小人閑居為不善日記|平成、廃墟の時代(前編)――渋谷系とブックオフ文化|noirse

平成、廃墟の時代(前編)――渋谷系とブックオフ文化

text by noirse

1

平成、疲れてた それはとても
どこへも行けず止まれずに

昨年各音楽メディアで最も高い評価を受けたアルバムのひとつ、折坂悠太の《平成》(2018)の、タイトル曲からの一節だ。折坂は平成元年生まれで、自分が生きてきた時代を覆う諦念と、そんな中でも希望を見出そうという複雑な思いを綴っている。

平成。年号が変わった途端にバブルが崩壊、就職氷河期と長きに渡る不況に突入。1995年には阪神大震災とオウム事件が勃発し、2001年のNYテロ以降国際情勢は混迷を深めるばかり、東日本大震災の傷跡も未だ癒えたとは言えない。大卒の就職率は上昇傾向にあるとはいえ、出口は見えない。つい先日も、十代の自殺率の増加が報道されたばかりだ。「疲れていた」というフレーズを平成に重ねる気持ちはよく分かる。

疲れた時代。こういった形容は言った者勝ちで、人ごとに異なるたとえ方があるだろう。しばらくはどのメディアも平成関連の記事や特集で溢れかえるのだろうが、せっかくなのでわたしも便乗してみたい。主に音楽について触れつつ、振り返ってみよう。平成という「廃墟の時代」を。

2

1989年。平成の幕開けと共に、フリッパーズ・ギターというバンドがデビューした。フリッパーズはそのわずか2年後に解散したが、彼らが残した3枚のアルバムは、「渋谷系」と呼ばれるムーブメントの起爆剤となった。

フリッパーズにピチカート・ファイヴ、ラヴ・タンバリンズ、bridgeなど、渋谷系にカテゴライズされるプレイヤーは皆ヘビー・リスナーで、マニアックなレコードを発掘しては、自作の参照とした。有り体に言えば「ネタ」だ。

当時の渋谷は好景気の余韻で物件の価格が下がっており、そこに次々とレコード屋が入った結果、一大音楽市場の態を為していた。渋谷系という呼称は彼らをプッシュしたHMV渋谷店に由来するが、同地にひしめき合っていたレコ屋もそのイメージに一役買っていたように思う。なにしろ、世界で最も多くのレコードが集まる街とも言われていたのだ。

当然、渋谷系のリスナーたちもレコ屋に赴き、ネタ元を探し出すようになる。それから自分たちでもDJやイベントを始め、音楽を作ったりZINを発行したりと、発信する側に廻るようになっていった。いや、正確にいえば渋谷系のミュージシャンのほとんどが、もともとレコ屋の常連客や店員だったのだ。

こうして受け手が作り手に廻り、また受け手を呑み込んでいくことで、渋谷系の人気は日本全国を覆い、隆盛を極めた。渋谷という街がファッションの先端を走っていたこともあり、一時はレコードを買うことが「オシャレ」とされていたほどだ。レコードから「ネタ」を発掘するスタイルはヒップホップが先行しているが(というより渋谷系がその影響下にあると考えるべきだろう)、平成初期という時代と渋谷という土地が、特殊なムーブメントを生み出したと考えていいだろう。

しかしその命は短かった。97年にアジア通貨危機、2001年にはITバブルが弾け、「失われた十年」(または二十年)に突入する。レコ屋の売上は落ち、渋谷系のバンドは次々と解散。2000年前後にはジャンルとしての存在感を失い、その後10年間のあいだに、渋谷を始め各地のレコ屋も続々と閉店していく。これが大雑把な、渋谷系を巡る顛末だ。

だが今回は、渋谷系が持っていたポテンシャルをもっとロングテールで考えてみたい。渋谷系が重要なのは、このムーブメントが作り手と受け手のあいだの垣根を撤廃したことにある。渋谷系の音楽性について触れなかったのもそのためだ。

3

レコード屋が店を畳んでいくのと反比例して、規模を拡大していった会社がある。ブックオフだ。90年代半ばから郊外や地方を中心に店舗を増やし、2000年代には海外にも出店するほどの成功を収めた。

オーナーの好みが反映しやすいレコ屋に比べ、ブックオフはどの地域のどの店を覗いても、基本的に違いはない。90年代はブックオフに限らずTSUTAYAにファミレス、カラオケ店にショッピングモールなど、個性よりも同質化や手軽さを優先するチェーン店が全国を席捲していった。

こうした傾向を、評論家の三浦展は、《ファスト風土化する日本――郊外化とその病理》(2004)で批判した。均一化した店舗が増えれば地元の商店は潰れていく。地域ごとの個性は失われ、文化や住人の意識にも悪影響を及ぼすという寸法だ。

だが今では、三浦の郊外観は否定的に捉えられている。均一化した風景であっても定着してしまえば文化であり、「故郷」になっていく。ショッピングモールも新たなコミュニケーションの舞台と成り得るし、ブックオフやTSUTAYAも文化を育む拠点として機能し得るだろうと。

4

何がリアル
何がリアルじゃ無いか
そんなことだけでおもしろいか
(中略)
何かあるようで何も無いな
ショッピングモールを歩いてみた
最近好きなアルバムを聞いた
とくに 話す相手はいない
(中略)
何かあるようで何も無いな
ショッピングモールを歩いてみな
最近好きなアルバムあるかい?

