ヴォクスマーナ第42回定期演奏会|齋藤俊夫
ヴォクスマーナ第42回定期演奏会
Vox humana 42nd regular concert
2019年7月30日 豊洲シビックセンターホール
2019/7/30 TOYOSU Civic Center Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 平井洋
<演奏> →foreign language
指揮:西川竜太
混声合唱:ヴォクスマーナ
<曲目>
湯浅譲二:『プロジェクション――人間の声のための』(2009委嘱作品)
杉山洋一:『サレルノ養生訓』(委嘱新作・初演)
夏田昌和:『りんごへの固執』詩:谷川俊太郎(委嘱新作・初演)
湯浅譲二:『声のための「音楽(おとがく)」』(1991)
(アンコール)
伊左治直:『彩色宇宙』詩:新美桂子
今回のヴォクスマーナは8月で90歳となる1929年生まれの湯浅譲二と、1969年生まれの杉山洋一、1968年生まれの夏田昌和、定番のアンコールに1968年生まれの伊左治直を並べ、それぞれの「未聴感」の世界を聴かせてくれた。
湯浅譲二『プロジェクション――人間の声のための』、様々な「sh」の音、舌鼓や破裂音など種々の「口を使っての声でない」音、口蓋の変化による母音や「ン」の音のグラデーション的変化、巻き舌、口を手で抑えて、その手を開閉しての音、等々、「通常の合唱曲にはない、人間が発声と発音によって現出する音」(湯浅のプログラムノートより)を声ではなく楽器のようにオーケストレーションした作品。メンバーは12人であるから同時に鳴る音は12個なれども、発声・発音法を考えると凄い数の「楽器」をオーケストレーションしたことになる。もちろん、通常の旋律・和声・歌詞・声部などはない。されど集団での音楽として見事過ぎるほどに完成されている。演奏会開始早々にとんでもなく複雑精緻な、合唱曲の範疇を超えた作品が現れた。
杉山洋一『サレルノ養生訓』、12世紀南イタリア・サレルノの世界最初の医学校のラテン語養生訓集をテクストに、当時のシチリアの賛歌冒頭の旋律を使って作曲した、とのことである。4場面からなり、約30分超の大作。
まず男女2人ずつのグループだけが舞台上におり、ドローンを歌唱する。そこに他の8人が明るく各自バラバラに歌いながら入場してくる。舞台上4人x3グループが祭りを思わせる賑やかさで、バラバラのようで調子外れのようで実はそうでない合唱を繰り広げる。ドローンの4人もまた歌詞を歌い出し、12人12声部かとも思われる物凄い喧騒の中、「アアアアアア!」のクレシェンドで第1部は終了。
第2場面は男女に分かれ、弱音でのレント。もしかすると「養生訓」であることと何か関係(夜は静かに早く寝るべし、のような)があるのかもしれない秘教的な空気が広がる。
第3場面は男女混合の2グループに分かれ、グループ同士で競い合うように合唱とソロもしくはソリが交互に歌われる。「当時サレルノを含む南イタリアは、ビザンチン、アラビア、ラテン文化などが混ざり合う文化の宝庫」(杉山のプログラムノートより)だったそうだが、ここでの発声方法は筆者にはビザンチンの聖歌のそれではないかと感じられた。また、歌手が他を煽ったり、嘆いたりするようなジェスチャーも演じられた。
第4場面は再び男女に分かれ、嘆き悲しむようなジェスチャーと共に中庸の音量・速度で悲しげな歌を。しかし、次第に「合唱」からも、隊列からも離れていくメンバーが現れてきて、あわや崩壊かと思いきや、じわじわとまた「合唱」が復活してゆき、最後は全員で「アー」の斉唱で全曲に了。
謎多く、意味はわからずとも、上質の舞台劇を見るような得難い体験をさせてもらった。
夏田昌和『りんごへの固執』は谷川俊太郎の同名の詩をテクストとした、「今回の演奏会の中では」最もスタンダードな合唱曲。ただし、この詩には「りんご」という単語が41回登場する。また、歌詞も旋律も声部もあるスタンダードな合唱曲ではあるが、とんでもない変拍子が延々と続き、声部の分割やハーモニーも変幻自在の極み。速いテンポで「りんご」「りんご」「りんご」「りんご」と「りんご」という単語が強調され反復され、こちらは強迫性りんご恐怖症にでもなりそうになってくる。終盤になって弱音のレントになり、「りんご」という単語も少なくなるが、「りんご」の存在感は決して薄まらず、粘っこい悪夢的な歌声がまとわりつく。最後の最後に「ついにりんごでしかないのだ、いまだに……」で長和音で終わってくれなければ本当に気がおかしくなっていたかもしれない。
プログラム最後は湯浅譲二『声のための「音楽(おとがく)』、口蓋、口唇の変化による発音のコントロールと、オノマトペを多用した歌詞(?)をオーケストレーションする、というのは『プロジェクション』とさして変わらぬコンセプトなれど、本作品は冒頭で「a—u—n—w—i—y–」とヴォカリーズを漸次的・連続的に変化させ、発声法も通常の合唱とは異なり、腹、喉、口、頭、色々な所から声を出す。やがて「ton ton ton」「hi fu hi fu hi fu」「la li la li la li la li」等のオノマトペ群が大量に現れ、先の漸次的なヴォカリーズや発声法と組み合わさってまたしても大変なオーケストレーションを成す。最後はどこか憂いを帯びたヴォカリーズへと至り、そこから女声1名がゆったりと舞うようにこぶし(?)を効かせてのディミヌエンドで了。
湯浅へのトリビュート的作品であるアンコールの伊左治直『彩色宇宙』は「sh」の発音、舌鼓、「dun dan」のオノマトペなど、ヴォイスパーカッション的なリズムパートがおそらく湯浅への献辞に当たるのであろう。そこにおもちゃのアヒルのような小さな奇声も加わり、ラテンアメリカ的で陽気な歌が繰り広げられた。
「未聴感」の世界はドグマチックな慣習と押し付けられた当為を捨てた音楽的自由の世界へと繋がる。その自由に一度触れたものは一種の「業」に取り憑かれる。すなわち、「誰も聴いたことも書いたこともない自分だけの音楽」への憧れである。人間がその憧れを抱ける限り新しい音楽は生まれ続けるであろう。
(2019/8/15)
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<players>
mixed chorus:Vox humana
conductor:Ryuta Nishikawa
<pieces>
Joji Yuasa:Projection for human voices
Yoichi Sugiyama:『サレルノ養生訓』
Natsuda Masakazu:『りんごへの固執』 (lyric:Shuntaro Tanikawa)
Joji Yuasa:『声のための「音楽(おとがく)」』
(encore)
Sunao Isaji: 『彩色宇宙』(lyric:Keiko Niimi)