ジャン=ジャック・カントロフ ヴァイオリン・リサイタル|藤原聡

ジャン=ジャック・カントロフ ヴァイオリン・リサイタル

2019年3月2日 札の辻クロスホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 中村敏行/写真提供:札の辻クロスホール

<演奏>
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
上田晴子(ピアノ)

<曲目>
ブラームス:
  ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト長調 『雨の歌』 Op.78
  ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ長調 Op.100
  ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op.108
(アンコール)
ダンブロージオ:カンツォネッタ Op.6

 

JR静岡駅北口を出て、静岡音楽館aoiと静岡市美術館を仰ぎ見つつ呉服町通りを真っ直ぐ進むこと10分強。左手に見えてくる伊勢丹の真向かいにある札の辻クロスは昨年10月26日に開業したばかり、商業施設などがテナントインする地上13階、地下1階のビルである。ここの6階にあるのが今回訪れた札の辻クロスホール。
ホームページによれば、「2層吹き抜け天井の高い響きを重視した最大200席のホールです」「ホールの室形は音響に優れたシューボックス型を採用。舞台はピアノリサイタルから室内楽、アンサンブル、合唱、ジャズトリオなどに最適な空間です」。
音楽のみならず、場合によっては何らかのイベントやパーティなどにも活用できる空間として設計されたようである。

開場以来野平一郎やウィリアムズ浩子×木住野佳子が登場、今後は漆原啓子×田中雅弘×岡本知也のトリオなども予定されている当ホールだが(まだ稼働率は余り高くないように見受けられるが…)、今回はカントロフのヴァイオリニスト復活コンサート開催×新ホールへの興味からここに駆け付けた次第。
構えは地味ながら大変良いホールだ(ビル内の立地イメージ的にはちょっと鶴見のサルビアホールを思い出した。あれほど小さくはないが。壁はHAKUJU HALLに似ている?)。シューボックス型仕様で椅子は可動式、その響きは温かみがあって極めて豊かであるが、しかし細部が滲んでモヤモヤすることもない。一応は多目的ホールという体裁なのだろうが、クラシック専用のホールと言っても十分通用するアコースティックである。その筋には詳しくないが、恐らくレコーディングなどにも最適な空間と思える。
舞台芸術のファンであれば、静岡訪問の際には――と言うよりもこれを目的にでも行くべきである――駅前の静岡音楽館(館長は野平一郎)、静岡のお隣東静岡の静岡芸術劇場(演劇ファンならぜひとも行くべき!)、意欲的なプログラミングで要注目の芸術監督・中原朋哉率いるシンフォニッタ静岡、そしてクロスホールのスケジュールチェックは外せません。

さて、カントロフに戻ろう。ご存知の方も多いだろうが、この音楽家は2012年に指揮活動専念=ヴァイオリン演奏封印宣言を行なってファンを残念がらせたのだった。しかし2017年春から満を持してヴァイオリニストとしての活動を再開。それ自体は慶賀すべき事ではあるのだが、1945年生まれで2017年当時は71~72歳であったカントロフ、技術的にはなかなか難しい問題もあったのでは、と想像する。弦楽器奏者はこの年齢になれば特に右手のボウイングの精度がどうしても落ちて来るだろう。録音に聴く最近ー2010年前後ーのカントロフの演奏では衰えはほとんど感じられないが、今のこのヴァイオリニストの演奏を実演で聴くことに対して不安がない、と言えば嘘になる。

しかし、幸いそれは杞憂に終わったようだ。第1番のソナタ冒頭から、弓はまるで弦に吸い付くような滑らかな運びを見せ、息の長いフレーズも緊張を途切れさせることなく歌い切る。何より音の美しさが衰えていない。
なるほど、若い時と全く同じという訳にはいかない。込み入ったパッセージでは時に音が詰まったり、デタシェに滑らかさを欠いてギクシャクする瞬間がないこともない。音程も時に危うい。しかし、そのようなことは些細なことであって、ここにはまごうことなきカントロフのあの音楽――端正な造形で一切のケレン味を排し、ストレートかつ伸びやかに旋律を歌わせていく――がある。音楽のコアが崩れていないので、加齢に伴う当然といえば当然のこの程度の瑕はほとんど問題にならない。

3曲中で1番優れていたのは第3番だろうか。曲のせいもあるだろうが最も集中力に富み、まるで壮年期のようなテンションの持続に圧倒される。表現自体はカントロフの常として全く思わせぶりのない実直なものだが、それがブラームスの場合却って胸に染み入るのだ。
第2番も美しい演奏で個人的にはこの日1番気に入ったが、しかし表現としてはやや低徊気味であったかも知れない。
第1番では第3楽章の第2主題で聴かせた明滅するニュアンスの変化に息を呑むが、しかし流れはあくまで流麗。全3曲、出来不出来に多少のムラはあれどどれも名演奏と呼んで差し支えなかろう。

そして忘れてならないのは上田晴子のピアノの見事さだ。上田なくしてはカントロフの名演奏も生まれまい。楽曲の構成を完璧に把握し、その上で(それがあるからこそ)カントロフの「動き」に情感豊かに、かつ実に的確な呼吸と音量バランスでサポートを付ける。フォルムとエモーションのこの高次元の融合は、もしブラームスが生きていてこれを聴いたら大層喜んだのではないか。録音も含めて筆者が聴いたブラームスのヴァイオリン・ソナタのピアノ・パートでは最高の部類と言ってよい。

本プログラム終了後、上田晴子による通訳を伴ってのカントロフのスピーチがあり(「ナポリ出身でサラサーテに師事」云々)ダンブロージオのカンツォネッタがアンコールされた。イメージとしては文字通り、イタリアの下町でどこからともなく流れて来るかのようないささか感傷的かつ通俗的な、それでいてすこぶる魅惑的な小唄とでも言おうか。カントロフ、ブラームスでの端正さとはまるでモードを変え、濃厚な「こぶし」を利かせて拍手喝采。ブラームスももちろん素晴らしかったが、しかしこういった小品では演奏者のラテン的な感性が直截な形で演奏に結び付くようである。
ラテン的、ということでは他の日にはラヴェルやフォーレのソナタも弾いており、そちらも是非聴いてみたかった。近いうちの再来日はないものだろうか?

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(2019/4/15)