音楽にかまけている|インスブルック古楽祭での《メローペ》蘇演|長木誠司

インスブルック古楽祭での《メローペ》蘇演
Merope in Innsbrucker Festwochen der alten Musik

text by 長木誠司(Seiji Choki)

インスブルック古楽祭は今年で43回を迎える。今年は、この街の宮廷楽士長であったピエートロ・アントーニオ・チェスティの没後350年ということで、そのオペラ《ラ・ドーリ》が蘇演されたが、それと並んで白眉と言えるのは、リッカルド・ブロスキ(1698頃-1756)のオペラ《メローペ》(全3幕)が蘇演されたことだろう。8月7日が初日だったが、2回目の9日の公演を観る(全3回公演)。

リッカルド・ブロスキはカルロ・ブロスキの兄に当たる。と言ってもピンとこないひとがもしかするといるかも知れないが、カルロ・ブロスキは別名ファリネッリ。もちろん、一世を風靡したカストラートである。かつて話題を呼んだ映画『カストラート』(原題『ファリネッリ、イル・カストラート』は1994年の制作だから、すでに四半世紀も前の話になるが、あの映画で主人公のファリネッリと行動を共にしていた作曲家がリッカルド・ブロスキである。この映画制作当時、ファリネッリ用に作曲されたオペラ・アリアはまだ歌えるカウンターテナーがいなくて、IRCAMの最新技術を駆使してソプラノの声と合成し、ようやく映画のなかでのファリネッリが自然に歌っているようにしたことも有名だったが、それから四半世紀のうちにカウンターテナーの技術が長足に伸びて、実際に歌える若手がどんどん出てきた。それゆえ、忘れられていた、あるいは演奏できなかったバロック・オペラが数多く蘇演されるようになったが、今回のインスブルックでの蘇演もその流れのなかのひとつではあるものの、同時にようやくリッカルド・ブロスキという作曲家のオペラ作家としての再評価が可能になる画期的な機会となった。

《メローペ》の台本は、もともとアポストロ・ゼーノがフランチェスコ・ガスパリーニのために書いたものだが、バロック時代ゆえにその後いろいろな作曲家が変更を加えながら曲を付けている。そのなかのひとつ、ヴィヴァルディが過去の音楽を利用したパスティッチョとして書いた《メッセニアの神託》のウィーンでの再演版がファビオ・ビオンディによって復元され、2015年に神奈川県立音楽堂で日本初演されたのは記憶に新しい。その作品とほぼ筋書きは同じなのだが、例によって非常にややこしい。

© Foto: Rupert Larl
インスブルックの《メローペ》公演より

メッセニアの王クレスフォンテをアナッサンドロをそそのかして殺害させ、その后であったメローペと結婚して王位を継承しようと企んだポリフォンテが話の起こし手。メローペは10年待つように願うが、その期限が近づいている。クレスフォンテとメローペの息子エピティーデは逃げおおせてエトルリアの王の娘アルジアと婚約しているが、それを知ったポリフォンテはこのアルジアを誘拐し、エピティーデをおびき寄せようとする。ポリフォンテはクレオンと名乗ってメッセニアに忍び込むが、街を脅かしている怪物(イノシシ)を退治したものが王家の血を継ぐ囚われ人と結婚するだろうという神託を知って、イノシシ退治に出かけ、見事仕留めてアルジアとの結婚の権利を得る。アルジアはやがてこの勇者が自分の本来の許嫁であることを知るのだが、もう少しややこしい展開があった末に最終的にはエピティーデは父殺しの復讐を果たす。

ブロスキの音楽は、もちろんファリネッリのために書いたエピティーデのパートをはじめとして、当時のベルカントの装飾技巧を目一杯に開放した難曲が多いが、その一方で非常にメロディアスであり、長大なアリアも今の時間感覚で聴いてまったく遜色ない。

