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オルケストル・アヴァン=ギャルド 第1回公演|大河内文恵

オルケストル・アヴァン=ギャルド 第1回公演

2019年2月14日 トッパンホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 越間有紀子/写真提供:オルケストル・アヴァン=ギャルド

<演奏>
オルケストル・アヴァン=ギャルド
渡辺祐介(指揮)
小倉貴久子(フォルテピアノ)

<曲目>
L.v. ベートーヴェン:バレエ音楽《プロメテウスの創造物》序曲 作品43
         :ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 作品15
~ソリスト・アンコール~
L.v. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 作品13より 第3楽章

~休憩~

L.v. ベートーヴェン:交響曲第1番 ハ長調 作品21

 

「新世代古楽オーケストラ、ここに誕生。」と大きく書かれたチラシ。右の余白には「我々の辞書に不可能の文字はない!」「Impossible n’est pas L’orchestre d’avant-garde」の文字が躍っている。見ているこちらが少し気恥ずかしくなるくらいの煽り文句だが、それが誇張でも「盛り」でもなかったことが証明された演奏会だった。

『プロメテウス』は序奏が少し遅すぎると思われるテンポで始まり、一瞬不安になったが、アレグロになったらいきなり本気を出してきた!第1ヴァイオリンは5人だけだが、それでも迫力は充分だし、管楽器の響きが斬新であった。とくにオーボエとフルートは「木管」であることがよくわかる音色で、普段聴いている金管っぽい音色ではないので、新鮮に聞こえた。ピリオド楽器で聞く醍醐味である。

つづく『ピアノ協奏曲第1番』では、初っ端から度肝を抜かれた。通常ピアノ協奏曲は、オーケストラによる提示があって、その間ピアニストは弾かずに待っており、一通り提示部分が終わった後にピアノがおもむろに入ってくるのだが、最初からピアノも一緒に弾いているのだ。ショパンのピアノ協奏曲の室内楽版の楽譜では、ピアノも他の楽器と同様トゥッティの時にもずっと弾く形になっているのだが、それと同じことが今目の前で起きている!ベートーヴェンのピアノ協奏曲の中でも、他に比べて第1番は録音も演奏されることもあまり多くないのだが、その中でもフォルテピアノでの演奏はさらに少ない。モダン・オーケストラとモダンのピアノで演奏されるものとは、まったく違う世界が広がっていた。

フォルテピアノを使った演奏でいつも思うことだが、ピアノと他の楽器群との音量のバランスがとても良い。とくにソロ部分ではフォルテピアノとオーケストラとのやり取りがとても自然で室内楽を聴いているかのように感じる。こういう演奏を聴いていると、ピアノ協奏曲というのは、オーケストラに独奏楽器を加えたものではなく、室内楽の拡大版なのだということが実感として腑に落ちた。また、ホルンとピアノの掛け合いを聴いていると、管楽器とピアノというのはこんなにも音色の相性がいいものなのかと新たな発見があった。ベートーヴェンはそれを知っていて、ここを書いたに違いない。

2楽章は別の意味でフォルテピアノらしさを感じた。テンポの遅い2楽章では、減衰のはやいフォルテピアノでは間が持たない。ピアノのパートが緩徐楽章で刻む音型になるのは、それを補っているのだなとわかる。

3楽章は賑やかなピアノで始まるのだが、フォルテピアノだとそれがうるさく聞こえない。そして中間部のオシャレなことといったら。まさにアヴァン=ギャルドである。3楽章というと、快速なテンポと大音量というイメージがあるが、このオシャレさの前では大音量などまったく必要ない。

それにしてもかなりのテンポで飛ばしているが、それが早過ぎると感じないのは、小倉がそのテンポでも余裕をもって弾けているからだろう。これまで小倉のソロや室内楽を聴いてきたが、今日ほど小倉が巧いと思ったことはない。彼女が一番輝くのは協奏曲なのかもしれないと思った。

ソリスト・アンコールは『悲愴』の第3楽章。ひたすら沁みた。と同時に、家に帰ったら、楽譜を出して自分も弾きたいと思った。いいピアノを聴くと自分でも弾きたくなるのは筆者だけだろうか?いや、小倉のようには絶対弾けないのだが、でも弾けそうな気がしてしまうのだ。そのくらいピアノ心をくすぐる演奏だった。

後半は『交響曲第1番』。気がつくと、ピリオド楽器の演奏であることをいつの間にか忘れていた。約30年前、筆者が古楽を聴き始めたころは、まだ古楽器(と当時は呼んでいた)奏者のレベルが安定せず、室内楽ですら崩壊しそうになっている演奏をいくつも聴いたが、今や国内の若手だけでオーケストラができるくらいになったのかと感慨深い。

2楽章の楽器が徐々に増えていくところでは、薄いテクスチャーゆえに楽器の音色の多彩さがよくわかって楽しめた。3楽章になると、ベートーヴェンっぽさが増す。なぜか?あ、ティンパニだ。ティンパニが入ると途端にベートーヴェン色がぐぐっと強調される。なるほど。

4楽章に入ったあたりから、ギアが1段上がった。と同時に、メンバー同士が視線を合わせてコミュニケーションしているのがわかる。もうここまで来れば大丈夫ということだろうか。これまで以上に生き生きと音楽が動き始め、何より弾いている人たちが楽しそう。

そんなとき、ふと音楽の作り方がオペラっぽいなと感じた。そういえば、今日の指揮者渡辺は歌手としても活躍している。そう思って聞くと、器楽奏者出身の指揮者よりも、音楽のつくりかたが柔軟な気がする。それは協奏曲のカデンツ(どれも抜群に良かった!)がオペラのカデンツ(とは言わないが、伴奏なしでソロで歌う部分)と似ていると聴きながら感じたのと源は同じなのかもしれない。

さて、第1回は終わった。次はいったいどんなアヴァン=ギャルドを聴かせてくれるのだろうか。大切なのは、第1回を成功させることよりも、それを続けていくことだと思う。これからの彼らの活動から目が離せない。

(2019/3/15)

追記:ピアノ協奏曲第1番でトゥッティの間に弾かれたピアノパートについて、後日調べてみた。プログラムに記載されている1984年出版のヘンレ社の楽譜にはその記載はなく、2013年出版のベーレンライター社のスコアにはトゥッティ時のピアノパートに通奏低音の音符と数字が小さく記載されていた。もちろん、通奏低音的に入れたものが偶然一致しただけなのかもしれないが、この部分は今回の演奏の根幹にかかわる問題でもあるので、その旨どこかに書いてあると親切だったのではないかと老婆心ながら申し上げる次第である。