小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXVII ビゼー:歌劇「カルメン」|能登原由美
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXVII ビゼー:歌劇「カルメン」
2019年3月15日 ロームシアター京都
Reviewed by 能登原由美( Yumi Notohara)
Photos by 上仲正寿&大窪道治/写真提供:小澤征爾音楽塾
<演奏>
音楽監督|小澤征爾
指揮|クリスティアン・アルミンク/小澤征爾
演出|デイヴィッド・ニース
管弦楽|小澤征爾音楽塾オーケストラ
合唱|小澤征爾音楽塾合唱団
児童合唱|京都市少年合唱団
<キャスト>
カルメン|サンドラ・ピクス・エディ
ドン・ホセ|チャド・シェルトン
ミカエラ|ケイトリン・リンチ
エスカミーリョ|エドワード・パークス
フラスキータ|カトリーナ・ガルカ
メルセデス|アレクサンドラ・ロドリック
ズニガ|ジェフリー・ベルアン
モラレス|アンドリュー・ロヴァト
ダンカイロ|近藤圭
レメンダード|大槻孝志
2000年に発足した「小澤征爾音楽塾」が展開するオペラ・プロジェクト。この第17回公演では、2年前に上演された「カルメン」が再演された。主要キャストは前回と同じ。
当初から、小澤自身は全体の一部を振り、他はアルミンクが指揮する旨が告知されていた。年齢と体調を考えればやむを得まい。あるいは体調次第では全く振らない可能性もあることを予期していたが、オケピットにアルミンクと共に姿を現わした時はやはり安堵した。会場も一気に盛り上がる。
冒頭の前奏曲。私の席から指揮する姿は見えなかったが、1音目に入るその呼吸に合わせて、低いうなり声がはっきりと聞こえてきた。堂々たる出だし。目には見えなくともその気迫は、奏者たちの動きや音を通じてさらにこちらに迫ってくる。ああ、小澤の音楽だ。
幕が開けるとそのままアルミンクが引き継いだ。幾分ゆったり目のテンポはそのままながら、アルミンクはさらに細部の造形やニュアンスなども丁寧に拾い上げていくため、音楽は一層恰幅あるものとなる。その分、劇を展開させ進行させていく推進力は失われていった。この流れは1幕の最後まで続いたが、登場人物の対話や歌、動作に勢いが欠け、客席も劇展開にいまひとつ乗ることができない。アリアの後の拍手に力がないのも当然であろう。
持ち直したのは2幕目以降。冒頭の踊りの場面にはまだ前幕の感覚が残っていたが、懲罰牢から出所したホセとカルメンの感情のすれ違いが露わになるにつれ、徐々に劇の流れが形成されていった。
総じて、アルミンクの演奏は劇展開よりも音楽美の追求に力点があったと言える。ただし、男女の愛憎をより際立たせる上では、むしろその解釈が功を奏していたのかもしれない。人物の内面や心情の変化が音楽を通して丹念に描き出されていた。
一方、ニースによる演出は劇の内容に沿ったオーソドックスなものだが、その狙いは最後の場面によく表れていた。つまり、カルメンとホセが対峙するクライマックスでは、扉が全て閉められることで彼ら自身がまるで闘牛場内にいるかのように設定される。2人の愛をめぐる闘いを闘牛に重ね合わせたものであろう。
その愛の闘争劇。今公演では、ホセの愛と狂気が全体を圧倒していたように思う。ホセを歌ったのはチャド・シェルトン。彼の声は明るい上に軽くもあり、また外見なども含めてコミカルな3枚目役がふさわしく、ホセには似合わないのではと当初は感じた。実際、1幕目などで見せるホセの性格は、実直で純朴だがユーモアも通じるような青年、といったところだ。
だが、傷を負うにつれて荒れ狂っていく牛のごとく、カルメンに翻弄されるにつれ徐々に理性を失っていく。無垢な明るさに一旦狂気が入り始めると、えも言わぬ恐ろしさを帯びるものだ。圧巻は、何と言っても最終場面でのカルメンとのやり取り。ここまで来ても全く衰えぬ美声と声圧が、逃れようと抗うカルメンの体と声をたたみかけるように覆っていく。このホセの圧倒的な愛の強さは、少なくとも肉体的にはカルメンを完全に手中におさめたかのようだった。
とはいえ、カルメン役のサンドラ・ピクス・エディも負けていない。コシのある美声で歌唱はもちろんのこと、動作などの演技でも自由奔放なカルメンを見せる。特に前半は完全に彼女が舞台を支配していた。その上、ホセに対する複雑な感情を微妙なトーンの変化で表現し、ホセが理性を失っていくにつれて弱々しささえ見せ始める…。そうだ、この彼女自身の演技が、シェルトン演じるホセの狂気を引き立たせたのだ。心の自由まではまさに奪われなかった。勝利したのはエディ=カルメンだったのだ!
その他のキャストも遜色がない。なかでも、役の期待を裏切らない歌唱と演技を見せたのはエスカミーリョだ。今回の演出ではあまり光が当てられなかったが、愛憎劇を発展させる要としての役割を見事に果たしていた。また、ミカエラをはじめ他の人物達の歌唱も軒並み充実していた。子供達の歌声は明るく伸びやかだが、さらに要所で地声が混じり、物語に活気を与えるものとなっていた。
さて、本公演はその後、京都、神奈川、東京と続いた。小澤は残る1回の京都公演で再び前奏曲を振った後、体調を崩したために神奈川と東京では降板したと聞く。ただし、カーテンコールには姿を見せたとのこと。幕開けとともに会場全体を覆った気迫はなんとも忘れ難いものがある。こうして全体を振り返りながら、もう一度その瞬間に接してみたいと改めて思った。
(2019/4/15)