スイス・ロマンド管弦楽団 来日公演|藤原聡

スイス・ロマンド管弦楽団 来日公演

2019年4月9日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ
指揮:ジョナサン・ノット

<曲目>
ドビュッシー:遊戯
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲
(ピアニストのアンコール)
ショパン:24の前奏曲 op.28~第8番 嬰ハ短調、第17番 変イ長調

ストラヴインスキー:3楽章の交響曲
デュカス:交響詩『魔法使いの弟子』
(オーケストラのアンコール)
リゲティ:ルーマニア協奏曲~第4楽章

 

2014年に当時の首席客演指揮者であった山田和樹と来日して以来、この度5年ぶりにスイス・ロマンド管弦楽団が来日した。指揮者は2017年1月から同オケの音楽/芸術監督に就任したジョナサン・ノット。今回はこの組み合わせで初の来日となる。
ノットと言えば、われわれ日本のファンにはバンベルク響との来日公演で、そして何よりも音楽監督を務める東京交響楽団との演奏で既にお馴染みではあるが、しかしフランス語圏のオケであるスイス・ロマンド管との演奏ということになればまた違ったテイストを感じさせてくれるだろう。基本的に明確な拍節で見通しの良い音響整理の手腕を発揮するノットと、柔らか味があって横の流れの美しいスイス・ロマンド管がどのような化学変化を起こすのか、これは興味津々である。
5公演行なわれた今回の来日公演におけるプログラムは2種で、1つはマーラーの交響曲第6番、そして後の1つはこの日のものだが、そのうち4回は前者であり、当夜のものは1回しかない。しかし演目的にはこの日のものの方が明確に興味深く、それゆえこちらをチョイスした次第。

ドビュッシーの管弦楽作品の中でも最もユニークな傑作でありながらさほど演奏される機会のない『遊戯』をノット&スイス・ロマンドで聴けるなんぞまさに僥倖だが、結果は期待通りと言うべきだろう。
先に記したノットの精緻な音楽作りとオケの柔和な響きがこの上なく見事にマッチしている。この曲の構造把握は厄介で、主題/動機があるにはあって、それが変化したりはするのだがいわゆる動機労作的な意味で全体的な楽曲構造の要となるでもなく、変化のための変化(適切な言い方が分からないが)と言うべきか、変化がそれ自体で完結している。この「それ自体」がいわば気まぐれのように繋ぎ合わされて出来ているのが『遊戯』だと思う。こういう作品ゆえ、演奏の良し悪しを決定付けるのは各楽想のヴィヴィッドな処理と音色感、和声的な妙味の表出ということになろう。この意味でノットとスイス・ロマンドの演奏は極めて優れており、例えば東響を振るとより前面に出て来るようなノットの鋭利さはオケのまろやかさによって上手い具合に中和され、それが馥郁たる香りとなってホールを満たす。正確なだけでも味わいがなく、しかし雰囲気だけで処理するにはあまりに難曲過ぎる。この両者を理想的に解決した演奏ではないか。

ヌーブルジェが加わっての『ピアノと管弦楽のための幻想曲』もまたオケのしなやかな響きに聴き惚れる。ドビュッシーとしては随分と甘美な楽曲だが、ノットは時折硬質な響きも聴かせながら(自ずと柔和な方向に行くオケゆえ、このような響きを抽出したのは間違いなくノットの手腕だ)響きを全体として有機的にまとめ上げる。ヌーブルジェのソロは意外に地味で全体に埋没しがちに聴こえたが、これは敢えてのものだろう。
ヌーブルジェのアンコールはショパンの24の前奏曲から2曲。第8番と第17番という珍しいチョイスの仕方だが、その音構造の表出の仕方に独特な個性があって面白い。

休憩を挟んではストラヴィンスキー。当日のプログラムには『3楽章の交響曲』についてのノットのコメントが掲載されている。「ストラヴィンスキー作品の演奏に関しては、明確な構造とカンティレーナで書かれたフレーズとのバランスが大切です。(中略)彼はとにかく構造を重んじていました。しかし、だからと言って私は無味乾燥な表現にはしたくない」。
当夜の演奏は、まさにここでノットが述べている通りのものになっていたと感じる。極めてドライかつ正確にこの作品を音化した演奏としてショルティ&シカゴ響のものが思い出されるが、ノットは正反対である。その音像には良い意味でファジーな柔らかさがあり、リズムの踏み込み方も多彩で決して一様ではない。つまり、モダニズムを経過した後としてのガチガチの新古典主義的な演奏に陥っていない。『春の祭典』時代のロマンの残滓と構造への配慮が融合されて表現されていた、と感じたのだがどうだろうか。
尚、先に掲載したノットのコメントの続きにこうある、「ストラヴィンスキーはいつも踊っているような人で、いつも叙情的に歌う人―まさにカンティレーナでしたから」。話はやや脱線するが、作品の成立背景を無視/個人的な感情移入を除外して音像をひたすらソリッドに磨き上げたような演奏をしたミケランジェリだが、しかしこのピアニストは練習中や知人らと一緒のプライベートで肩肘張る必要のない中では演奏しながらよく「歌って」いたそうだ。美学としてのこうあらねばならない、と極めて個人的な内面的欲求の発露との緊張関係が伺えるエピソードだが、ノットの『3楽章の交響曲』はこの両者を演奏において見事に止揚しているのではないか。これもまた『遊戯』と同様の二面性の解決。

この日のように『魔法使いの弟子』をトリに置くコンサートもなかなかないだろうが、これがまた趣味の良い好演奏である。作品の描写性に配慮しながらも、単なる音響上のスペクタクルに陥ることなく常に透明感と節度が保たれる。それゆえ人によっては地味と感じれるかも知れないが、オケの極上の美音と相まって、これは大変な耳のご馳走。

アンコールには「これを持って来たか!」と言うべきリゲティのルーマニア協奏曲から第4楽章。ノットは以前東響やバンベルク響とのコンサートでもアンコールで演奏したことがあり、その演奏効果は強烈極まりない。正直この曲の演奏が全て「持って行った」感がなくもないが、それだけに会場の盛り上がり方は尋常ではない。

ノットの膨大なレパートリーとそれぞれの楽曲のキモを的確に表現しうる知性、そしてオケの個性を強引に自分に引き寄せるのではなく、それに上手く自身のやり方を融合させて1度限りのコンサートの場で最良の演奏を引き出す現場力。東響とはもはや「打てば響く」と言うべき磐石の関係が築かれているけれども、スイス・ロマンド管という東響とは全く個性の異なるオケを指揮してのノット、普段聴きなれていないコンビだからこそ逆に浮き彫りとなる指揮者の実力に改めて敬服した次第だ。

(2019/5/15)