パリ・東京雑感|<黄色いベスト>の効用 Salutary effect of Yellow Vest protest | 松浦茂長
<黄色いベスト>の効用
Salutary effect of Yellow Vest protest
text by 松浦茂長 (Shigenaga Matsuura)
photos by コリン・コバヤシ(Kolin Kobayashi)
去年11月17日に始まり、そろそろ終息の気配がうかがえる今頃になって、<黄色いベスト>について書くなんて間が抜けているけれど、矢張り書いておかなくてはいけない。
4月初めにパリに来て意外だったのは、どことなく町の空気が落ち着いて、不安、緊張が感じられないことだった。機関銃むき出しでテロを警戒する兵士を見かけなくなったせいだろうか?それだけではない、ベールを被ったアラブ人への苛立ちとか、子沢山の移民への不満とか、ギスギスした声が目立たなくなり、フランスらしい陽気で気楽な雰囲気が戻ってきた。もしかしたらこれ、<黄色いベスト>の効用では?いままで全く無視されていた人達のデモが、社会の亀裂をわずかでも埋めるのに役立ったのではないだろうか。
正直のところ、日本にいる間、僕は<黄色いベスト>運動に興味が持てなかった。大勢が団結して闘うには、人を引きつける夢や理想がなくてはいけない。改革の闘いは、ガンジーの行進やキング牧師の集会のように、たとえ生命の危険を伴うにしても、精神を高揚させる晴れがましいものであるはず。地球温暖化を防ぐための自動車燃料税に反対、というのではわくわくするデモにはなりそうに思えない。高校生の時から、デモに紛れ込んだ政治過熱世代の偏見かも知れないが……。
モスクワ特派員時代は、毎週のように、ゴルバチョフを支え、民主主義を実現しようと数万人規模のデモがあった。デモのリーダーだったミーシャに聞くと「必ずKGBから紛れ込んだのがいて、『クレムリンに突入して、ゴルバチョフを誘拐しよう』などと扇動します。彼らをどうやって押さえ込むかに一番神経を使う。胃が痛くなります」と言っていた。それにくらべ、<黄色いベスト>のでたらめぶりはどうだ。高級レストランや銀行を襲撃するのはまだ分かるとして、仕事がきつくて稼ぎの少ない新聞スタンドを襲ったり、病院になだれこんだり、まるっきり統制をとろうとする意志がみられない。これでは警察の実力行使を誘導するようなものではないか(権力の手先がデモに紛れ込んで?)と思えるほどだった。
そこで、パリに着くやいなや、いつも通り空港に迎えに来てくれたジルに、「社会を変える力のある運動には、参加者の心を日常と違う次元に高め、強めてくれる不思議な力があるものだよ。<黄色いベスト>にはそれが感じられない」と言ってみた。彼は<黄色いベスト>シンパに違いないが、何も反論せず、次に会ったとき、「<黄色いベスト>は、税を減らせと要求しているのではない。公正な税を要求しているんだよ。」と言って、作家ダニエル・サルナーヴの『悪ガキ、黄色いベスト』という小冊子をくれた。(Danièle Sallenave, JOJO, LE GILET JAUNE)
<黄色いベスト>はどんな人達か?田舎にピクニックに行くと、教会を囲む石造りの美しい町の外に、新建材を使った同じ形の建売住宅が並んでいるのを見かける。彼らはこの手の新築庭付き一軒家に住み、多くは2台の車を持っている。都市の住宅が高すぎるので、遠くに住めば暮らしが良くなると考えたが、ちっとも良くならなかった。しかも、隣同士口もきかない。パリだったら、寂しいときはカフェに行けば良い。わが家の周りも徒歩5分以内に8軒のカフェがあり、朝から晩までお喋りが絶えない。ところが、町の外の新興住宅地にはフランス式生活スタイルの象徴であるカフェもなく、人々は孤独なのだ。
政治に無関心、ましてデモなど一度も参加したことのない、孤立した人達が、<黄色いベスト>を着て、交差点のロータリーに集まり喋り始めた。職業は、看護師、病院の清掃、左官など様々、考え方も右から左まで幅が広い。
ラジオで<黄色いベスト>の常連になった女性の声を聞いた。「人の前で何かをしゃべるなんて考えたこともなかったんです。でも、皆の意見を聞いているうちに、私も何か言えるような気がして、勇気を出して手を上げました。その時から私は変わったように思う。自分はゼロじゃない。皆と一緒にやって行く喜びと自信を感じるようになりました。」と、淡々と語っていた。<黄色いベスト>に集うことが、生活に失望した孤独な人たちに人生の手応えを感じさせてくれたのだ。
働きながら大学で学ぶ20歳のメリッサも生まれて初めてデモに参加したひとり。6ヶ月の闘いを総括して「<黄色いベスト>運動は私の心を開いてくれました。自己中心でなくなり、他人や年上の人に注意を向けるようになった。成熟したのかな。皆と議論したおかげで、ありとあらゆる貧困や不幸を意識するようになりました」と、ときどき声を詰まらせながら語った。(『ルモンド』5月17日)
ジルは、1968年の五月革命のとき、町の至る所で見ず知らずの相手と話し合ったあの解放感を思い出したそうだ。<黄色いベスト>を通じ、いままで全く無視されていた人達が声を上げ、共感の輪が広がったのである。
