音楽評論|現代音楽のために――これからの「抵抗」へ向けて|西村紗知

現代音楽のために――これからの「抵抗」へ向けて 

text by 西村紗知(Sachi Nishimura) 

◆はじめに
日本の現代音楽プロパーが、日頃口にしないでいる事柄がある。それは「現代音楽は今もなお生き長らえているのかどうか」という問いだ。かつては、ベートーヴェンのような巨匠は今後生まれそうもない、くらいの実感だったそれが、いまや、社会に対して多少なりともインパクトを与える力すらないかもしれない、というところまで来ているのではないだろうか。
現代アートのことを想い起してみてほしい。近年、観光業と手を結び、あるいはサブカルチャー受容に混ざり込むかたちで、商業上の戦略を巧みに成功させている。商業的なやり方とはいえ、それでも自らのプロパー外への発信力をもっている。これに対し今日の現代音楽はいくらか自分自身の正当化を試みるだろう。その際「そうした商業上の生存戦略の遂行は、他の現代の音楽、ポップス等に役割を委譲した」、「社会に対してインパクトを与えるべきだという発想自体、過去のモダニズム観にしばられたものだ」などと言う人がいるかもしれない。確かにこうした正当化はなんら不当なものではない。ただし、自分たちがそうした営みを放棄してまで何をしているのか、というのを説明できればの話だが。今日、現代音楽は、何をつくり、何をしたいと思っているのか。
もちろん、今日の作曲家単体でみれば、何をつくり、何をしたいと思っているのか折に触れて説明しているのを随所で確認することができる。作曲のためのコンセプトを練ったり、プログラムノート等文章で自作を説明するのは、ほとんど義務付けられているような状況だ。「今日、現代音楽は」などと一括りにされたりすれば、すぐさま反論する作曲家だっているだろう。しかし、どうだろう。個々の作曲家にあっても、何をつくり、何をしたいと思っているのか、説明するのは実のところ容易ではないのではないか。
説明できたことになるにせよ、それは半分カルト化した現代音楽プロパー内での話であって、その説明が外部に通用するかどうか、誤解というかたちで波及する場合も含めて、疑わしい。
これは第一に、現代音楽を語る上での用語が高度に専門化したことが原因である。これに加えて、言葉による説明無しに作品そのものだけで作品が成立するという事態が、殊更に目指されなくなったことも関わってくるだろう。こうした状況下にあってもなお、現代音楽の今日の状況を説明しようとすれば、それはそのまま、基準〉の問題圏に突入することになる。
自ら前衛の立場を標榜する音楽とはとりもなおさず、基準そのものを問題視する音楽だったと言っても差し支えないだろう。新しい音楽が新しい基準をもってあらわれ、それが新しい創作基準と判断基準をもたらしていく。
それがいつからか、新しい音響素材の追求や、論考などによるコンセプトの彫琢にとってかわり、作曲行為そのものの意味をも刷新し、判断基準の方はそうした行為を包括的に事柄として捉えることすらままならなくなった。その刷新された作曲行為では、基準そのものがあまりに前面に押し出されているため、出来上がった作品が基準を説明するかのような、いわば逆転現象が起こっている感すらありはしないか。そうした自己言及的な構造を作品がもってしまっているからこそ、その特殊な自明性ゆえに、作品の説明は容易ではないのである。
「今日、現代音楽は何をつくり、何をしたいと思っているのか」。この素朴な問いは真っ先に、問いを立てた者の個性や能力や立場を浮き彫りにしてしまう。時には、そうした個人的な領域を浮き彫りにしただけの単なる私的な解答に尽きる場合もあるだろう。だからこの問いをはじめようとするならば、今日の現代音楽それぞれの作品に向き合うより先に、基準にまつわる問題が顕在化し始めた地点に立ち帰ること、つまり「今日、現代音楽は何をつくり、何をしたいと思っているのか」という問いがどのように立てられたか、という問いを立てることの方が先決ではないだろうか。 

◆『日本の作曲2000-2009』の座談会の発言から 
現代音楽に関する刊行物やクロニクルをつくろうとするとき、人は基準への問いを回避することができない。その際に対象となる現代音楽が、かつてほどに基準の破壊をあからさまに志向しなくなったものだったとしても、である。
 
