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特別寄稿|観客の感情を調教するパパイオアヌーの『THE GREAT TAMER』(偉大なる調教師)|チコーニャ・クリスチアン

観客の感情を調教するパパイオアヌーの『THE GREAT TAMER』(偉大なる調教師)
Il domatore degli animi del pubblico Dimitris Papaioannou incanta con il suo THE GREAT TAMER(Il gran domatore)

text by チコーニャ・クリスチアン(Cristian Cicogna)
photos by Julian Mommert/写真提供:ロームシアター京都(プレス提供用/カーテンコールのみ京都公演の撮影)

2004年アテネオリンピックで開閉会式の演出を手がけ、世界的に注目されたディミトリス・パパイオアヌーがロームシアター京都で初来日公演

青白く、柔らかな明かりの下、畳サイズの無数の黒い板が舞台を埋めつくし、緩やかな丘を作っている。黒一色に染まった、がらんとしたその舞台を隠す幕がない。観客が入場する前から寝ころんでいた男が一人舞台の片隅で真っ裸になり、中央にある板を一枚ひっくり返し、白い裏面に仰向けに横たわり、死者を演じる。不思議なことに板が棺に見えてくる。黒っぽい服を着た別の男が斜面の裏側から現れ、死者を白いシーツで覆って退場するすぐにまた別の男が袖から登場し、板を一枚倒して、倒れた板が起こした風でシーツを飛ばしてしまう。その男が退場する間もなく、二番目の男がまた登場し、シーツを拾って再び死者に被せ、出ていく。この場面が十回以上繰り返される中、二人のパフォーマーのすれ違うタイミングが徐々に短くなる。これは、人間の生死のサイクル、あるいは死を拒否し生に執着する人間の心を表しているのだろう。

人類の歴史を語る旅の始まりは舞台の手前の板に置かれた一足の靴だ。さりげなく登場した男がその靴を履いて、歩こうとするが動けない。足を強く引っ張ると、植物を土から引き抜いた時のように長い根っこが靴底についている。男は逆立ちで板の上を動き回る。『THE GREAT TAMER』のテーマの一つ、人間と自然の深い関係を示している。

「ダンス、身体、観念を時間の中に置き、時の経過という試練を与える。」
パパイオアヌーのこの言葉の通り、当作品は十人のパフォーマーがパズルのごとく複雑にからみ合うことで作られている。唯一の白い照明に照らされた広い舞台を行き交う裸体はマネキンの分解されたパーツに見えてくる。三人のパフォーマーが一人の女性がハイヒールを履いて歩く姿を演じたり、複数のパフォーマーが戦闘で手足を失った兵士を演じたり、五、六人のパフォーマーが合体して部分的に素肌を見せることでギリシャ神話に登場する半神を演じたりして観客を魅了する。

軽業師のようにユーモラスと不気味の間を絶妙なバランスで行き来するパフォーマンスで緊張感を伝える無音の部分が極めて多い。ダンスらしいダンスもあまりない。一コマ一コマはっきり見える、スローモーションに似た身体表現。しかし、視覚的な連想で遊びたいというパパイオアヌーのパフォーマンスに明確な定義を与えることはできない。『THE GREAT TAMER』のコンセプトを考え、ヴィジュアル構成と演出を担当するパパイオアヌーは作品には観客の感情と知性に働きかける狙いがあると言う。

『THE GREAT TAMER』は、「時間は偉大なる調教師」というギリシャの諺に端を発し、古典芸術を再発見する旅となっている。ギリシャ出身のパパイオアヌーは古典芸術を否定しない現代アーティストで、ギリシャ神話から着想を得ている。豊穣の女神ケレス、冥府を司る神プルートに誘拐されて妻となったプロセルピナ、両腕と頭で天の蒼穹を支えるアトラス、風の神アネモイなどが登場する。全身をギプスで固定された若い男が松葉杖をついて舞台中央まで歩いてくると、別の男が腕の力でその男のギプスを少しずつ壊す。ギプスの男を自由にした男は世界の創造者であるデミウルゴスかもしれない。

美術を学び、画家になろうと夢見ていたパパイオアヌーはルネサンス、表現主義、シュルレアリズム、西欧芸術の巨匠に強く影響を受けたと言う。95分間のパフォーマンスの中でマンテーニャ、ゴヤ、ボッティチェッリ、エル・グレコ、ヤニス・クネリスの名作が人間の体と小道具を巧みに使って再現される。

真っ暗な海を泳ぐクラゲのようにくっきりと浮かび上がる白いひだ襟を付けた九人の役者が死体の置かれたテーブルを囲む。レンブラントの『デルフトのファン・デル・メール博士の解剖講義』の再現だ。博士役の男がメスを入れ、切り裂いた体から本物さながらの内臓を引っ張り出し、全員で肉や骨を貪り食う場面は非常にグロテスクで印象に残る。

舞台の丘のてっぺんから本格的な与圧服を着た宇宙飛行士が二人現れる場面でようやく音楽がかかる。減速されたヨハン=シュトラウス二世のワルツ『美しく青きドナウ』だ。SF映画のように覚束ない足取りで斜面を降りてくる宇宙飛行士の荒い息が劇場に響き渡り、観客を不安にさせる。板が重なり合った鉛色の舞台がクレーターのある月面に見えてくる。一人目の宇宙飛行士が舞台中央にたどり着くと、手で穴を掘り、隕石の欠片を掘り出す。その後、ボロボロの白布をまとった裸の男を穴から引っ張り出すと、宇宙帽を脱ぎ捨て(女性の顔が現れる)、その男の体を自分の膝に乗せる。ミケランジェロのピエタだ。

