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五線紙のパンセ|サラセニア・レウコフィラ|川上統

サラセニア・レウコフィラ

text & photos by 川上統(Osamu Kawakami)

数多くの植物にとって虫という存在は葉、茎、花、根、あらゆる植物の部位に至り食らわれ、住処とされ、何らかのアクションを与えてくる対象というイメージが強いが、その虫を逆に食べてしまうのが食虫植物。サラセニア・レウコフィラは食虫植物であるサラセニア科の一種であり、上部に口の開いた筒状の長い葉が幾つも直立するという独特の風貌を持っている。食虫植物の中では有名なハエトリグサやウツボカズラよりもこのサラセニア科の一群に興味があり(実際日本の温帯では比較的育てやすいという実感もあり)サラセニア科ではこのレウコフィラとフラバの二種をより好み、現在育てている。

このレウコフィラは和名では「網目瓶子草」という。漢字であると瞬時にはイメージが難しい字面になるが、その名前の通り網目模様が葉に入り、かなり派手な葉姿となる。大きさは育てている現時点で30cmを優に超しており、捕虫能力もかなり高いようだ。虫を食べる派手な煙突が次々と伸びているような感じがして愉快に思うが、若干怖くも感じる。

この怖く感じるというのはどういう事なのだろうかと考える。実際動くわけでもなくひたすら葉を立てて虫を待っているだけなのに。面白い事に実はこのレウコフィラを含むサラセニア科(に限らず食虫植物の他の種類も)あまり虫を捕らずとも光合成を積極的に行っており、日に当たっているだけでもかなりの成長が見込める。実際、昨年から日光が強めに当たる屋外で栽培を始めた途端に葉の大きさは飛躍的に伸び、網目の発色もかなり強くなった。つまりこのレウコフィラは虫も食べるが日光も食べているのだ。

植物にとってあまりに当たり前である日光をエネルギー源にしているという事を、日光を食べにいっていると考えてみると、なかなかと怖いなと感じるようになり植物全般の光合成の貪欲さには畏敬の念を抱かざるを得ない。しかもこのサラセニアは日光を食べに高く伸び、虫まで食べるという。植物に常日頃から感じていた積極的な動性を具現化したような姿が網目を伴ってそこに出現しているのである。日を浴びて発色も強くなった網目を見るに、怖さを感じつつ気にならざるを得ない存在になっているのだ。

という風にサラセニア・レウコフィラについて大袈裟に書いてきたところで音楽の話に移ります。私の作曲作品は瞬間毎の響きとして比較的「調性的である」と受け取られるものが多いようにぼんやりと自覚している。突然このように述べたのは、作曲された作品がどのように客体(自身も含めた聞き手)に受け取られているのか、という問題が常に私の関心ごとの上位にあり、前回の投稿で述べていた「定まろうとしない思考の変化エネルギー」に対する強い干渉力として出現する故、まずどのような色合いとして受け取られるのだろうか、という事に関連した事として、解釈の振り幅がある調性的であるように思われているのかな、と第一に思い浮かんだ事である。

「調性的」という言葉があらゆる音楽を悪分割してしまう非常にまずい言葉(無調という言葉も然り)である事を自覚しつつ扱っているのは、私にとっては「調性的」であるというのはあくまでも響きの状態や色合い(当然、協和の意味合いとも違う)の種類であるように感じていて私的な感覚をぼんやりと伝達したいからである。この言葉の持つ他者との公倍数あるいは公約数として解釈の厄介な振り幅が、私が思い描いているごく私的かもしれない客観的な「調性感」を様々な他者の各々の調性感の解釈幅の範疇に入れられそうな言葉であると考えた。つまりこれは歴史的な意味としての「調性『音楽』」(あるいは調システムによる音楽)を決して意味していないし、そのような音楽を狙って書いているわけでもない。

それでも、多分に自分の作曲作品が「調性的」なのではなかろうか、と自分でも恐る恐る確認しながら作曲やこの文章を書き進めているのは、結局のところ私自身が様々な局面で受け取ってきた音の総体を作曲作品として一つ一つ練り出そうとした時にそのような響きに「なってしまっている」という事に他ならない。ならば受け取ってきた音楽がおしなべて調性的であったか?というとそれもそうではない(受け取ってきた音楽については来月の最終回に述べたい)。恐らく抽出した結果、調性的な響きに「なってしまっている」という事なのだと思う。その経緯には自分と仮想定他者(様々な聞き手の想定)からの「どう聞かれるか?」という被認識感が干渉しており、そのフィルターを通した時に、比較的調性的な響きが瞬間的に抽出され堆積していったのではないかと考えている。

