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ウィーン留学記|シュトッケラウ演劇祭|蒲知代

シュトッケラウ演劇祭
Die Festspiele Stockerau

Text & Photos by蒲知代(Tomoyo Kaba)

「病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで」。そう結婚式で永遠の愛を誓い合った二人が離婚する確率は、オーストリアの場合40%以上である。日本でも3分の1以上の夫婦が離婚する時代なので、それほど驚く数字ではないかもしれないが、個人的にはかなり驚いた。大学で知り合ったオーストリア人の多くは、自分が交際していることを隠さないし、同棲していることも少なくない。また誕生日パーティーなど、家族団らんの場に子供たちの恋人が同席することも普通だ。オーストリア人のカップルは仲睦まじくて羨ましいと思っていたが、そんな二人でも恋の賞味期限には勝てないらしい。

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2019年8月25日の夕方、ウィーンから北西へ電車で30分ほどのところにある、シュトッケラウという町に行った。シュトッケラウ演劇祭を訪れるためだ。電車を降りると、無人駅。人通りはあるが駅前は静かで、どちらの方向に進めばよいかしばらく悩んだ。たぶんこっち、と思って進んだ方向は結局合っていて、真っ直ぐ歩いていると家族連れとすれ違った。日曜なのでスーパーも店も閉まっている。営業しているのは映画館くらい。今から演劇祭に行くというのに、何だか寂しい気持ちになったが、目の前に町のシンボル的存在のカトリック教会が見えたので、少し元気になって教会の中に入った。

演劇祭の舞台と教会

オーストリアにいると、教会に入る機会は山ほどある。しかしながら、小さな町のこの教会の内部は私に興味を抱かせた。中に入るとまず、全身に弓矢が刺さった聖人像が目に入る。壁にかけられた大小さまざまな宗教画もたいそう美しい。私に宗教感情はないが、心が洗われた気がした。
教会を出ると、目の前に客席が広がっていた。下を見ると舞台があり、電子ピアノの音が聞こえて来る。まだ誰も座っていない客席を眺めながら階段を下り、客席の裏側の通りに出てみると、本来は道路だが封鎖され、ビュッフェ用のスタンドテーブルが並んでいた。
すると突然、通りかかった見知らぬ中年男性に声を掛けられ、どきっとした。白シャツ姿の素敵なおじさま。近所に住んでいる人だろうと笑顔で対応していたら、演劇祭のチケットを持っているかと尋ねられた。ひょっとしたら不審者かもという考えがよぎったが、持っていると答えると、「幸運だね。今日はいっぱいだよ。」と返ってきた。それもそのはず、その日は千秋楽だった。シュトッケラウ演劇祭は8月2日から25日までの木金土日に全15公演が行われたが、好評につき追加公演が行われたばかり。私は演目が気に入って、半年前にネットでチケットを買っていた。
おじさまはその場を去る素振りをしたが、私がドイツ語を理解していることに気付いて、会話を続けた。どうやら娘さんが大学で韓国語を勉強していて、アジア人の私に興味を持ったようだった。

ネストロイ像

演目はオーストリアの劇作家・俳優ヨハン・ネストロイ(1801-1862)の『楽しきかな憂さ晴らし』。1842年にアン・デア・ウィーン劇場で初演された作品だ。おじさまは私がネストロイを研究しているのか尋ね、違うと答えると少し残念そうだったが、「楽しんで!」と言って去って行った。
ネストロイは日本ではあまり馴染みがないが、ライムントと並んで、ウィーン民衆劇にはなくてはならない存在である。オーストリアの優れた演劇作品・俳優に贈られる演劇賞の名前は「ネストロイ演劇賞」(今年は11月24日にアン・デア・ウィ―ン劇場で授賞式が行われる)。オーストリア人でネストロイの名前を知らない人は恐らくいないし、ウィーンの劇場では彼の作品が好んで上演される。私自身、今までに劇場でネストロイの作品を7回も鑑賞する機会があった。
会場の隣はウィーンにもある伝統的なカフェ・ハイナー。中に入り、眠気対策でメランジェを注文した。会場の隣だからいっそう繁盛するだろうと思いながら、無料でもらった演劇祭のパンフレットを開いた。演劇祭の総監督兼演出家兼主役の顔写真を見てびっくり仰天。先ほど話しかけて来た怪しいおじさまだった。さっさとミルク入りコーヒーを飲み干し、店を出た。
階段を上って再び教会の方に行くと、その近くの建物が楽屋になっているらしく、その前でメイクアップ済みの俳優たちが談笑していた。おじさまが本当にその人かどうか確認したかったのだが、しばらくすると化粧をして舞台衣装に着替えた本人が目の前を通り過ぎ、楽屋から娘さんを連れて戻って来た。「ほら、さっき話したアジア人の女性。」そう言いながら、娘さんを私に紹介してくれたので、また少し話をすることができた。
声を聞けば目の前の人が先ほどのおじさまだとは分かる。しかし、髪型や服装が変わるだけで、印象が随分と変わるものだと面白く思った。

演劇祭の会場

そしてそれはネストロイの作品にも言えること。ネストロイの作品のうち、たとえば『厄除け』(1840年)では、主人公がかつらをかぶることで赤毛を隠して出世するし、『恋愛沙汰と結婚問題』(1843年)では二人の人物の服装で勘違いが起こる。今回鑑賞した『楽しきかな憂さ晴らし』でも、主人公が自分の上司の服を着ることで、ひと騒動が持ち上がった。あらすじは以下のとおり。
主人公のヴァインベルルは雑貨店の店員である。ある日、主人ツァングラーに留守を任され、部下のクリストフェルルと「憂さ晴らし」を決行。ヴァインベルルはツァングラーの服を着て、ツァングラーに成りすますことにする。周りの人たちは見事にだまされるが、町でツァングラー本人と鉢合わせそうになったり、とっさについた嘘で、フィッシャー夫人の夫のふりをすることになったり、嘘が重なっていく。最後にヴァインベルルの嘘はばれるが、ほかの二組とともに、ヴァインベルルとフィッシャー夫人も結婚して大団円。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」が流れて、「めでたし、めでたし」となった。ネストロイの作品は風刺的で、即興的な要素も強い。そのうえ方言や造語も使われるので、外国人の私が全てを理解することは難しいが、その分、笑うべきところで笑えたときは素直に嬉しくなる。また、ネストロイの作品は「歌付きの茶番劇」と呼ばれるとおり、劇中の随所に歌や音楽が差し挟まれるので、なかなか愉快だ。ブルク劇場やフォルクス劇場で現代風のロック・ミュージックにアレンジされたバージョンに慣らされていたので、今回の電子ピアノによる伴奏は逆に新鮮でよかった。舞台デザインも衣装も古典的。わざわざ観に行く価値のある上質な公演だった。

シュトッケラウの町に入った時はちょっと寂しい気分だったが、見終わった後は気分爽快。それはやはり、ハッピーエンドだったからだろう。
最近では、結婚制度はもはや時代に合わないし必要ない、という意見も出ているが、果たしてそうだろうか。恋愛感情が薄れることも、他に心変わりすることも、人間だからあるだろう。だが、いつパートナーに去られるか分からない疑心暗鬼の関係は悲しいもの。まして二人の間に子供がいれば、子供の発育に影響が出る可能性も高い。「結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」(トーマス・フラー)。多少の我慢は必要な気がしてしまう。

 (2019/11/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。