サントリー芸術財団刊行の『日本の作曲2000-2009』という出版物を手に取ってみる。するとそこには、日本の現代音楽の作曲家への提言がいくつかなされているのがわかる。例えば、音楽学者・音楽評論家の白石美雪の次の発言である。

自分の気持ちがいいものがよいという価値感(ママ)で動いている。ヴァラエティに富んだ作品が出てきているとは思いますが、ひとつの流れというのは見えないですね。歴史意識、自分がどこにいるかという認識が欠如している。註1) 

基準への問いが生じ、これに対して回答せざるを得ない状況に置かれたとき、往々にして人は基準がすでに無くなったのだと回答する。そして基準の消失を語る際、この原因が何であるか、考えを述べることになる。ここでは作曲家に対して問題点が二つ指摘されている。 
一つは
作曲家が「自分の気持ちがいいものがよいという価値感で動いている」ということ。この「よいものがよい」というトートロジーじみた判断に基づく態度を、ここでは手短にまとめて「感覚的な恣意性」と言い換えるとしよう。 
もう一つは「歴史意識、自分がどこにいるかという認識が欠如している」こと。
歴史意識という概念は、それ自体曖昧模糊としている。ここでは歴史意識を、作曲の問題に限定して、過去の音楽との歴史的「文脈」を作品やプログラムノートによって表明することであるとしよう。 
上記発言全体で、作曲家の側の基準が彼ら座談会の面々に共有されておらず、それに伴い彼らの基準が機能していない状況が描き出されている。
 
作曲家の感覚的な恣意性と歴史意識の欠如は、この座談会の中で
おおよそ総意として共有されている。そしてこの二つの問題点が聴く側にも波及していると、政治学者・音楽評論家の片山杜秀は指摘する。 

今まで単純化して先をめざして、けっきょく先にどうやって行けるかわからなくなってしまったから、歴史を見直すくらいしかやることがなくなったということは、1990年代、2000年代にたしかにあったと思います。それによって、少なくとも聴く側は豊かになったと思いますよ。選択肢も増えたし、こんなもの聴いていて恥ずかしいという意識からも解放された。解放された歓びはあったけど、解放された後に、それがあたりまえだと思って聴く人も現れて、あれもよし、これもよしで、歴史性のない無方向な聴衆や評論家が出てきたのも確かです(註2) 

聴く側もまた「あれもよし、これもよし」となって、感覚的な恣意性に頼らざるを得なくなっている。そしてこれは「歴史性のない」つまり歴史意識の欠如と同時に起こっている。 
白石と片山の発言をまとめると、作曲家と聴く側の両方に、感覚的な恣意性と歴史意識の欠如が行き渡っているということだ。すなわち、この二つが基準の消失の内実である。
 
基準の消失の内実は明らかになったが、基準の消失が何によるのか、自分の考えを述べた後に、人は基準の消失をそのままにしておけばよいと言うことはできない。ましてや、刊行物を出すというのが未来に向けた行為である以上、何かしらの提言をする責任が生じる。この座談会でも同様である。座談会を締めるには、これからの話をしなければならない。片山の発言に次のような部分がある。この部分が「歴史性のない無方向な聴衆や評論家」という先の否定的な発言と響きあっていると考えるのは、不自然なことではないだろう。
 

今後は、いろんなものに向き合いながらそれをどれだけユニークな歴史意識のもとに解釈して、しかも玄人らしい職人の技をもって作品にフィードバックさせていける作曲家以外は生き残れないと思います。(註3) 

基準の消失を乗り越えるために、すなわち感覚的な恣意性と歴史意識の欠如を乗り越えるために必要とされるのは、「ユニークな歴史意識」である。 
さて、「ユニークな歴史意識」とはなんであるか。「自分がどこにいるかという認識」がき
ちんと表明されており、なおかつそれが「ユニーク」である、ということだ。具体的にイメージした場合、ユニークな歴史意識とはさしずめ、それを表明する作曲家が自分自身に「文脈」を用意することである。過去のどういった作品から「影響」を受けているか、きちんと意識を明確にし、場合によってはどういった「学派」に属するのか、説明することである。 
であるからして、ユニークな歴史意識は、感覚的な恣意性とは隣り合わせの関係にあると言えよう。ユニークさの表明という点で特に、ユニークな歴史意識は「よいものはよい」と受け取られるだけに留まるリスクをはらんでいる。
 