この作品で使われる音声は『美しく青きドナウ』のみ。部分的に流され、突然切れてしまう。パパイオアヌー曰く、誰もが知っている曲を中断させながらかけることで、時間が引き延ばされ、テンションが生まれ、いくばくかのユーモアも引き起こす効果があると。

筆者は舞台開口部より少し低い四列目の真ん中あたりで見ていたのだが、すべてが生み出される丘を見上げる感じがした。この目線は演出家のものとほぼ一致する最高の場所だった。上席から舞台を見おろしていたら、出演者が出てくる穴が見え、端の席だったら、立てた板の後ろに隠れている役者の姿が見えて、楽しみを奪われたかもしれない。

息を呑むほどの名画の美しい再現。緊張感あふれる彫像のように見える身体表現。それらは十人のパフォーマーの素晴らしい演技と身体能力のおかげだ。しかし、大きな役割を果たしているのは舞台を覆う無数の薄い板だった。時が止まったかのような動きのない瞬間があるかと思えば、素早い場面転換が行われるのが、この作品の最大の魅力だ。まるで生き物のように自由自在に動く柔軟な黒い板は様々なものになる。荒れた海の高波、外敵に攻撃された都市の城壁、耕された畑、死体安置所、ナルキッソスが水面に映った自分に口づけをしようとして溺死した泉、小さな動物の子どもが次から次へと出てくる巣、人間が到達した月面、骸骨がきれいに保存されている墓。何枚もの板がひっくり返され、飛ばされ、壊され、その上役者が出没する穴だらけの戦場になるにもかかわらず、役者たちが動きまわる舞台は奇跡的に再生され、新しいものに生まれ変わる。

せわしなく服を脱いだり着たりする登場人物。サーカスのような重力に抗うアクロバット。ボールのように舞台を転がる絡みついた男女の裸体。舞台のそこかしこでいくつものストーリーが展開していく。平田オリザの芝居で同時に交わされる自然な会話の中でどの話に耳を傾けたらいいのか戸惑ってしまうのと同じように、『THE GREAT TAMER』も肝心なところを見失っているのではないかと、見る者を不安に陥れる。しかし、それは無論パパイオアヌーの狙いで、実に彼は観客の感情を調教しているのだ。

時の考古学者のように過去から記憶の断片を発掘し、エロスとタナトスのドラマを表現するパパイオアヌー。しかし、人間は偉大なる調教師である時を止める方法を知らない。時が流れ、季節が巡っていく。

舞台にしつらえられた緩やかな丘の裏から黄金色の矢が雨のように放たれる。矢羽の代わりに稲穂がついている。矢が板に刺さり、風になびく一面の小麦畑を表現する。役者全員が舞台上にそろって矢を収穫し、泉のそばにある鉢に入れて立ち去る。すると、鉢を抱えたケレスが丘のてっぺんから振り向く。舞台の中央では男が流砂に飲みこまれ、姿を消す。

照明が段々と落とされていく中、男が息を吐きかけて、薄い一枚の金箔を宙に浮かせつづける。男の息のリズムに合わせてゆらめき浮遊し、やがて闇に消えてゆく金箔はまるで人間の魂のようだ。

すべては生命の迫力とともに人間の儚さを伝える『THE GREAT TAMER』のメッセージなのだろう。

『THE GREAT TAMER』
Ideazione e regia: Dimitris Papaioannou
Performers: Pavlina Andriopoulou, Costas Chrysafidis, Dimitris Kitsos, Ioannis Michos,Ioanna Paraskevopoulou, Evangelia Randou, Drossos Skotis, Christos Strinopoulos, Yorgos Tsiantoulas, Alex Vangelis
Musiche: Johann Strauss II, An der schönen blauen Donau, Op. 314

(2019/8/15)

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チコーニャ・クリスチアン(Cristian Cicogna)
イタリア・ヴェネツィア生まれ。
1998年にヴェネツィア「カ・フォスカリ」大学東洋語学文学部日本語学・文学科を卒業。現代演劇をテーマに卒業論文「演出家鈴木忠志の活動および俳優育成メソッド」を執筆。卒業直後に来日。
日本語及び日本文学への興味は尽きることなく、上記「カ・フォスカリ」大学に修士論文「『幻の光』の翻訳を通して観る宮本輝像」を提出し、修士号を取得。
SCOT(SUZUKI COMPANY OF TOGA)の翻訳及び通訳、台本の翻訳に字幕作成・操作をしながら、現在、大阪大学などで非常勤講師としてイタリア語の会話クラスを担当している。

研究活動に関する業績
・“Il rito di Suzuki Tadashi(鈴木忠志の儀式)”、イタリアの演劇専門誌Sipario、ミラノ、2006年
・“From S Plateau”(演出家平田オリザの演劇について)、Sipario、2007年
・“Ishinha”(劇団維新派の活躍について)、 Sipario、ミラノ、2008年
・Bonaventura Ruperti, a cura di, Mutamenti dei linguaggi nella scena contemporanea in Giappone
・ボナヴェントゥーラ・ルペルティ監修『日本の現代演劇における表現の変化』(カ・フォスカリーナ出版、ヴェネツィア、2014年)において、第三章「鈴木忠志:身体の表現」、第八章「平田オリザの静かな演劇」を執筆。