トラックメーカーのtofubeatsが2017年に発表した〈SHOPPINGMALL〉の一節だ。一見モールに対してネガティブな態度を取っているように感じるかもしれないが、ここには両義的な目線がせめぎ合っている。

tofubeatsの代表作に、平成初期に活躍したアイドル、森高千里との〈Don’t Stop The Music〉(2012)がある。流行のエレクトロ・サウンドと、森高の歌声が見事にマッチし、幅広い世代から注目を浴びた。

だがtofubeatsは平成2年生まれで、森高の全盛期を見知っていたわけではない。彼が森高の作品を知ったのは、ブックオフやTSUTAYAだ。神戸出身のtofubeatsはブックオフやTSUTAYAでCDを漁っていて、そこで得た知識と素材で楽曲を作り、ハードオフで機材を集め、カラオケBOXにこもって楽曲を作ったという。

80~90年代に量産されたCDやVHS、雑誌やマンガはブックオフやTSUTAYAで低価格で投げ売りされており、その渉猟を趣味とする向きは多い。その中にはtofubeatsのように、自らの表現の糧としていった者も少なくないはずだ。VIDEOTAPEMUSICは、地方のレンタルビデオ店やリサイクルショップなどでVHSテープを収集し、そのフッテージを元に音楽や映像を制作している。パソコン音楽クラブは、ハードオフで買い集めた機材を元にどこかノスタルジックな響きを奏でるグループだ。地元のブックオフやTSUTAYAは彼らにとって、渋谷のレコ屋と変わらない「ネタ」の宝庫なのだ。

渋谷系は、その名が示す通り渋谷という地名が特権化し、特定のレコ屋でレコードを買うこと自体が重要視される傾向があった。レコードのファッション化はその帰結だ。

だが重要なのは場所の特権化ではない。過去の遺産を再発見し、表現者であればそれを血肉化していく、そうしたプロセスこそが大切なのだ。平成という時代において渋谷系が果たした最も重要な役割は、彼らの音楽に対するアティチュードが、日本各地に広まっていったことにあるはずだ。

それを踏まえると、〈SHOPPINGMALL〉の聞こえ方も変わってくる。モールを否定的に見做せば、そこは「リアルじゃない」のかもしれない。しかし「ファスト風土」な環境も、その住人にとっては生きて暮らす「故郷」であって、tofubeatsらには作品を作るかけがえのない場所でもある。「何かあるようで何も無」くとも、「好きなアルバムを聞」けば、「とくに話す相手はいな」くとも構わないし、「適当なこと言う人」だって気にもならないだろう。

5

しかし「ファスト風土」を巡る光景も変わりつつある。ブックオフはamazonやヤフオク、メルカリなどのネット企業に敗れ、閉店が相次いでいる。TSUTAYAもNETFLIXなどの配信サービスに太刀打ちできず、業績悪化の一途を辿っている。ショッピングモールも例外ではなく、閉店後に廃墟化したり、開店してはいても大半が空き区画になってしまうケースが散見。これらは「デッドモール」とか「ネオ廃墟」などと呼ばれている。モール大国のアメリカでも、デッドモール化は社会問題となっている。

そんな状況下で誕生したのがヴェイパーウェイヴだ。2010年代初頭からネットで広まった音楽で、大きな特徴はその世界観にある。

ヴェイパーウェイヴはYouTubeなどの動画サービス上で発表されることが多く、ヴィジュアルとセットになった楽曲が目立つ。映像のモチーフは80~90年代に流通した商品、VHSやブラウン管を通した映像、初期のコンピュータ・グラフィクス、廃墟化したモールの光景など、好景気だった頃のイメージだ。その上にシティ・ポップやスムース・ジャズ、ラウンジ・ミュージックやヒーリング調の音楽がシニカルに流れていく。

ここには相反する感情がある。ひとつは反消費主義、もうひとつはノスタルジーだ。軽薄な大量消費社会を批判はするが、その状況下で育ったため、過ぎ去った時代への愛着も捨て切れない。

これは〈SHOPPINGMALL〉の両義性と共通するが、それはある意味当然で、tofubeatsはヴェイパーウェイヴを意識してこの曲を作ったらしい。tofubeatsのアートワークの多くは、バブル時代を彷彿とさせる画風の山根慶丈が手掛けていることからも、彼の音楽もシニカルな視線とノスタルジックな感情に突き動かされていることが分かる。

平成初期、渋谷系が奏でた音楽を支えたのは、好景気の「豊かさ」ゆえだった。その後、景気は後退するが、日本各地から誕生した音楽には、渋谷系が本質的に備えていた、過去の遺産を再発見/再構築していく心性を受け継いでいた。だが平成も終わろうという今、ファスト風土と揶揄された風景が次々と「廃墟化」している。では、廃墟の時代に流れる音楽とはどういうもので、そこでは何が歌われていくのだろうか。(続く)

 (2019/4/15)

———————————————-
noirse
佐々木友輔氏との共著《人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅》発売中