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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 東京公演|佐野旭司

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 東京公演

2019年5月28日  サントリーホール
Reviewed by 佐野旭司 (Akitsugu Sano)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)撮影日5/30

<演奏>
指揮:アンドリス・ネルソンス
ヴァイオリン:バイバ・スクリデ
管弦楽:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

<曲目>
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op.77
(ソリストによるアンコール)
ウェストホフ:ヴァイオリン・ソナタ第3番より第3楽章『鐘の模倣』

チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 op.64
(オーケストラによるアンコール)
メンデルスゾーン:序曲『ルイ・ブラス』op.95

 

今回で25回目となるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演。今年は5月27日~6月2日に5回演奏会を開いたが、中でも5月28日はヴァイオリニスト、バイバ・スクリデをソリストに迎えての演奏だった。

本公演は、まずショスタコーヴィチの『ヴァイオリン協奏曲第1番』で幕を開ける。この曲の第1楽章はある意味で表現が難しいといえるかもしれない。曲の内部の区分は明瞭でなく、無限旋律的である。しかもその旋律は常に表情が暗く、いわば絶えず闇の中を漂うような音楽で、表現の仕方を工夫しなければただ辛気臭いだけの音楽になってしまうだろう。余談だがおそらくこうした特徴が、作曲当時ショスタコーヴィチが共産党の批判を恐れてこの曲を発表できなかった理由の1つと推察できよう。
この公演では旋律をもっと表情豊かに奏していれば、この曲の神秘的な魅力を引き出せただろう。ただ独奏もオーケストラも、個々の楽器の音色が美しく、それがそうした点をカバーしていたといえる。表情の豊かさが足りないという傾向は、後述のチャイコフスキーでも気になるところであった(特に第2楽章)。もしもショスタコーヴィチの曲がこのヴァイオリン協奏曲ではなく、甘美な緩徐楽章を含む曲(例えば『交響曲第5番』や『ピアノ協奏曲第2番』など)であったら、この「弱点」がもっと際立っていたかもしれない。
他方第2~4楽章のように、ホモフォニックで力強く決然とした曲想を基本とした曲では、まとまりがあり重厚な響きを作り出していた。
ただ、第3楽章では声部間のバランスの悪さもいささか気になった。この楽章では冒頭旋律がオスティナートとして曲全体で反復される。そうした例は同じ作曲家の、創作時期が近い作品では『交響曲第8番』第4楽章に見られる。しかしこちらでは常に低弦がオスティナートを担うのに対し、この協奏曲では様々な楽器が奏する。この演奏では、低弦がそれを担う際には音が弱すぎ、逆に管楽器の時は自己主張が強めな時があり、このオスティナートが曲を背後で支えるのにうまくいっていないと思うことがしばしばあった。
また第2楽章では独奏楽器による重音奏法が目立つが、今回はどちらかといえばそれが柔らかい音色という印象であった。譜面を見ると、作曲家はもっと金切り声で叫ぶような響きを求めていたように想像できる。しかしもしそうだとしても、作曲家の意図に即した演奏だけがすべてではない。この演奏はソリストの長所を活かしたという点で、成功したといえるのではないだろうか。

この協奏曲の後、ソリストのアンコールとして、ウェストホフの『ヴァイオリン・ソナタ第3番』より第3楽章が披露された。ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフは17世紀後半のドイツの作曲家、ヴァイオリニストでヴァイオリン・ソナタを6曲残している。中でも今回演奏した第3番の第3楽章は《鐘の模倣 Imitatione delle campane》というタイトルがついており、ヴァイオリンは常に32分音符による旋律(主に分散和音)を奏する。
本来は通奏低音(ヴィオローネ、もしくはチェンバロによるtasto solo)を伴う曲だが、今回は無伴奏ヴァイオリンでの演奏。一音一音丁寧で緻密さが感じられ、それによりこの曲の魅力の1つである和声的特徴がよく伝わってくる。またメリハリのつけ方も見事であった。ただ弱奏の際には音に芯がなく、かすれたような音色になってしまったのが残念なところだ。

プログラム後半はチャイコフスキーの『交響曲第5番』。こちらもショスタコーヴィチの時と同じような長所と短所が感じられた。
第2楽章では同じ旋律を複数の声部で反復したり複数の旋律を同時進行させたりする部分が多いが、それらが必ずしも均等とはいい難く(許容範囲内かもしれないが)、ポリフォニックな特徴が今一つ伝わってこなかった。
バランスの問題については第3楽章の中間部も同様である。ここでは16分音符の旋律を、楽器を変えながら奏し、特に途中からはヴァイオリンとヴィオラによるかけ合いが中心となる。この箇所ではモーツァルトの『協奏交響曲』(K.364)の独奏パートのように、2つの楽器の音色的対比を際立たせるのが望ましい。しかし今回の演奏ではヴィオラの音が弱く、音色的特徴を十分に反映していなかったのが残念である。演奏においてこのような構造的特徴に顧みることは、作品の魅力を引き出すうえで大切であろう。そうした緻密さがこのオーケストラあるいは指揮者に求められるのではないだろうか。
一方で第2楽章の循環主題の部分や第3楽章の主部、および第1、4楽章のような、ホモフォニーを基本とした部分は、安定感やまとまりがある演奏だったといえよう。

そしてオーケストラのアンコールでは、そうした良さが十分発揮されていたといえる。曲目はメンデルスゾーンの序曲『ルイ・ブラス』。金管による荘重なコラールと、テンポの速い決然とした旋律からなる作品である。これまで述べてきたオーケストラの長所が活かせており、またライプツィヒのオーケストラということもあり、アンコールとしては最適な選曲であろう。
また公演全体としても、プログラム本体がロシアの作品で、アンコール2曲がドイツの作品という対比も興味深かった。

(2019/6/15)