サラセニア・レウコフィラを見ているとどうしてそのような形・色合いになってしまったのか?真実は勿論私には到底計り知る事はできないが、少なくとも昨年に日光を目一杯浴びせた結果、その形・色合いはより際立った事を思うと、被認識の日光を浴び、あるいは背を伸ばし積極的に認識をしようと日光(虫も!)を食べにいった事でその姿になっていったような結果として、その溜め込んだ要素を抽出し堆積して形を確定していったようにも感じられる。特に虫に対して積極的に「認識されにいく」という意味では食虫植物に限らず、植物の中でも多数の虫媒花を持つ種類に関しては積極的に虫へ花を見せにいっているという意味で、結果的に様々な種類の個性的な花々ができていると空想すると少し愉しい。ただし、「花を見せにいっている」という能動性には、解釈として擬人化・キャラクター化したような意識は当然ながら、ないようにも思う。

そういえば今年はこのレウコフィラが初めて花が咲いた。葉とは違い、頭を垂れているこの花の造形の意図は何となく理解できる。しかし葉姿とも違う巨大な花が並ぶ立つ風貌は摩訶不思議そのものであり、ますますこの植物が怖くなっている。勿論花の方は怖がらせようとは思ってはいないだろう。

 (2019/5/15)

★公演情報
日時:6月28日 (金) 18:45開演 会場:エリザベト音楽大学セシリアホール
「器楽の夕べ」
川上統:《尾長鮫》(2019、初演)
演奏:森川久美(フルート)品川秀世(クラリネット)戸梶美穂(ピアノ)
一般前売:2,000円 当日:2,500円
http://www.eum.ac.jp/concert/docs/20190330113658.pdf

★CD情報
◆ROSCO「てふてふもつれつつかげひなた」 ジパングレーベル
http://www.zipangu-label.com/product/84
《雀》《コウテイペンギン》収録
◆KOHAKU「歌われる詩たち」 ジパングレーベル
https://www.amazon.co.jp/dp/B010RVAY0C/
《こねこねこのこ》収録
◆小寺香奈「ディスカヴァリー・ユーフォニアム」 Florestan
http://tower.jp/item/4191144/
《ピューマ》収録
◆智内威雄「左手のアーカイブCD-008」左手のアーカイブ プロジェクト
http://www.lefthandpianomusic.jp/?p=3828
《組曲「宮沢賢治の夜」》収録
◆會田瑞樹「ヴィブラフォンのあるところ」ALM RECORDS
http://www.kojimarokuon.com/disc/ALCD113.html
《Wolverine》収録
◆山田岳「Ostinati」ALM RECORDS
http://www.kojimarokuon.com/disc/ALCD114.html
《ゴライアスオオツノハナムグリ》収録
◆低音デュオ「双子素数」ALM RECORDS
http://www.kojimarokuon.com/disc/ALCD118.html
《児童鯨》収録
◆川上統「蛍光晶」HORIZON
https://www.e-onkyo.com/music/album/tcj4526180418948/

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川上統 (Osamu Kawakami)
1979年生まれ。東京生まれ、広島在住。 東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲専攻卒業、同大学院修了。 作曲を湯浅譲二、池辺晋一郎、細川俊夫、久田典子、山本裕之の各氏に師事。 2003年第20回現音新人作曲賞受賞。 2009、2012、2015年に武生国際音楽祭招待作曲家。 2017年、HIROSHIMA HAPPY NEW EAR 23 「次世代の作曲家たちV」にて室内オーケストラ曲『樟木』が広島交響楽団の演奏によって初演される。 2018年秋吉台の夏現代音楽セミナーにて作曲講師を務める。 楽譜はショット・ミュージック株式会社より出版されている。
現在、エリザベト音楽大学専任講師、国立音楽大学非常勤講師。
Tokyo Ensemnable Factory musical adviser
Ensemble Contemporary α作曲メンバー
作曲作品は160曲以上にのぼり、曲名は生物の名が多い。
チェロやピアノや打楽器を用いた即興も多く行う。