パリ・東京雑感|スター哲学者に罵声 不気味な反ユダヤ主義|松浦茂長

スター哲学者に罵声 不気味な反ユダヤ主義

text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

罵倒されるフィンケルクロート
(『ヤフーニュース』から)

フランスでは土曜日ごとに全国で「黄色いベスト」を着たデモが繰り返され、2月16日は14回目。マスコミの扱いも尻すぼみになっていたところが、この日はトップニュースに返り咲いた。哲学者フィンケルクロートに人種差別の罵声が浴びせられたのだ。
この人の名前は先月のコラムに登場させたばかり。「アカデミー会員(不滅の40人と呼ばれる)の哲学者フィンケルクロートがゲストを呼んで1時間議論するラジオ番組があるが、この人、『老いたる熱血漢』とでもいった迫力があり、聞く方も興奮させられる。#MeTooをめぐってフェミニストと対決したときなど、仇敵にめぐりあったような情熱でくってかかった。またモンテーニュを語ったりするときは、彼の敬愛の気持ちがストレートに伝わってくる。知を究めるとき情も強まるのだ。」
そのフィンケルクロート氏がモンパルナスを歩いているところを、たまたま通りかかった「黄色いベスト」の一隊が見とがめ、「汚いユダヤ人出て行け」「お前の国イスラエルに帰れ」などと叫び、襲いかかろうとしたというのだが、哲学者の顔を知っていたというのはさすがフランス。日本と違って哲学者は人気者なのだ。
ネットに上げられた動画を見ると、「フランスは俺たちのものだ。お前は憎悪を煽る人種主義者だ。死んでしまうが良い。人民がお前を罰するだろう。ユダヤ人くたばれ」とののしりながら、フィンケルクロートに迫ろうとするところを、盾を持った重装備の警官隊が阻止する。フィンケルクロート氏は顔を殴られそうになり、テレビ・インタビューで「ポグロム(帝政ロシアのユダヤ人大虐殺)に似た暴力を感じた」と語っている。
フィンケルクロートは「黄色いベスト」の動機には共感していたのに、なぜこれほどの憎悪の対象にならなければならなかったのか?

シモーヌ・ヴェイユの肖像の描かれた郵便ポストに
鉤十字 (『ルモンド』紙から)

ユダヤ人を脅かす行為は目立って増えている。
2006年にユダヤ人だからという理由で惨殺された青年イラン・アリミの追悼式の前々日、彼の死を記憶するために植樹されていた木が根元から切り倒された。
アウシュビッツを生き延び、厚相、欧州議会議長として尊敬を集めたシモーヌ・ヴェイユの肖像を描いた郵便ポストに、ハーケンクロイツ(ナチスのシンボル)がスプレーされた。
パリ中心部のレストランの窓に「ユダヤ人」とスプレーされた。
都心のガレージの戸に「マクロンはユダヤ人に買われる売女」と書かれた。
これらはフィンケルクロート侮辱事件の前一週間の出来事だ。
去年、反ユダヤ行為の件数は前年にくらべ74パーセント増えたという。「反ユダヤ主義は毒薬のようにまき散らされ、精神を腐らせる。」(カスタネル内相)

ユダヤ人はなぜ嫌われるのか?教養豊かで親切な医者が「ユダヤ人はキリストを殺した」とつぶやくのを聞いてドキッとしたことがあるが、ヨーロッパ人の心の深層には中世以来の妄想的偏見の残滓がひそんでいるのかも知れない。(「キリストを十字架に掛けたのは弟子=私たち信者自身」とするのが聖書の正しい読み方。たとえば、バッハの『マタイ受難曲』。イエスが弟子の裏切りを預言するのに続いて、信者の心を表わすコラールが「それ(裏切り者)は私、私こそが償わねばならない。地獄の業火の中で、両手と両足を縛られて。」と歌う。)
しかし嫌悪は軽蔑ではない。それどころかユダヤ人の医者、弁護士はひっぱりだこなのだそうだ。フランス地方都市で開業するユダヤ人医師いわく「患者さん達は、私のことを頭が良くて、力があり、勉強家で、良い地位についていると思っているようです。そして、私は影響力のある人間で、必要とあれば患者のために頼りになる人脈を動員できると思い込んでいます。」(『ルモンド』2月12日)
頼り甲斐あるユダヤ人という評判は昔も今も変わらない。19世紀の革命家クロポトキンは禁止された書物をロシアに送る仕事を、ユダヤ人がいかに律儀にしとげたかを回想している。
「私は国境で密輸をやっているユダヤ人たちの正直なことについてはいままでになんども聞いていたが、それをこんなふうにして証明してもらえるだろうとは思いもよらなかった。後に私たちのサークルが外国からたくさんの本を輸入したときにも、さらにその後たくさんの革命家や亡命者たちがロシアに出入国するために国境を越えたときにも、これらの密輸業者たちが裏切ったり、足下を見て法外な手数料をとったというようなケースはただの一つもなかった。」『ある革命家の手記』

