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夏の第九 バルセロナ交響楽団|能登原由美

夏の第九 バルセロナ交響楽団
Barcelona Symphony Orchestra

2019年8月1日 広島文化学園HBGホール
2019/8/1 Hiroshima Bunka Gakuen HBG Hall
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 7/24@オーチャードホール撮影

〈出演〉        →foreign language
指揮|大野和士
三味線|吉田兄弟
ソプラノ|ジェニファー・ウィルソン
メゾソプラノ|加納悦子
テノール|デヴィッド・ポメロイ
バス|妻屋秀和
合唱|東京オペラシンガーズ
管弦楽|バルセロナ交響楽団

〈曲目〉
ファビア・サントコフスキー:2つの三味線のための協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 op. 125「合唱付き」

 

「第九」を8月の広島で演奏するということ。それが、スペインのカタロニア地方から来た交響楽団、しかもあの歴史に名を馳せるチェリスト、パブロ・カザルスと深い所縁をもつオーケストラによって演奏されるということは、どうしてもこれらの土地が抱えてきた「戦争と平和」という問題を考えさせずにはおかない。かたや内戦と独裁政権による弾圧により、かたや他国との戦争の末の原爆により、破壊された街という違いはあるにせよ、壊滅を経験した地でありその上に生を受け継いできた人々である。あのカザルスが国連で「ピース(平和)、ピース、ピース」と鳴くという言葉とともにカタロニア民謡《鳥の歌》を紹介したことはよく知られるが、他ならぬこの広島で、その響きが大きな共鳴をもって聴かれることは容易に想像できる。

それだけではない。実は、今回の主演目となる「第九」の演奏にも深い意味があったようだ。同楽団で音楽監督を務める大野和士はプレトークで次のように明かす。つまり、フランコ政権がカタロニアに迫るなか、カザルスはこの楽団の前身となるオーケストラとともに「第九」を演奏するが、後に亡命することになる彼にとってはそれがかの地での演奏の最後になったのだと。

実は、会場に入るまでこうした歴史的コンテクストについてはほとんど頭になかった。むしろ、新作となるサントコフスキーの《2つの三味線のための協奏曲》で扱われる三味線の響きに関心があった。いや、正直にいえば、余計な文脈をあえて考えないようにしていたと言った方が良い。そこに私の耳が縛られてしまうことを避けたかったためである。けれども、プレトークにもあったように、あるいはこの新作でさえ、実はあの《鳥の歌》が作品の一要素になっていると知り、やはり作者、奏者のいずれにも見えるその自覚的な態度を抜きにしては考えられないことに気づいた。

それを考えるとなおさら惜しいことだが、少なくとも「第九」については期待に叶うものではなかったと言わねばなるまい。とりわけ、第1、2楽章。アンサンブルに締まりがなく、目新しさも感じられない。まるで、どこか気の抜けたソーダのような甘さ、生温さだ。もちろん、このオケの今回の日本ツアーの過酷なスケジュール —オペラ《トゥーランドット》の東京、滋賀公演に続き、オーケストラ単独の公演もこの日が最終日であったこと— を考えると、団員に疲れが見えても仕方のないことかもしれない。けれども、そうしたなかでも気を緩めない奏者もいたのだ。例えばチェロ。終楽章の初めに現れるレチタティーヴォなど、言葉を地に刻みつけるように一音一音をかき鳴らしていく。その主張は実に真に迫るものだった。あるいは、ティンパニの張り詰めた音。何度も胸に突き刺さってきた。彼らの熱の入った演奏には、幾分助けられた思いにさえなった。

だが、終楽章となると全く別物となる。というのも、独唱はいずれも世界一流の歌手、合唱も日本の精鋭たちを集めたもの。当然ながらその迫力は圧倒的だ。また、大野自身の指揮も終楽章にはやはり力が入る。響きの悪さを内外から常に指摘されるホールだけれども、その合唱は会場の中に充満してはち切れんばかりだった。

さて、注目した新作。解説を読む限り、三味線の研究は当然のこと、本作にインスピレーションを与えたという谷崎潤一郎の著作や日本の文化・思想を深く研究し、さらに大野の要請により《鳥の歌》の断片もいたるところに散りばめられているという。ただし、そうした創作の背景については曲を聞く前には読まないことにしているため —ただし、プレトークで多少の説明はなされていたが— 、実際に私の中に聞こえた音をもとに書きたい。

鳥の鳴き声、セミの声、風の音、森のうねり…。オーケストラを介して自然を描写するかのような音が行き交う。そうした中で三味線のバチを叩きつける音が異質なものとして飛び込んでくる。あるいは時折聞こえてくる節にはどこか懐かしさを覚えるが…。そうだ、あれは日本の音階を模したものに違いない。けれども、《鳥の歌》がかすかに響くその森は、やはり日本のそれではない。おそらくカタロニアに生まれた作曲者の心象風景であろう。が、そこに異郷からやってきた三味線の弄舌な語りが入り込み、景色を大きく変えていく様子は面白く感じられた。

ただし、三味線の音がマイクによって拾われていたのは残念だ。西洋弦楽器の伝統的奏法には現れない三味線特有の音と余韻は、やはり生の空気を通して聞きたい。土地の歴史、その風土をも掬い上げるのであればなおのこと。音量バランスを考えてのことであろうが…。であればこの際、オーケストラという既存の形態や協奏曲という伝統的な様式概念も、いい加減再考してみてはどうだろう。というのも、これまで何度も見てきたように、単に新たな音の一素材として、あるいは幾分うがった見方をすれば、単に「日本」を表象する題材でしかないように思えてしまうのである。

(2019/9/15)

〈Players〉—————————————
Kazushi Ono (General Producder/Conductor)
Yoshida Brothers (Shamisen)
Jennifer Wilson (Soprano)
Etsuko Kanoh (Alto)
David Pomeroy (Tenor)
Hidekazu Tsumaya (Bariton)
Tokyo Opera Singers (Chorus)
Barcelona Symphony Orchestra

〈Pieces〉
Fabià Santocvsky: Shamisen Concerto
Beethoven: Symphony No. 9 in D minor