では、作曲家はどのように、あるいは何によって「ユニーク」たりうるか。ユニークな文脈を自身で生み出す、形成するには何が必要か、という問いがここに生じる。すなわち、ユニークさをもってして歴史と対峙する方法が問われるべきである。しかしこの座談会ではそれ以上の話にはなっていない。
 
ユニークな歴史意識については、これ以上この座談会の発言からは検討できない。歴史と対峙する仕方として、戸田邦雄の提唱した「人工重力」という発想を、次に検討しよう。
 

(註1)『日本の作曲2000-2009』p.90. 
(註2)同上、
p.90. 
(註3)同上、
p.92. 

◆『架空庭園の書(あるいは現代の創作意識について)』 
基準にまつわる問題が顕在化し始めた地点ということであれば、座談会が開催された2010年よりも前に遡らなくてはならない。それは、
代音楽が基準の破壊をあからさまに志向し、その動きに少し陰りが見え始めた時代のことだ。作曲家・戸田邦雄による『架空庭園の書(あるいは現在の創作意識について)』という1966年の論考に立ち返ろう。戸田は、当時の作曲界の現状を鑑みて、これからは「人工重力」が必要だと考えたのである。 
戸田は身近に起こった現象への言及から論考をはじめている。それは、若年層の作曲家志望生において創作意欲が欠如していることについての言及である。しかしそれは単に「若年層の作曲家志望生」に限ったことと戸田は考えない。もっと大きな根深い問題であり、戸田は前の世代の作曲家が制作をしばしば停止している現状や、同世代の日本の文学界における〈型〉の無効化についてなど、具体例を挙げる。これらの具体例の提示により戸田は、理性や進歩への信仰、――すなわち前衛の拠り所であるが――これがもはや無効となってしまったということ、そうして若年層のみならず、ともすれば文学といった外部の分野においてもなお、全体にわたる創作意識の低下という事態に至っていると指摘するのだった。
 

調性崩壊以来の手法や考え方の多様化と、日本における洋楽の伝統の根の浅さとを考えると、福田氏[文芸評論家の福田宏年――引用者]のいわゆるなしくずしの崩壊現象』がここでは外側からと内側からと二重に進行していることが分かるであろう。創作意欲を完全に欠如した作曲学生というような現象はその一つの徴候のように思えてくる。もともと創作という行為には一種の抵抗感みたいなものが必要なのに、つまり、言ってみれば、われわれは一種の無重力状態の中にいるわけなのである(註4) 

この引用もまた、基準の消失の内実を物語っている。つまり戸田の時代において基準の消失の内実とは、「手法や考え方の多様化」と「伝統の根の浅さ」である。戸田は基準の消失の内実をまとめて「無重力状態」と捉えた。この無重力状態の中ではおよそ創作というものの取っ掛かりを掴むことすら難しいのであるから、創作の生死が危ぶまれているという意味で、ここでの基準への問いは実に深刻である。 
繰り返しになるが、『日本の作曲』座談会の方では、基準の消失を乗り越えるためにユニークな歴史意識が必要であるとされた。他方戸田は、「人工重力」が必要であると主張する。
 

作家たちが暮しているのは,もはや象牙の塔などではなく『宇宙ステーション』の中なのだから、そこで生活したり仕事したりしてゆくためには、それぞれ自分のための人工重力を作り出す必要があろうというものである。そういった事態にもっとも早く気がついたのは新古典主義時代のストラヴィンスキーだったのではないか? そして現代における保守的態度というものも、民族主義も、十二音をはじめ音程から空間にいたる諸パラメーターのセリー化も、Aléaも、確率や位相も、禅も、それぞれみなそういった『人工重力』なのではないか? つまり、自分の宇宙ステーションを自己回転させてそういった人工重力をつくり出すことができた者だけがともかくも創作をつづけることができるのである(註5) 

