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日本フィルハーモニー交響楽団 第713回東京定期演奏会<秋季>|西村紗知

日本フィルハーモニー交響楽団 第713回東京定期演奏会<秋季>
Japan Philharmonic Orchestra 713th Tokyo Subscription Concerts

2019年9月7日 サントリーホール
2019/9/7 Suntory Hall
Reviewed by 西村紗知 (Sachi Nishimura)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>        →foreign language
指揮:山田和樹[正指揮者]
ヴァイオリン:田野倉雅秋[日本フィル・コンサートマスター]

<曲目>
サン=サーンス:歌劇《サムソンとデリラ》より「バッカナール」
間宮芳生:ヴァイオリン協奏曲(日本フィル・シリーズ第2作)
大島ミチル:Beyond the point of no return(日本フィル・シリーズ第42作)※世界初演
ルーセル:バレエ音楽《バッカスとアリアーヌ》第1・第2組曲

 

ときには音楽のもつマス的な魔力について、考えたくもなるものだ。共同体の組成を促すか、あるいは共同体そのものの現われであるかのような音楽がある。個人の感情を代弁するかのような、個々人にその感情を持ったことがあるかのように思わせるような音楽や、出会ったことのない人々の苦境を想像させる音楽もあろう。多様なアプローチでもって音楽はマス的な魔力を身につけることになる。こうした事情がこのコンサートでは度外視されえなかった。

1曲目、さすがのサン=サーンス。キャッチーでポップな異国情緒にあふれた「バッカナール」である。入りのオーボエのソロも、いかにも蛇が出て来そうなわかりやすい婀娜っぽさ。いわゆる普通のアラビアンテイストが色彩豊かに展開され、聴衆はテーマパークにでもいる気分だったのだ――あのティンパニが鳴る直前までは。最後、膜が破れんばかりにティンパニが打ち鳴らされて、これを合図にオーケストラが仮面を外す。ここはテーマパークじゃないのだ、と。あのコーダの合奏、あの弦の大合唱はちょっとすさまじい。何か標的を見つけた瞬間、一人一人がそこをめがけて突進し、すべてその行く手にあるものは踏んだり蹴飛ばされたりするようで、この狂乱に無関係でいられる聴衆など一人もいなかったのだ。

狂乱の後はうってかわって、本当に同じオーケストラなのかと疑うほどに、色彩の渋い音響世界がひろがる。浅黄色、海老茶色、利休色。しかし第2楽章冒頭から、オーケストラが唐突になにかの祭りを始めた瞬間、これには日本版のバッカナールという見立てが与えられていることがわかる。奇妙なのはこの唐突さ、これを牽引する存在の見当たらなさである。サン=サーンスの方のオーボエは、狂乱の予兆として機能していたところがあるとしても、間宮のこの作品でたびたび聞こえてくるフルート/ピッコロの嘶きは、その都度虚空に吸い込まれていくばかり。第一、これはヴァイオリンが主役の作品ではないのか。このソリストは、通常の華やかなヴァイオリン協奏曲とは異なって、オーケストラを牽引する役割にない。登場からして、彼らフルート、ピッコロのコントラプンクトとして、あたかもヴィオラであるかのような慎ましさでもって、粛々と演奏しているのだ。サン=サーンスと比べれば、実に日本らしいマス的なアンサンブルだと思わざるをえない。前者が、共通の標的を見つけることでたちどころにまとまる共同体だとして、後者は、和することそのことで出来上がる共同体である。ヴァイオリンの窮屈なカデンツァは、共同体との微妙な緊張関係を保たねばならない。否応なしにポリティカルな事柄への想像力が刺激される。なるほどこの国で政を仕切るものは、コントラプンクトを奏でながら躍り出てくるものなのかもしれない。

その一方で、インスピレーションがポリティカルな問題意識に支えられてはいるものの、大島ミチルの「Beyond the point of no return」からは、暴力的なものが直接聞こえてくることはない。利害関係を共にしない人々に対する、希望的観測を含んだ祈りに近いのかもしれない。一貫してドラマティックな展開が続き、冒頭でストリングスがマルカートぎみに奏でる主題は、作品を通じて他の楽器にも受け渡される。特にチェロのソロが効果的であった。この作品は、どのような局面もきっとうまく乗り越えることができる、と語っているらしい。

ルーセルの魔法はなんであろう。ひとまとまりの潮流のような彼の音楽は、易々とした感情移入を許さずして、それでも聴衆の心を掴んで離さない。決してメロディーメーカーとは言えないのに。その代わり、ときに和声の根音を見失ってしまうほどに、声部ごとの横の流れが支配的となる。一定のリズムセクションにより高揚感をままにしているところからはストラヴィンスキーの作法を思い出さざるを得ないが、野蛮な風合いを出すこともなく、かといってさほど甘ったるくもない。このあたりの塩梅は指揮の山田和樹の嗜好も関わってくるのであろう。リズムが生み出す高揚感も、複調すれすれのエッジィなアンサンブルも、安全圏内でほどよい芳香。内心密かに、この日のサン=サーンスの最後部分以上のものが聞けるかどうか、おっかなびっくりだったのだけれども。

全体を振り返ってみると、それぞれの作品の性格に手の届いた好演だったという印象を抱く。まさかサン=サーンスのあの作品でこれほど恐ろしい聴取体験を得るとは。オーケストラ作品のマス的な魔力は、時代が変わってもいましばらく効力を保ち続けるようである。

(2019/10/15)


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<Artist>
Conductor: YAMADA Kazuki, Permanent Conductor
Violin:TANOKURA Masaaki, JPO Concertmaster

<Program>
Camille SAINT-SAËNS: ‘Bacchanale’ from “Samson et Dalila” op.47
MAMIYA Michio: Concerto for Violin and Orchestra No.1
OSHIMA Michiru: Beyond the point of no return
Albert ROUSSEL: “Bacchus et Ariane” op.43 Suite No.1, No.2