巻き起こしたり、プロテスタントを「教会と呼ぶことは出来ない」と突き放したり、第二バチカン公会議以前に先祖返りしてしまった。波乱なく本命枢機卿が選ばれると、バチカンの独善的官僚機構の地金がむき出しになると見える。
とはいえ、この2005年の例外的コンクラーベを除けば、不思議なほどその時代に相応しい人物が教皇に選ばれてきた。

ジョット
『小鳥に説教するアッシジの聖フランシスコ』

フランシスコ教皇は動物も天国に行くと信じている。日本の昔話だと、動物の方が人間より徳が高く、人に助けられた鶴や狸が命をかけて恩に報いてくれるから、彼らが天国に行くと聞いても驚かないが、キリスト教では、人間しか救われないことになっていた。この西欧的人間中心主義に教皇は異議を唱え、人間と動物の壁を取り払おうとする。「私たちは神の似姿として創造され、地の支配を委ねられたからといって、他の被造物の支配を正当化するような考え方は断固拒否しなければならない。聖書は専制的人間中心主義を許さない」(環境についての回勅)。
もっとも人間が「専制的」に自然を支配・収奪・破壊したのは近代以後のことで、中世はヨーロッパも人と動物の壁は無かったのかも知れない。教皇と同じ名前のアッシジのフランシスコは小鳥に説教したそうだ。
人と動物の差別を否定したように、あらゆる壁を取り払うのが、フランシスコ教皇の一番の願いのようだ。信者が居心地の良い安全圏に留まることを許さない。自分には理解できない生き方の人、気持ち悪く見える人にも目を向け、全ての人を包み込む教会でなければならないと厳しい要求を突きつける。「枠を設け閉じこもった教会は不健康だ。私は、社会の現実にまみれ、傷つき、汚れ、醜くなった教会が好きだ」。祖国を失った難民、偏見に苦しむLGBTこそ真っ先に教会が手を差し伸べるべき相手とされる。
同性愛の司祭について質問されたとき、フランシスコ教皇は「ある人がゲイであり、主を探し求める善意の人であるなら、私に彼を裁いたりできるでしょうか」と答えている。「私は罪人です」と言い、罪深い私にどうして人を裁くことが出来ますか、という謙虚さが教皇の持ち味。道徳教義に執着し、中絶や同性愛との闘いに情熱を注ぐより、貧しい人、落ちこぼれた人に奉仕したい。教義を議論するより愛を実践する。これがフランシスコ教皇の生き方だ。
日本人の私たちには理解しにくいことだが、欧米の教会には中絶、同性愛と闘うことこそ神聖な信仰の務めと考えている人が多い。前教皇ベネディクト16世も「同性愛は本質的に道徳的邪悪に方向付けられた強力な性癖」と定義している。彼ら原理主義的クリスチャンには、フランシスコ教皇が中絶・同性愛について積極的に語らないのが、うさんくさく見える。おまけに教皇は他宗教とも親しく交わろうとするから、教会の破壊を企む<同性愛秘密組織>の黒幕、信仰の敵と決めつける文書まで現れる。トランプ大統領のイデオロギー・ブレインだったバノンは、フランシスコ教皇に敵対する大物、アメリカのレイモンド・バーク枢機卿(ローマ教皇庁幹部)と手を組んで、教会を「フランシスコから救い出す」ための陰謀を始めた。キリスト教文明はイスラムの攻勢を受けて危機にさらされ、教会はいま文明の生死をかけた闘いのさなかにある。軟弱なフランシスコを無力化し、闘う教会に建て直さねば、というのだ。

イスラムの指導者アフメド・タイブ師と
宗教の多様性を確認

十字軍の真最中1219年、アッシジのフランシスコは無鉄砲にもスルタン、メレク・アルカーミルを改宗させるためエジプトに行った。途中で捕まり容赦なく痛めつけられたあげく、スルタンの前に連れ出される。両人とも深い信仰の持ち主で、大いに共感し合い、福音の真理をエジプトで述べ伝える願いは叶わなかったものの、良き友人同士として別れたと伝えられる。
21世紀のフランシスコは、今年2月アブダビに行き、名高いエジプトのアズハル大学の指導者アフメド・タイブ師と意気投合。数世紀に亘ってお互いおびただしい血を流してきた宗教の平和マニフェストに署名した。「宗教の多元性と多様性は、神がそれを望まれたからである。それゆえ、宗教ないし文化を強制してはならない」と、神の名の下に諸宗教の平等を宣言し、「宗教を利用して、憎悪、暴力、盲目的狂信へと誘い、神の名を用いて殺人、追放、テロリズム、抑圧を正当化するのを阻止する」と、宗教の平和を誓った。ローマ教皇がアラビア半島を訪問したのは史上初めてだ。

アジア訪問の成果を語るフランシスコ教皇

フランシスコ教皇の発言にはときどきドキッとするほど過激な言葉が混じる。教皇によれば、原理主義者は、キリスト教であろうとイスラムであろうと人種主義であろうと、すべて「無神論者」なのだ。なぜなら神はユニバーサルであり、宗教はユニバーサルであるはずだから、自分の信念を絶対視するのは「無神論」。地球上の全ての人間と生き物にあふれるばかり注がれる神の愛の喜びの中に生きるフランシスコ教皇の眼には、壁をつくって立てこもる原理主義者は愛の喜びを拒む気の毒な人に見えるのだろう。
いま、トランプ、プーチンを先頭に、憎悪のポピュリズムが世界を覆っている。隣国への嫌悪・蔑視をあおることで指導者の人気が上がるのは日韓も例外ではない。孤軍奮闘、憎悪の根を断ち切ろうと戦うフランシスコ教皇。今度もまた、不思議なほど時代にぴったりの人が選ばれたようだ。

(2019年11月30日)