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東京交響楽団 第669回 定期演奏会|谷口昭弘

東京交響楽団 第669回 定期演奏会

2019年4月21日 サントリーホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
秋山和慶指揮
東京交響楽団
藤田真央(ピアノ)

<曲目>
メシアン:《讃歌》
ジョリヴェ:ピアノ協奏曲《赤道コンチェルト》
(ソリスト・アンコール)
バルトーク:子供のために第1巻 No. 21 Allegro Robusto
(休憩)
ルシュール:《マダガスカル狂詩曲》
イベール:交響組曲《寄港地》

 

フランス、植民地、異国情緒といった言葉が本公演を宣伝するフライヤーに並ぶ。この3つのキーワードは、確かに今回のコンサートを堪能するのに、とても分かりやすいコンセプトを提供してくれる。そして20世紀前半のフランスは、異国情緒と植民地の音楽から、自国の音楽を豊かにしたのだということを、実際の音楽作品から体験することになった。

その中で最初に演奏されたメシアンの《讃歌》は、カトリックの国フランスを実感させた。ちょうどこの日はイエス・キリストの復活を祝うイースターであったからだ。ミサの聖体拝領を題材にした《讃歌》は、音楽を通して表現された、神の恵みの証でもある。冒頭は三位一体神の聖霊の働きを見るような「突風」から始まり、聖体拝領を受けるに際しての信仰を目覚めさせる。そして、あたかも秘蹟を音で表出するかのように、ヴァイオリンは限りなく伸びる旋律を紡ぎ出していく。しかもメシアンの音楽とはいえ、この作品は決して祈りを捧げるだけでは終わらない。聖体をパンとぶどう酒を通して自らに取り入れることによりもたらされる確固とした信仰、その恵みに応答しようとする心の高ぶりが細やかな弦楽器のやり取りに支えられ、やがて心からの、大きな賛美へとつながっていったからである。聴衆への音楽の贈り物であった。

藤田真央をソリストに迎えてのジョリヴェのピアノ協奏曲《赤道のコンチェルト》は、メシアンとは全く違った世界観を呈する。バーバリズムを体現するかのようなピアノのオスティナートと打楽器のリズムは、聴き手を冒頭から興奮させ、オーケストラは、それに彩りを加えていく。意外なほど、管楽器はうるさくない。ただ第1楽章のコーダになると、やはり飽和状態となり、圧倒的な力を蓄えていく。
第2楽章は、雅楽にヒントを得たという微分音、ガムラン風のきらめきが聞こえてくる。一般的に緩徐楽章とされる楽章だが、暴力的なクラッシュがあり、騒々しい箇所もありで、作品そのものに由来する落ち着きのなさをむき出しにする。そして後半部分、オーケストラの大音響の中に格闘する藤田の果敢な姿は、第3楽章への布石となっていった。
その第3楽章は、この作品がピアノ協奏曲であることの本義を実感させる内容で、「闘うピアニスト」の姿が明確になってくる。しかしジャズ的な要素も含めた全体の音楽作りは、はやる気持ちを抑え、いかに根気よく進めていくかにも注力がなされており、作品を客観的に見つめる余力もあった。
振り返って考えてみれば、特定の民族からの影響を随所に探る面白さもあるだろうが、自由妄想的に構築された近代的協奏曲と考えつつ楽しむ方が、この《赤道コンチェルト》を肯定的に捉えられる。いずれにせよ、演奏者の全身全霊を抜きに語れない内容であった。

リシュールの《マダガスカル狂詩曲》は、楽器法の工夫を随所に聴くことができ、今回これを生演奏で聴けたのは大きな収穫だった。特に第2曲では、アルコとピチカートを絶妙に使い分ける弦楽器の反復音型に、ミュートを付けたトロンボーンが、あたかも独立して、全く違うモティーフで絡んでくる。まるでリズム・ループを積み重ねるような楽曲構造だ。後半の楽章も、オスティナートの多用が面白く、植民地の音楽と接することによって得られた非西洋の音楽伝統が西洋の楽器奏法を開拓する重要な起爆剤となったことを強く認識することにもなった。

異国情緒溢れるイベールの《寄港地》に対する秋山和慶のアプローチは、例えば第1曲の<ローマ―パレルモ>で、2つの地点を継続的に縫い合わせるというよりも、場面をしっかりと転換し、パレルモと、海の風景を明確に描き分けるような路線に思われた。<チュネス―ネフタ>においても、異国の風景をさっと登場させる。これはオーボエ独奏のうまさも大きな要因だが、その音色はまた、第3曲への、よい橋渡しにもなった。<バレンシア>の表情は、香り高きスペインというよりは、洗練されたフィルターを通した躍動感と軽妙さ。濃厚な3作品が続いた後は、こういったアプローチがちょうど良いのかもしれない。

筆者はもちろん、植民地の存在を決して肯定的に捉えようとは思わないが、20世紀に入った西洋音楽の新機軸として、非西洋や「辺境」の音楽伝統が果たした役割は無視できないほど大きなものであったことまでは否定しない。
有名作曲家が勢揃いのプログラムとは違う選曲の卓越さ、そして、性格の異なるそれぞれの曲を見事に描き分けた指揮者・独奏者・オーケストラに敬意を表したい。

(2019/5/15)