ウィーン留学記|リンツ州立劇場|蒲知代

リンツ州立劇場

text & photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)

先日、留学先の指導教授から、温かいメールの返信が届いた。私はオフィスアワーに先生に会う約束をしていたが、39度を超える高熱を出してしまい、大学に行けそうにない。締切間近の書類にサインをしてもらう予定だったので、無理をしてでも行きたかったが、インフルエンザの可能性が高かったので、断念。正直に先生にメールすると、完治するまで自宅療養しなさいという返信があった。しかも、たとえ書類の締切に間に合わなくても大丈夫なように取り計らう、とのこと。いつもは厳しい先生だからこそかえって、先生の優しさが心に染みた。

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病院に行かなかったので、インフルエンザだったかどうかは定かでない。しかしながら、今回の風邪は、感染によるものだという確信があった。というのも、熱を出す前日に突然喉が痛くなり、半日も経たないうちに咳が出て、高熱が出てしまったからである。本当にあっという間だった。
自分の中では、電車の中が怪しい、と思っている。私は体調が急激に悪くなった日に、オーストリアのリンツに日帰り旅行を敢行していた。3月23日のことである。リンツはウィーンとザルツブルクのおよそ中間地点に位置し、ウィーンから電車で1時間15分ほど。オーストリア第3の都市なので、泊りがけで行くことも考えたが、電車の切符を安く買うことができたので、とりあえず一回日帰りで行ってみようという気になったのである(今回は往復で2千円ほどだった。通常の4分の1の値段で買えたのは、買った時期が早かったため。私の経験談だが、切符は残りの枚数に応じて徐々に値上がりする仕組みになっている)。
電車の旅は快適だった。私が乗った電車はベルリン行きのインターシティーエクスプレスで、座席は新しくて枕もふかふか。車内も混雑していなかった(但し、咳をしている人がいたことは鮮明に覚えている)。

リンツ州立劇場の音楽劇場

リンツ中央駅に到着したのは昼前。指導教授の生まれ故郷でもある。路面電車で隣の駅に移動し、夜にオペラを鑑賞するリンツ州立劇場の音楽劇場の下見をした。この音楽劇場は2013年に新しく出来た劇場で、市民公園に隣接している。土曜日の昼だったので、公園は多くの人たちで賑わい、花壇にはパンジーなど色とりどりの花が咲き誇っていた。劇場の前も人通りが多かったので、劇場の写真を撮るのに時間がかかったが、撮影後もしばらくそこにとどまっていたいと思うくらい、ぽかぽかの日向ぼっこ日和だった。
さて、リンツと言えば、リンツァートルテである。ウィーンにも美味しいケーキは山ほどあるが、今回の旅で最も楽しみにしていたのは、リンツァートルテに挑戦することだった。カフェ・イェントラクという1929年創業のカフェに入ると、小さなショーケースに何種類ものケーキが並んでいたが、肝心のリンツァートルテは見当たらない。しかし、オリジナル・リンツァートルテの店にないわけがないと思いながら、店の奥に着席。メニュー表にも書いていないので少々不安になったが、ウェイトレスに聞いてみると、にっこりしてリンツァートルテを運んできてくれた。

リンツァートルテ

正直なところ、味はあまり期待していなかった。オーストリア人の知り合いに、リンツァートルテが楽しみだと話しても、反応が薄かったので。だが、予想をはるかに超える美味しさだった。香ばしいアーモンドスライスと甘いスグリのジャムの組み合わせが絶妙。生地は固く、クッキーに近いケーキだが、甘さ控え目で、おかわりしたくなるような味だった。
街の中心のハウプト広場を通りかかると、毎週土曜開催のフリーマーケットの片付けが行われていたが、アイスクリームスタンドには人だかりが出来ていた。まだ気温は16度なのに、広場に集まっている人のほとんどがアイスクリームを手に持っている。オーストリアの人たちは、少しでも気温が上がると、アイスクリームを食べ始める。夏が短いので、急がなければならないのだ。種類が豊富で美味しそうだったが、誘惑を振り払って先に進んだ(とはいえ、どのみち風邪を引いたのだから、食べておけばよかったとも思うのだけど)。

ペストリンクベルク巡礼教会から見た
リンツの街並み

リンツはオーストリアの作曲家アントン・ブルックナー(1824-1896)が旧大聖堂でオルガニストとして活躍した街でもあり、毎年秋にはブルックナー音楽祭が開催されている(2019年は9月4日から10月11日まで)。ドナウ川沿いには、音楽祭の会場となるブルックナーハウスのほか、現代アートのレントス美術館があり、常設展ではグスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、ヘレネ・フンケ、オスカー・ココシュカらの絵も展示されていた。今回は行かなかったが、アルス・エレクトロニカ・センターという、最先端テクノロジーとアートを体験できるミュージアムもあるそうだ。また、街の中心部からペストリンクベルク登山鉄道という路面電車が走っていて、片道20分で丘の上にある巡礼教会に着き、リンツの街並みを見下ろすこともできる。美術館を見学して、登山鉄道で往復した後、音楽劇場に戻った。

今回鑑賞した作品はスイスの作曲家オトマール・シェック(1886-1957)のオペラ『ペンテジレーア』(初演は1927年)。ドイツの劇作家ハインリヒ・フォン・クライスト(1777-1811)の同名の悲劇(1806年)が原作になっている。主人公ペンテジレーアは、女だけの国アマゾンの女王。アマゾンの女性たちは子孫を残すため、他国の男性と闘い捕虜にしなければならないが、ペンテジレーアは勇者アキレウスに恋をしてしまう。アキレウスもペンテジレーアに愛情を抱き、負けたふりをするが二人は離れ離れになり、再度決闘を申し込む。アキレウスは最初から負けるつもりで現れるが、彼の真意に気付かないペンテジレーアは弓を引き、負傷したアキレウスに向かって猟犬を放ち、自らも愛する男の肉体を喰いちぎってしまう。面白い話だが、なかなかショッキングな内容である。
ドイツのオペラ演出家ペーター・コンヴィチュニーによる演出だった。休憩なしの90分間に物語のエッセンスを凝縮して詰め込んだ(今回の公演はドイツのボン市立歌劇場との共同制作で、2017年10月にボンで初演されている)。
ペンテジレーアとアキレウスの恋物語が核となっていたが、オーケストラもコーラスもその他の登場人物も、主役だった。そう感じさせたのは、舞台の作りが変わっていたからだろう。オーケストラは舞台上で演奏し、その手前の正方形の小さな舞台でペンテジレーアは歌った。しかも、小さな舞台は観客席によって囲まれ、実はその一部が観客のふりをしたキャストで埋め尽くされていた。
音楽と楽器編成が独特で、コーラスも時おり雄叫びに聞こえる。異様な世界の話だが、観客席と舞台の境界が消えることで、物語に没頭しやすくなった。二人の関係を示すような舞台上の二台のグランドピアノ。愛の祝福にもはたまた血にも見えるバラの花。短い時間ながら頭の中に様々なイメージが残る舞台だった。
帰宅したのは日付が変わる頃。入念に喉のケアをしてから寝たが、朝方に悪寒が走った。どうやら、私には刺激が強すぎたらしい。

(2019/4/15)

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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。