東京・春・音楽祭2019 ベンジャミン・ブリテンの世界III|藤原聡
東京・春・音楽祭2019 ベンジャミン・ブリテンの世界III~20世紀を生きた、才知溢れる作曲家の肖像
2019年4月7日 東京藝術大学奏楽堂
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
photos by 宮川舞子/写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会
〈曲目・演奏〉
ベンジャミン・ブリテン
『夜の小品』
『金曜日の午後』 op.7より
1.うっとうしい悩みよ、去れ
3.カッコウ!
12.オールド・アブラム・ブラウン
『聖チェチーリア賛歌』 op.27
『ハープのための組曲』op.83
『キャロルの祭典』op.28
企画構成・ピアノ・指揮・お話:加藤昌則
ハープ:山宮るり子
合唱:ハルモニア・アンサンブル
合唱指揮:福永一博
東京・春・音楽祭において2017年より5年計画で進行している「ベンジャミン・ブリテンの世界」。確か昨年の第2回のレビューにも同様の趣旨の事を記したが、一部の曲――戦争レクイエムや『4つの海の間奏曲』、そして青少年の管弦楽入門辺り?――以外は未だ熱心なファンしか聴いていないであろうブリテンの作品。このシリーズはそんなブリテンのいわば「奥座敷」たる室内楽やピアノ曲、そして声楽曲をもっぱら取り上げているのが素晴らしいのだが、今年は遂に合唱作品がメインに据えられ『聖チェチーリア賛歌』や『キャロルの祭典』が演奏される。名前はそれなりに膾炙しているだろうがこれらの傑作を実演で聴く機会は極めて少ない。それだけに、既にブリテンの魅力に開眼しているファンは言うに及ばず、「聴いたことのあるのはほんの一部の曲だけ」という方にも強烈にお薦めしたいコンサートであった。
1曲目は加藤昌則のソロによる『夜の小品』。これはブリテンが書いた唯一のソロ・ピアノ曲(6分程度)で、リーズ国際ピアノ・コンクールの課題曲として委嘱されたものだという。しかしここには紛れもないブリテンの個性が刻印されており、終始ゆったりとしたテンポで明快な旋律形を描くことなく一見不明瞭に雲の如く漂うこの音楽は、もちろん調性を伴うものでありながら全く独特の世界を形作る。この「ブリテンの独自性」と言うものは、いわゆる前衛でもなければしかし単純な保守でもない。ぽつんと単独に存在する北極星のような存在と形容したい。これはいかにも大陸から離れたイギリス的な属性とも言えようが、そんな単純な話でもない。ブリテンを聴くたびに思うのはこの曰く形容し難いユニークさである。昔の価値観で捉えればこの手の「どっちつかず」さこそが堪らない魅力と言うべきか。この演奏は極めて精妙な響きのコントロールを以って楽曲のテクスチュアをていねいに彫琢したものであった。好演。
次はブリテンがプレタティン市のクライヴ・ハウス・スクールで校長を務めていた兄ロバート・ブリテンのために1933年から1935年にかけて書いた子供のための合唱曲集である『金曜日の午後』からの3曲抜粋(女声合唱・ピアノ)。この1曲のみ指揮を執った福永一博の元、一見シンプルなこれらの子供向けの作品から決して単純ではないその様相をあぶり出していた。第1曲こそ単旋律の純朴さが際立つが、反復される「カッコウ」との歌声の中でソロが飛翔する第3曲、そしてカノンの書法による第12曲、と子供向けの作品とは言いながらも決して高踏的にならない程度にいかにもブリテンらしい工夫というか遊び心が散りばめられ、とにかく聴いていて楽しい。先に記したようにここでは女声合唱によって当曲が歌われていたが、その清廉で軽やかな歌声は実に見事なものだった。
そして前半はW.H.オーデンの詩によって書かれた無伴奏合唱曲(混声)の傑作『聖チェチーリア賛歌』(指揮は加藤氏)によって締めくくられた。当日の同氏による解説にもあったが、この3部から成る作品ではそれぞれ最後に同じ歌詞が繰り返され、そして冒頭に現れる旋律がその都度繊細に変化して登場する。第3部ではオスティナートの音型がバスに出現するのだが、これをも含めての先に書いた「繰り返し」は、言われればそれと気が付くものの注意力が散漫な状態で聴くと恐らくは分かりにくいような形で処理されている。これを加藤氏が本演奏の前にピックアップして演奏してくれたお陰で、本作品をより興味深く聴くことが可能になったのだが、ハルモニア・アンサンブルによる歌唱はピッチもよく合い、それでいて機械的な正確さのみに陥ることのない表情の豊かさを聴かせて大変に素晴らしい。
休憩の後はハープのための組曲というこれまた珍しい曲から開始される。プログラム解説によればブリテンのハープ・ソロのための作品は「キャロルの祭典」の間奏曲とこれの2曲だけとのこと(とは言え普通は2曲すら書かないだろうから「2曲も」とすべきか)。これもまた本演奏前に山宮さんと加藤氏がハープの仕組みについて説明を。筆者は本作をここで初めて聴いたのだが、ハープという楽器の表現の可能性が深く追求された作品だと分かる。広い音域と俊敏なアルペジオ、トレモロが活用され、全5曲での楽想の多彩さも特筆に価する。山宮の余りに滑らかな技巧は演奏前に試奏した際に説明したハープという楽器の仕組みに由来するであろう極めて独特な難しさを全く感じさせないもので、その意味で特筆すべきハーピストと言うべきではないか。
最後の『キャロルの祭典』。元来は少年合唱とハープのための作品だが、ここでは混声合唱による。本作品は最初と最後にグレゴリオ聖歌が歌われるのだが、本来は無伴奏で歌われる最初の歌は今回伴奏付きで、そして最後は無伴奏で歌いながら退場、最後に「アレルヤ」の声だけが残される。これが何とも味わい深いもので、最後の歌とその演出効果は言うに及ばず、最初の歌もいかにもブリテン的にモダンな伴奏が施されていてこの「ミス・マッチ」(良い意味で)に痺れる。あるいは本編中では「そのようなバラはない」での清澄な曲想に合った透明感に満ちた歌、「凍りつく冬の夜に」でのブリテン的な和声の妙を的確にフォローする互いによく聴き合った緻密な響きの構築など、曲の素晴らしさをハルモニア・アンサンブルの訓練された歌がさらに生かしている印象だ。率直に言えばここまで水準の高い演奏を聴けるとは思っていなかったので、これは嬉しい驚きというべきだ。
アンコールはアメリカ民謡のブリテン編曲版2曲。双方男声と女声が互いに掛け合うすこぶる楽しい曲でお開き。ちなみにあと2回開催されるこの「ベンジャミン・ブリテンの世界」だが、来年はオペラ、そして最後の年である2021年にはオーケストラ作品を予定している。やはり今から期待してしまうのは相当沢山存在するオペラ作品であろう。一体どの演目がどういう形で上演されるのか?
(2019/5/15)