東京二期会オペラ劇場 《金閣寺》|藤堂清

東京二期会オペラ劇場
(フランス国立ラン歌劇場との共同制作)
黛 敏郎:《金閣寺》 

2019年2月24日 東京文化会館大ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh) 
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
 

<スタッフ>
指揮:マキシム・パスカル
演出:宮本亜門
装置:ボリス・クドルチカ
衣裳:カスパー・グラーナー
照明:フェリーチェ・ロス
映像:バルテック・マシス
合唱指揮:大島義彰
舞台監督:村田健輔
公演監督:大島幾雄

<キャスト>
溝口:宮本益光
鶴川:加耒徹
柏木:樋口達哉
父:星野淳
母:腰越満美
道詮和尚:志村文彦
有為子:冨平安希子
若い男:高田正人
女:嘉目真木子
娼婦:郷家暁子
ヤング溝口:前田晴翔
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京交響楽団

 

このオペラ、2015年12月に神奈川県民ホールで上演されたのが国内では16年ぶりであったが、それからほぼ3年という短い間隔で、異なる演出、演奏家により公演が行われた。
公演全体としては高い水準のもので、このオペラが今後もたびたび取り上げられる価値のある作品であることを示してくれた。 

演奏面はたいへん充実していた。
33歳のマキシム・パスカルの指揮は、日本でこのオペラを演奏してきた指揮者、岩城宏之や下野竜也の行き方とは違い、こまかくモティーフを浮き立たせるよりハーモニーを重視したものであった。溝口の独白に絡む合唱は、お経のリズム旋律だったりするのだが、オーケストラとともに奏される響きは、西洋音楽のもの。東京交響楽団の反応の良さ、音の立ち上がりのはやさが、それをくっきりと聴かせてくれる。
舞台にほとんどの時間立っている主役・溝口の宮本益光、3年前の上演でも同じ役を歌っていたが、この日の歌唱も圧倒的。独白、鶴川との対話、柏木との対峙、それぞれの場面での気持ちの変化歌い分けた
柏木の樋口も、屈折した性格をよく表現していた。神奈川の公演ではカットされていた尺八を溝口に渡す場面、ここでの「美」についての対話が、後の二人の「認識と行為」の議論へつながり、それが溝口を放火へと向かわせていく。イタリア・オペラの歌手というイメージの強い樋口だが、ドイツ語もクリアであった。
鶴川もいくつかの場面で溝口と関わる。溝口が娼婦を蹴った一件を彼に問う場面での彼の優しさ、加耒のノーブルな歌はそれにふさわしい
女性陣は、さまざまな形で溝口を追い込んでいく役割だが、歌うところは多くない。有為子、女、娼婦の3人は、同じ人物が別々の役割で溝口等と関わるとしても良いように思う。 

演出面に移ろう。
今回の《金閣寺》の公演は、ほぼ一年前にフランスのラン歌劇場で共同制作しプレミエをむかえたプロダクション、それを国内に持ち帰るという形である。
宮本亜門は、オ-ストリア・リンツ州立劇場でモーツァルトの《魔笛》を演出し、その後二期会でも上演している。かれにとって、今回の《金閣寺》が二作目の国際共同制作となった。
すでに評価が定まり多くの人が複数の舞台を経験している《魔笛》のような演目であれば、聴衆もいままでになかった新しさを演出に期待することもあるだろう。だが、《金閣寺》のように演奏頻度が高くないものでは、ストーリー展開を理解しやすいことが求められる。フランスで初演を行った舞台は、三島由紀夫の小説を知らない観客にも理解できるように配慮されたことはうかがえた。舞台の上手や下手から簡易なセットをのせた台を出し入れすることで、舞台転換をスムーズに行い音楽が滞らないように工夫されている。
オペラは、金閣寺に火をつけにいこうとする溝口の回想という形で進められる。彼の分身、ヤング溝口を同時に登場させることで、現在と過去を重ねてみせた。このあたりの見せ方はさすが亜門という感じ。
また最後の場面では溝口が燃える金閣寺に飛び込むという、原作にもオペラ台本にもないエンディングとしていたが、筆者にはこの変更の意図はわからない。
その一方、多くの場面で大規模なカットがあった
この処理はフランス上演のときの指揮者ポール・ダニエルと演出家宮本亜門によって決められていたものだろう。演奏時間では全曲で四分の三ほどになっていた。物語の進みは早く、わかりやすくなっていたが、合唱や有為子のテーマなど、削られてしまった部分も多い。
岩城宏之のように作曲家と同時代を生きた者にとっては、作品の変更など考えられない、考えたくもないことであったのだろう。世代も異なり、生まれも違う人々が上演するようになれば、異なる発想で行われていくことにな。それがなければ、時代を越えて受け継がれていく作品とはなりえないであろう。
宮本亜門の演出、しかもフランスで初演ということもあり、実話としての金閣寺放火、戦時中から戦後といったような時代にしばられない舞台を期待していたのだが、それは充たされなかった。マッカーサー昭和天皇を登場させても、現代の大部分の聴衆にとって時代を感じる上でどれほどの意味があるだろう
初演から40年を経たこのオペラを博物館の陳列物にしないために、時代にとらわれない意味付けをしていってほしい。 

(2019/3/15)