「人工重力」とは、一般的な言葉で言えば個人様式のことだ。『日本の作曲』座談会の議論に近づけて、作曲家が自分のために「様式」「技法」をつくること、と言うこともできる。実際このように言うことで、2010年の時点で提言として出された「ユニークな歴史意識」と1965年に出された「人工重力」との間に、重なり合うもの、連続するものを見出すのは不自然なことではないだろう。 
しかしながら、「ユニークな歴史意識」の要請にはなかったある部分を戸田の論考は含んでいる。それは「抵抗感」である。基準の消失の内実である「手法や考え方の多様化」と「伝統の根の浅さ」とは、そのまま作曲家の意識における抵抗感の消失を指す。「なにをしてもよい」「~すべきということはない」といった状況下で、作曲家の創作意識は失われていく。この場合抵抗感とは、「~してはならない」「~のようにはやりたくない」といった禁止要請のことである。禁止要請は自分でつくることができない。作曲家は創作過程における禁止要請を、過去や他人の作品と向き合うことでしか獲得できない。戸田は「人工」であらざるものを、言ってみれば「ユニーク」ではないものを、人工重力が必要であると主張し
つつも念頭に置いていたのである。 
ここに、ユニークな歴史意識が感覚的な恣意性に陥らないための分岐点がある。感覚的な恣意性には抵抗感がない。逆説的な言い方になるが、「ユニーク」さの中に禁止要請を、すなわち「ユニークではないもの」を内包すること。これが、人工重力からユニークな歴史意識に対して託された課題である。自分自身でつくれないものはなにか、ユニークな歴史意識の作曲家は反省せねばならない。そうでないとユニークな歴史意識は、作曲をはじめる入り口を確保するだけに留まり、また単なる作曲家のセルフプロデュースの身振りとなろう。セルフプロデュースの身振りなど、感覚的な恣意性以外のなにものでもない。結局のところ、作曲家が好むと好まざるとにかかわらず直面せねばならないものと格闘するという状況が、作曲家自身により妨げられてしまったら、「ユニークな歴史意識」であれなんであれ、なにもかも有効な方法とはなりえないのではないか。
 
今や、「無重力」から「人工重力」へ移行する間のことについて、考えねばならない。というのも、「無重力」であるからといって作曲家が直面せねばならないものまで雲散霧消したと考え、「人工重力」にすぐさま移行するなら、そこに何か問題があるからだ。作曲様式の時代ごとの変遷、「無重力」から「人工重力」への移行期に注意を向けるべきだと言っているのではない。そうではなく、作曲家が「無重力」ということをいかに受け止めるかについて、作曲工程で何らかの禁止要請を獲得する以外に感覚的な恣意性が開かれる術があるのかどうかということについて、問題にしているのである。
 

(註4)『架空庭園の書(あるいは現在の創作意識について)』p.7. 
(註5)同上、
p.8. 

◆『新音楽に対する抵抗』 
「ユニーク」の中に「ユニークではないもの」を内包すること、これについて考えるために、また別のところで立てられた基準への問いを引き合いに出さねばならない。
 
戸田の論考から遡ること6年前、無重力状態の作曲界で、とある議論が交わされていた。1960年に、哲学者・Th. W・アドルノと作曲家・K. シュトックハウゼンによるラジオ対談、『新音楽に対する抵抗』がヘッセン放送協会から放送された。
 
アドルノというと、1949年の著作『新音楽の哲学』におけるシェーンベルクの章で、バッハ以来の伝統の終着点として十二音技法の意義を説いてみせた、いわば伝統主義的なモダニズムの論客である。そしてまたシュトックハウゼンは、言ってみれば当時最先端の「人工重力」の作曲家である。彼らもまた別の仕方で、当時の作曲界の問題を紐解こうとするのであった。
 
別の仕方とは、多様化と伝統の否定により、基準が平板化を起こした状態である「無重力」そのものから問いを立てるのではなく、これを、基準の発現としての「抵抗」が所在不明となった状態とみなすこと、ここから議論を始めることである。すなわち、「人工重力」の
作曲家にとっても、どこかに「抵抗」がありはしないかとアドルノはシュトックハウゼンに問うのであった。この対談でアドルノは「中立化した抵抗」というアイデアを提案する。「無抵抗(無重力)」ではなく、「中立化した抵抗」なのである。 

30年前にはある激しい抵抗のようなものが実際に存在しました。例えばクシェネクの《第二交響曲》がカッセルで初演されたときにはまだ、スキャンダルがありました。アルバン・ベルクの《アルテンベルク歌曲》やストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演時のスキャンダルについては語るまでもありません。それとは逆に今日では、人々がもはや全くモデルネの音楽について興奮しないという事態がゆきわたり、人々が険しく敵意をもってその音楽を拒否するということがなくなりました。[……]こうした無関心と中立化が本当は抵抗が身に付けたただの仮面であり、その背後にはやはりまさしく敵対心が潜んでいます註6) 