© Foto: Rupert Larl
インスブルックの《メローペ》公演より

また、例えば2幕が始まってすぐに歌われるメローペのアリアは、オーボエのオブリガートがついているが、声と交わる形での楽器法の巧みさも今回の上演で認識された。さらに、数々のアリアのなかの頂点とも言える難技巧の曲、エピディーテがアナッサンドロの偽証に怒りをぶちまけて歌う第2幕幕切れのアリアは、オーケストラが鮮やかに総動員されるなかで(トランペットの勇壮なリズム音型が印象的だ)、急速な3連符を長く続け、また最後のカデンツァでは超低音から一気に2オクターヴほど駆け上がるゼクエンツを持つもので、ブロスキ兄弟の真骨頂とも言え、これを今回壮絶に歌ったオーストラリア出身のカウンターテナー、デイヴィッド・ハンセンは熱狂的な喝采を浴びていた。
アレッサンドロ・デ・マルキの指揮する古楽祭オーケストラは、線の太いはっきりした音楽作りをし続けており、この曲を含めて全体的に積極的で果敢な表出意志の聞こえる場面が多かった(楽員の配置も、チェンバロを弦楽器がぐるりと囲むようなもので、作品成立当時のピットを再現している)。

© Foto: Rupert Larl
インスブルックの《メローペ》公演より

今回の上演は演出に関しても「歴史的な情報を得た」舞台が試みられており、例えば照明は当時の蝋燭照明を意識してあえて暗い感じに抑え、色調も限られている。舞台装置も遠近法を活かした当時のものを再現する。そして肝心なのは歌手の動作や顔の表情で、ことに歩き方、あるいは手の動かし方にアフェクトに対応した当時の一定の型が当てはめられながらの演技が続いた。

© Foto: Rupert Larl
インスブルックの《メローペ》公演より

幕が終わるごとに、6名のダンサーによるバレエが入る。これも当時の上演習慣に基づくもので、そこはブロスキの音楽ではない。例えば、第1幕と第3幕のあとにはジャン=マリー・ルクレールのバレエ曲が入り、ことに第1幕のあとのバレエはバロック・ダンスの型を踏まえたものだった。第2幕のあとのバレエはカルロ・アレッシオ・ラゼッティによるもので、ここはコンメーディア・デッラルテの衣装による寸劇的なものだった。本幕で用いられていた、討ち取られた怪獣イノシシの首がうまくネタに用いられて楽しかった。

© Foto: Rupert Larl
インスブルックの《メローペ》公演より

こういう形で進められるので、2回の短い休憩を入れて全体は5時間半に及んだが、音楽を楽しみ、技術を楽しみ、そしてドラマを楽しみ、ついでにバレエで息を抜くという贅沢な時間であった。

翌日の10日には、「ファリネッリとほかのヒーローたち」というタイトルで、レジデンツのなかの大広間を用いてカウンターテナーのヴァレル・サバドゥスのリサイタルが行われた。これは大人気で早々にソールド・アウトの演奏会だったが、ヴィヴァルディやカルダーラ、ポルポラ、ヘンデルといった作曲家たちがファリネッリをはじめとするカストラートのために書いた作品を集めたプログラム。やはり広い声域を誇るサバドゥスの情の深く、技術の高い歌い口を堪能した。

ヨーロッパの古楽世界には、今さまざまな冒険がひしめいている。こうした蘇演もそのひとつだが、それを支える演奏家が次々と出てきて、聴くたびに顔ぶれが更新されているのがよく分かる。世代交代ではなく、いくつもの若い世代が次々と現れては年長組と共存していきながら、新たな取り組みや忘れられたレパートリーの復活にチャレンジしている。
古楽は相変わらず「新しい」。この「新しさ」に日本がまったくついて行けていないのがもどかしい。こちらで活躍する日本人の古楽演奏家は驚くほど多く、そして活動も多彩だというのに。

(2019/8/15)

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長木誠司(Seiji Choki)
1958年福岡県出身。東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論)。音楽学者・音楽評論家。オペラおよび現代の日本と西洋の音楽を多方面より研究。東京大学文学部、東京藝術大学大学院博士課程修了。著書に『前衛音楽の漂流者たち もうひとつの音楽的近代』、『戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス』(作品社)、『オペラの20世紀 夢のまた夢へ』(平凡社)。共著に『日本戦後音楽史 上・下』(平凡社)など。