中世以来の<有能なユダヤ人>という定評は、<ユダヤ人には金がある>という幻想につながり、いまの若者の行動にも影響を及ぼしている。パリ郊外の低所得者住宅地で地区の治安を担当してきた市職員は「お互い隣同士で苦しい生活に差はないのに、非行少年らはユダヤ人の少年を狙います。貧乏そうに見えてもユダヤ人は金があり、最新のスマートフォンを持っていると思い込んでいるからです。この種の反ユダヤ的偏見は、白人であろうとアフリカやアラブであろうと、すべての非行少年に共通です。」と言う。

『ユダヤの陰謀』
1942年フランスのポスター

ネットの世界には<ユダヤ人=金=権力>というお馴染みの手を使った妄想ビデオが蔓延している。ユダヤ人団体の映像に「真の権力」とレッテルを貼ったり、ユダヤロビーこそ社会困窮の元凶だと決めつけたり……。
マクロン大統領がロスチャイルド銀行に勤めていた経歴は陰謀理論にとっておあつらえ向きの材料にされ、マクロンはロスチャイルドに操られるマリオネット(操り人形)、ユダヤ化した裏切り者扱い。「黄色いベスト」のデモの垂れ幕にも「マクロンはユダヤ人に買われた娼婦」「マクロン、腐ったユダヤ」などが混じる。
歴史を振り返れば、危機のたびに、ユダヤ人がスケープゴートにされてきたが、今また反ユダヤのボルテージが上がり、マクロンの名前をロスチャイルドと関連づけるだけで憎悪のメカニズムがフル回転するのである。

こうしたキリスト教世界の伝統的反ユダヤの上に、イスラム移民のイスラエルに対する憎悪に由来する反ユダヤが加わる。ユダヤ人の多くはイスラエルの政策を支持しているわけではないのだが、反シオニズム(反イスラエル)は反ユダヤと同義語になってしまった。
高校で、毎年生徒たちをアウシュビッツに連れて行った教師が、あまり熱心にホロコーストについて教えないよう注意され、無視したら解雇されたなどという例は珍しくない。非ヨーロッパ住民の多い地区の学校では、教室で緊張が高まるのを避けるため、ホロコースト教育に及び腰になりがちなのだ。
親かお祖父さんがアルジェリアやモロッコから渡ってきた生徒にしてみれば、「なぜショアばかり教える?フランスのためにインドシナで闘った私たちの祖父のことは触れないし、アルキ(アルジェリア人の仏軍兵士)へのひどい扱いには目をつぶるし、植民地、奴隷制の罪をしっかり教えないのに。」と、ダブルスタンダードの歴史を押し付けられているように思える。ましてシリア難民など中東から来たばかりの人たちにとって、ユダヤ人を効率的に抹殺したヒトラーは、自分たちに出来ないことをなしとげてくれたヒーローだ。
僕は解雇された女性教師の記者会見を聞いたが、演壇に同席したユダヤ人組織の代表は、「フランス政府の反ユダヤ主義への取り組みは模範的です」と述べ、この問題を報道して欲しくない様子だった。ジレンマに立たされた学校を追い詰めたくないのだろう。

ユダヤ人の子をなぐったり、キッパ(ユダヤ教徒のかぶるお椀のような帽子)を剥ぎ取ったり、子供の頃から近隣のユダヤ人いじめをしてきた若者の告白が『ルモンド』に紹介されている。「2001年、9/11アメリカ同時多発テロですべてがひっくり返った。誰もが反米を叫び、続いて反西欧。パレスチナで第2次インティファーダが始まると、反ユダヤ・反イスラエルにつながったんだ。『ユダヤ人が私たちの祈りの場を盗み取った』『ユダヤ人が私たちの兄弟を殺した』……次々こんなことを聞かされ、脳みそがぐるぐるかきまわされ、精神分裂になったよ。」
9/11がなぜ反米につながるのか首をかしげたくなるが、イスラム世界に広まる陰謀理論の壮大な神話によれば、これこそ米帝国・フリーメーソン・ユダヤ世界支配のためのイスラム・アラブに対する新戦略スタートを意味するのだろう。わがアパートのお隣のシリア人は大学出なのに「9/11テロを仕組んだのはユダヤ人」、「アルカイダとISイスラム国はアメリカがアラブの民主化を阻止するために作り出した」と固く信じている。
ユダヤ人の世界征服計画という触れ込みで広まった『シオン長老の議定書』なる偽書が、ヒトラーにも影響を与え、ホロコーストにつながったと言われる。20世紀初頭にロシアで書かれたこの陰謀計画は早くから偽書と確認されているのに、いままたイスラム主義者がこの本を広め、反ユダヤ主義を煽るのに利用している。
恐ろしい数字がある。今年2月の調査によると、フランス人の22パーセントがユダヤ人世界支配の陰謀を信じているというのだ。

(2019年3月1日)