札幌交響楽団 第622回定期演奏会|多田圭介

札幌交響楽団 第622回定期演奏会
Sapporo Symphony Orchestra The 622nd Subscription Concert

2019年9月21日 札幌コンサートホールKitara
2019/9/21 Sapporo Concert Hall Kitara
Reviewed by 多田圭介(Keisuke Tada)
写真提供:札幌交響楽団

<演奏>        →foreign language
指揮とオーボエ:ハインツ・ホリガー(オーボエ,*)
ヴァイオリン:ヴェロニカ・エーベルレ**
合唱:札響合唱団、合唱指揮:長内勲***

<曲目>
H.ホリガー:2つのトランスクリプション(Ⅰ暗い雲、Ⅱ不運)
J.S.バッハ:カンタータ第12番「泣き、歎き、憂い、怯え」よりシンフォニア*
      カンタータ第21番「わが心に憂い多きかりき」よりシンフォニア*
A.ベルク:ヴァイオリン協奏曲**
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H.ホリガー:アルドゥル・ノワール~ドビュッシー「燃える炭火に照らされた夕べ」による***
R.シューマン:交響曲第1番「春」

 

ホリガーの2年ぶりの札響客演が実現した。2年前の定期で楽員とファン双方からの圧倒的な支持を得ての再登板である。本定期のプログラムはホリガーの自画像だ。2つある編曲作品では作曲家としての側面が、バッハのカンタータ抜粋ではオーボエ奏者としての側面が表れ、そして、シューマンの交響曲第一番「春」(以下では「春」と略記する)については、ただ「好きな曲だから」と述べている。しかし音楽家の言葉はそのままで真に受けるべきではない。音楽家には本質的に言葉への軽蔑や憎悪がある。その真意は音楽のみによって評価されるべきだ。

プログラムを一見して認めることができるのは、「苦難を経て神の国へ至る」という福音書的なメッセージだ。あるいは、十字架という最大の苦難、つまり「低さの極み(=最も偉大なる低さ”die größte Niedrigkeit”)」においてこそ輝く栄光という反対の一致のパラドックスとも言えよう。不安と絶望の音楽であるリスト、そして十字架と栄光は表裏一体だと歌うバッハのカンタータ『第12番』と、それを実存の苦悩の面からクローズアップした『第21番(神よなぜ私を見捨てたもうか)』。アルマの娘マノンの死とそこに注ぎ込まれる慰めのコラールであるベルクの『Vn協奏曲』。そして、そのコラール引用部にベルクが書いた「神よ、もうたくさんです。御心にかなうのならいましめを解いてください」という苦難の底から発せられる叫びを経て、後半の『春』。この到来する春は、「いましめ」が解かれ苦難の現世から解放された「春」なのか、あるいは、御心にかなわず現世でまた「春」が来てしまうという意味なのか。プログラムをざっと見ただけでも、実存的選択を迫られる迫力がある。

しかし、当日、ホリガーの舞台に触れて感じたことは、そのどちらも違うということだった。いうならば、ホリガーは、苦難の底においてこそ輝く神の栄光というキリスト教的な世界に身を寄せつつ、その表現形式を内側から解体して見せたのだ。信仰の深さゆえに、救済があらかじめ織り込まれた苦難という緩さを破壊したかったのか、あるいは、救済という世界観の仮構性を自らに言い聞かせることで自身の信を問おうとしたのか、いずれにしても高度に自己批評的な舞台であったことだけは間違いない。
この自己批評性は、もちろんホリガーの卓越した表現力によって達成された。深い実存の底からの不安と叫びのような音楽、また、内面を宿していないかのような抽象的な音響、ホリガーは両側面を自在に往き来する。そして、後者の抽象性を、よりによって救済の「春」において表出したのだ。福音という表現形式の限界を露呈させ内側から解体することにどのようなメッセージがあるのか。それはあくまで未決定であり、聴く者一人一人が自己に問いかけるべき事柄だろう。

『2つのトランスクリプション』と題されたプログラムの1曲目は、F.リストの晩年のピアノ小品<灰色の雲>と<凶星!>のホリガーによる編曲版。まず<灰色の雲>の冒頭に注目した。本作の骨格をなすD-G-Cis-D-H-Eの6音からなるモチーフが、バス・フルートによって地の底から呻き声をあげるように鳴らされた。ユニゾンでHrが重なっていることも響きに見通し難い暗がりを与えている。会場の全員がその襲いかかってくる「呻き」に身動きできなくなっていた。バス・フルートという「低さ」が際立つ楽器を用いたのは前述の「低さの極みNiedrigkeit」の象徴表現と解しうる。後半に入るとVnの半音階、審判のような鐘、そして短2度のオスティナートに乗って抑えきれない悲しみが会場を覆ってゆく。晩年のリストの前衛的な書法をこれほど効果的にオーケストレーションしたホリガーの手腕、そしてそれを見事に音にした演奏に感銘を受けた。アタッカで<凶星!>に入ると一瞬だけ慰めの表情が聴こえるが、すぐにそれが歪められ、バスのE音のユニゾンが尾を引くように虚空へ消えていった。

