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ドーリック弦楽四重奏団|丘山万里子

<クァルテットの饗宴2019>
ドーリック弦楽四重奏団
<Festival of the Quartet 2019>
Doric String Quartet

2019年10月31日 紀尾井ホール
2019/10/31 Kioi Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 堀田力丸/写真提供:紀尾井ホール

<演奏>        →foreign language
ドーリック弦楽四重奏団
 アレックス・レディントン(第1ヴァイオリン)
 イン・シュエ(第2ヴァイオリン)
 エレーヌ・クレマン(ヴィオラ)
 ジョン・マイヤーズコフ(チェロ)

<曲目>
ハイドン:弦楽四重奏曲第38番変ホ長調 op.33-2, Hob.Ⅲ:38「冗談」
ブリテン:弦楽四重奏曲第3番 op.94
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 op.130(大フーガ付き)

(アンコール)
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 op.130(大フーガ付き)第5楽章

 

ヴィジョンSQの興奮冷めやらぬうち、いそいそドーリックSQへ。こちらは2008年第6回大阪国際室内楽コンクール優勝のカルテット。その折の凱旋公演以来、11年ぶりの来日となる。
<クァルテットの饗宴2019>では6月登場のアポロン・ミューザゲート SQ(2008年ミュンヘンARD国際音楽コンクール優勝)のシューベルトが衝撃的だった。その後に聴いたエベーヌSQのベートーヴェン『大フーガ付き』の異次元、続けてヴィジョン(本誌別稿)にドーリック。いや、間に我がウェールズの『大フーガ付き』もあったではないか。そうそう3月のアマービレもなかなかだった。カルテット、花盛りだ。
さて、ドーリック、こちらも独特極まりない「我が世界」であった。

まず、たとえようなき無限小ppppppppp………。
特に1vn、ブリテン第3楽章モノローグは言語化不可能。人間業でない。世界に透明な薄膜があるとして、それは少しでも触れれば破けてしまう、そこに触れたか触れないか、の次元でなく、触れずにほのかに発光する、つまり「もの」がどこにも介入介在しないところから生まれるppppp…。これは音盤その他では再現不能、その場にいなければわからない(聴こえない、というのは正しくない)もので、音は耳に届くのでなく耳を吸う(吸い寄せるのでない)ゆえ、実演に触れることを切に願う。このppppp…は全員の共有領域で、それがこのカルテットの表現力そのものなのだが、わけても1vnの神業は、もう一度言う、言語化不可能。
ベートーヴェンの第5楽章Cavatinaもまた無限小で、かすかな響きの細流の上澄みに旋律が浮かぶのだが、それはあるようでないようで、けれども確かに「在る」という感触の次元。幽冥でありつつ明瞭という相反の薄膜の上(そう言う他ない)を滑ってゆくのだ。

次に音楽の流し方(流れ方でなく)というか、楽句運びというか、それが独特で、おそらく微妙にかかるポルタメント(と筆者には聴こえ、これも1vnに多く見られる)がそのテイストを滲みださせるのだろうが、音から音へ句から句へ、がブランコのようにふいーんふいーんと渡される、その浮動感は各人がこれも共有領域とし、その不思議な動力感覚(ブランコの背を押すとか漕ぐ、に近い)は、音楽が流れるのでなく、彼らがそれを流している(意識、無意識の間の発動)と思え、これがこのカルテットの独特さ、「我が世界」を生む。
このブランコは、ハイドンの第2楽章トリオ部分のレントラー風を程よく世俗の色に染め、「小粋なハイドン」を創出したし、わけてもベートーヴェン『大フーガ付き』第4楽章 Alla Danza tedescaで筆者には中原中也の『サーカス』のリフレイン「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」が浮かび、聴きながら心の中で唱え続けてしまったくらい。
このブランコに似て少し違うのが吊り橋感覚で、大フーガは大小吊り橋を渡るスリルに加え、次々高難度森林アスレチックをこなすごとき引き締まった筋力に、なるほど、そういう造りか、といたく納得する。ありがちジェットコースター的機械動力の生むスリルでなく、人と綱の手触りで、これこそが彼らのテイスト、独自と筆者は聴いた。
と、ここまで書き、この味わいは彼らがクラシカル・ボウ(バロック〜モダン移行期)使用ゆえか、とも思った次第。

透明音色にややひなびたハイドンの小粋は楽しかったし、各楽章の性格を緻密に描き分け、上記無限小と、人綱アスレチックで聴き手を揺さぶり続けたベートーヴェンには唸った。
だが一番の聴きものだったのはブリテンで、筆者は名作名演と思う。
Duets二重奏複数形での目の詰んだクリアな響きと切迫感、挟まれる不穏な刻み、Ostinatonoの軒先のつららから落下する雫のごときピチカート、あちこちの小パウゼに足を取られつつ進むと、既述Soloが蒼穹高くかかる絹雲となり小鳥の囀りとなり天の裂け目の異界を仰がせる。Burlesque、あれこれ奏法駆使での音の多彩は類がない。軋み、引きずり上げ、引き摺り落とし、震え、おののき…。終章Recitative and passacagliaのvcの鐘音は鈍色の冬のヴェネチアの波間に静かに沈んでゆく。
ブリテンとはかくも厳しく、かくも深く、かくも鋭利な音楽家であったのか、と烈しく射抜かれた。
まさに「我が世界」の凝結氷塊がここに。

 (2019/11/15)

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Doric String Quartet
 Alex Redington, violin
 Ying Xue, violin
 Hélène Clément, viola
 John Myerscough, cello

Haydn: String Quartet No. 38 in E flat major, op.33-2, Hob.III: 38 “The Joke”
Britain: String Quartet No.3 op.94
Beethoven:String Quartet No.13 in B flat major, Op.130