そう言えば、天安門事件直前、北京の町を歩くと、至る所で、店員、学生、ホテルのボーイなどありとあらゆる市民が、果てしなく議論していた。人間が奪われた尊厳を回復しようとする強い衝動が支配するとき、日常の壁が破られ、見ず知らずの人間同士の対等の会話が成立するのだろう。
フランスでは町の中の道路の最高速度は50キロ、町の外は90キロだった。最近その90キロを80キロに下げたのが<黄色いベスト>には気に入らない。車線もない細い田舎道を90キロで飛ばすのは、僕には恐怖だから、80キロへの改正に感謝感激。<黄色いベスト>がスピード狂に思えた。そのうえ、彼らは、高速道路に沢山設置されたスピード違反のレーダーを破壊した。レーダーによる罰金徴収が徹底したため(僕も2回引っかかった)、130キロで走ってもビュンビュン追い抜かれる恐怖から解放されたのに……。
高校教師のフレデリックに「田舎道の90キロは賛成できない」と言うと、「僕も同感。でも、ノルマンディーにいる甥は、毎日子供を40キロ離れた保育園に運ばなければならない。時速10キロの違いは大きいよ。」と、地方で生活する人の気持ちを代弁してくれた。パリで暮らすと、路面電車の路線が増え、レンタル自転車やレンタル電気自動車が道路に並べられ、排気ガスの多い古い車は規制され(光化学スモッグが出ると僕の車は走行禁止)、脱車社会の政策を肌で感じる。フレデリックもノーカー族だし、パリ市の環境政策に異議はない。しかし、田舎には2台の車を持ち90キロで走り回らなければならない事情がある。<黄色いベスト>から見れば、<環境>は都会エリートの贅沢。「温暖化対策と称して燃料税を増やされると、私たちは食費を削らなければならない!」地方生活者の本音が、初めて大きなうねりになったのである。
昔のフランス映画にはいささか頑固で、人情厚く、きらっと人生の知恵が光る庶民が魅力的に描かれていたが、サルナーブによると、「過去30年間に、庶民的振舞、庶民的娯楽、庶民的態度は基本的に消滅した。農村の崩壊、工業の凋落、消費主義・テクノロジー支配による生活様式の画一化がこの巨大な変化をもたらした」のである。こうして現代社会は庶民の姿を見えなくしてしまった。姿なき、声なき階層の成立だ。
サルナーブは、さらにチェコの哲学者ヤン・パトチカを引用し「全体主義の暴力社会と民主主義社会に違いはない。どちらも欲求の満足という次元に閉じ込められているからだ。一方は人民を欠乏状態におくことで服従させ、他方は消費という蜃気楼を追いかけ、手に入らないとたちまちフラストレーションに陥らせることで服従させる。カネと羨望と利潤の支配だ。」と決めつける。
フレデリックはこのからくりを分かりやすく解き明かしてくれた。「昔と違って、普通の人達は幸福を測る物差しが、<何を持っているか>だけになってしまったんだ。大きなテレビ、新車、スマートフォンの新モデル。僕のように、車はないし、テレビは古くて小さいのでは不幸にしか見えないね。」
<黄色いベスト>の人達の不幸の根は、この消費社会の巧妙な罠にあるのではないか?しかし、彼らは、ネオリベラル経済を批判し、それに変わる経済社会のビジョンを掲げるのは自分たちの仕事でないと考えている。要求はホームレス・ゼロ、公正な累進課税、最低賃金1300ユーロなど経済的公正を目指すものが中心で、文化や教育に関する要求はひとつもない。でも彼らの怒りは、もっと深いところから出ているのではないか?サルナーブは<黄色いベスト>の徹底したラディカル性のなかに、その可能性を感じ取っている。<黄色いベスト>はリーダーを認めない。左や右の政党が、彼らの主張をくみ取ってビジョンを示すのを許さない。<上から来る>言葉の拒否=権力・決定の垂直性拒否こそ彼らの真骨頂だ。
<黄色いベスト>とは何か?それは「フランス人が決して耳を傾けようとしなかった範疇の人々によって突きつけられた正義、尊厳、平等の要求である」とサルナーブは結論づけている。
それにしても感心するのは、土曜日ごとにシャンゼリゼーの商店がシャッターを閉ざすほどのデモの荒っぽさに目を奪われず、人種主義や女性蔑視のスローガンも非本質的な逸脱として大目に見たフランス人の寛容さだ。(ただし警察は寛容どころか、ゴム弾で少なくとも23人が片目を失うほどの手荒さだった)。僕などは、朝早くルーブルに行ったのにストで入れなかったとか、プールがストで閉じていたとか、小さな不便にもいちいち動揺して気分が悪くなるくらいだから、あの寛容と忍耐は、到底真似できない。<革命の祖国>の民には、混沌とした怒りの爆発の中から、社会を変えるポジティブなメッセージを読み取る思いやりと度量が備わっているのだろう。またデモする側も、大勢の市民に暖かい目で見守られているのを感じ、ナショナリズムや反移民の脇道に逸れる危険から守られるのだろう。
フレデリックいわく「欧州議会選挙でマクロンの党が健闘したから、<黄色いベスト>は闘った甲斐がなかったと失望したかもしれない。でも、議会制民主主義がうまく行かないときは、市民が立ち上がれば良いということを思い出させたのは大した成果だよ。」ラジオでは政治学者が「革命精神の復活」を論じていた。「革命精神」も結構だけれど、プールに行くたびにストの心配をしなければならない国に住むのは、日本人には少々しんどい。
友人のコリン・コバヤシ氏から人間味あふれる写真と情報を提供していただきました。
(2019年6月29日)