続くバッハのカンタータ『第12番』と『第21番』のシンフォニアではホリガーがオーボエを演奏しながら指揮した。指揮で聴かせる懇切丁寧な処理と趣を異にし、オーボエ演奏ではザクザクと音を捌いてゆくのが面白い。それでも『第12番』では装飾の音一つまで詠嘆の感情が染み込んでいる。『第21番』では通奏低音と弦2部に乗ってより甘美な音楽が聴こえてくる。ホリガーの音にも『第12番』よりどこか慰めがある。

続いてソリストにヴェロニカ・エーベルレを迎えてベルクの『Vn協奏曲』。エーベルレのヴァイオリンは透明で過度に誇張しないが訴えが強い。Allegretto主題の2小節目のF-Asの重音からDis-Fisへの下降にポルタメントがかかっている(オケも同様だった)など、随所に小さな仕掛けがあるのがそれを助長する。オケは全体が溶け合っていながら各モチーフが驚くほど鮮明に聴こえる。そんななか、155小節からのmeno mossoがため息のように聴こえたり、音楽には常に血が通っているのだ。この複雑な作品を分析することは筆者の手に余るが、ハープをはじめ、普段は聴こえない音が次々と耳に飛び込んできて驚いた(特に第2部99小節のハープ)。第2部に入ると音楽は純音楽的だが58小節のpoco col legnoから搔き毟るような表情が強まり、コラールの引用に入る前のtranquilloでは、涙を零しながら許しを乞うような表情が聴こえてくる。コラール引用のAdagioのVnは「叫び」ではなく「諦め」の色。静かに涙を流しているところに木管のコラールが光のように注ぎ込む。最後は5度音程がやはり未解決の虚空へ。リストと同様だ。

休憩を挟み2001年に楽譜が発見されたドビュッシー最晩年のピアノ小品のホリガーによる編曲版『アルドゥル・ノワール』。ピアノだと演奏が困難なオルゲンプンクトのAsが低弦で地を這う。さなか、Es-As-A-Esの主要モチーフが繰り返され、そこから曰く言い難い苦悩と諦めが聴こえてくる。だがリストよりはどこか晴朗さがある。しかし合唱とグロッケンの特殊鍵盤を弓で弾いた音が加わると、再び耳を覆いたくなるような苦悩の表現がホールを覆ってゆく。合唱も人の声ではないような抽象的な響きを発しつつも、何よりも強く不安を表出する。
最後は『春』。冒頭のファンファーレが、決定稿のD-B♭-C-Dではなく、自筆譜にあるB♭-G-A-B♭によって奏された。低く暗い。春になって生命が湧き立つような上向きの力を拒否するようだ。前半14型だったオケは12型に刈り込まれ、それまでとはうって変わって徹底して非人間的な響き。殊に第2楽章ラルゲットの特徴あるシンコペーションが、ゾッとするような、体温のない、ガラスの欠片のような音を放つ。音は単体で投げ出される。フレーズの力学に従って音楽が自然に流れることを拒否している。救済の「春」というプログラムを仕組んだ貢献者自身によって救済それ自身がもっとも無残な仕方で破壊される。歌も香りも生命も、成就の感慨も、無残に、露悪的なほどに切り捨てられる。この無残さが真実であるとでもいうように。ここに何を聴きとるかはもはや聴衆一人一人が決めるべきことであろう。齢80に達した老巨匠は何と闘っているのか。

エリシュカを偲ぶロビーコンサート

ロビーの展示

(2019/10/15)


多田圭介( Keisuke Tada)
北海道大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。専門は、哲学・倫理学、音楽評論。評論の分野では、新聞や雑誌等に定期的に音楽評やコラムを寄稿するほか、市民向けのクラシック音楽の講座等も担当している。また、2018年に札幌地区のクラシック音楽&舞台芸術の専門批評誌「さっぽろ劇場ジャーナル」を立ち上げ、執筆と編集の責任者を務めている。現在は藤女子大学講師、ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員、さっぽろ劇場ジャーナル編集長。

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<Performers>
Sapporo Symphony Orchestra
Heinz Holliger, conductor and oboe
Veronika Eberle, violin
Sapporo Symphony Chorus
Isao Osanai, chorusmaster
Takahiro Tajima, concertmaster

<Program>
Heinz Holliger: Zwei Liszt-Transkriptionen
Johann Sebastian Bach: Sinfonia from Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen, BWV12;
            Sinfonia from Ich hatte viel Bekummernis, BWV21
Alban Berg: Violin Concerto “To the memory of an angel”
————–(Intermission)————–
Heinz Holliger: “Ardeur noire” d’aprés ”Les soirsilluminés par l’ardeur du charbon” de C.Debussy
Robert Schumann: Symphony No.1 in B-flat major op.38 ‘Spring Symphony’