ここでいう「抵抗(der Widerstand)」とは、一般的に言えば「無重力」以前の営みで、聴衆がある作品について何か評価を下したり、作曲家同士で作品を論評し合ったりする、こうした行為におけるとりわけ否定的な価値判断のことである。反射的な嫌悪感であっても、あるいは専門的な論争であっても、包含されうる。ちょうど戸田が記した「もともと創作という行為には一種の抵抗感みたいなものが必要なのに」という部分と響き合っているところである。 
戸田の議論と比べたとき、この「抵抗」への言及自体に何か真新しい驚きが感じられるわけではない。もちろん「背後にはやはりまさしく敵対心が潜んでいます」という診断には独自性があっても、ここからだけで、対談全体の方針付けの役割以上のものを取り出すことはできない。「人々が険しく敵意をもってその音楽を拒否するということがなくなりました」という発言が、大凡のイメージでは「人工重力」と「ユニークな歴史意識」とに通じる現状を示していることになるだろう、と想像されるに過ぎない。
 
しかしながら当然、「抵抗」への言及はそれだけに尽きるわけではない。別の「抵抗」について言及がある。これは「人々が険しく敵意をもってその音楽を拒否するということがなくなりました」という、無抵抗として現れるとされる「抵抗」に関する議論の延長線上で、シュトックハウゼンの口から不意に出る。
 

私が書く多くのものは、私自身にだってわかりません。これはたいへん矛盾したように聞こえますけども註7 

シュトックハウゼン自身はこの発言により、「抵抗」として把握されるものを指し示そうとするつもりはなかった。しかしここにアドルノはある種の「抵抗」を見出す。作曲家と自作との間に生じる「抵抗」である。この「抵抗」は「ユニークな歴史意識」「人工重力」のどちらに関しても示唆されることがなかった。それもそのはず、シュトックハウゼンにとってもそうだったように、作曲家にとって意図されざる事柄であるし、作曲家の意図できないものをどうして今後の方針として挙げることができようか。あるいは今後の方針として掲げるには、あまりに曖昧で場合によっては当たり前のことであろうから。 
この「抵抗」が、無重力状態という基準の消失した状況でも可能な抵抗、すなわち作曲家と自作との間の理解不可能性である。これこそが「ユニーク」さの中に「ユニークではないもの」が内包された事態を示している。
 

6)Der Widerstand gegen die Neue Musik, S. 459. 
(註7)
Ebd., S. 466. 

◆作曲家と自作の間の理解不可能性という抵抗 
どうして作曲家に自作がわからないなどということがあろう。ましてや、自作に適用された作曲技法や論理についてあれだけ質的にも量的にもすぐれた著作を残した、「人口重力」の筆頭とも言うべきシュトックハウゼンともあろう作曲家が。
 
もちろんシュトックハウゼンには、どうやって作曲したのか誰よりもわかるはずだ。しかしこの「抵抗」の生じる場はその「作曲すること」の側にあるのではない。「作曲されたもの」すなわち作品の方にある。
 
作品をつくり終えた時点に、作曲家にとって抵抗があるということ。アドルノは、自作に対する理解不可能性というシュトックハウゼンの示した考えに興味を示す際、シェーンベルクの発言とのアナロジーでその発言を捉えるのであった。
 

その発言は私には何か並はずれて実り豊かなもののように思えます。シェーンベルクによる全く似たような意味の発言が思い起こされます。彼は私に20年前に一度ロサンジェルスで、ある作品、木管五重奏曲について、『私はその作品がよくわからない』と言いました。[……]このことが示すのは、いわゆるインスピレーションの瞬間は非合理的なものだといった、当たり障りのないことでもなければ、人が自分自身を意のままにできない、ということでもありません。そうではなく作品そのものが作者に対してある種の独立性を、ある種の自律性を引き受けることができ、これは作者に、作品をあらゆるその特徴においてすぐさま完全に共体験すること(mitzuvollziehen)を禁じる、ということです註8 

この発言の中には留意すべき点がある。「いわゆるインスピレーションの瞬間は非合理的なものだといった、当たり障りのないことでもなければ、人が自分自身を意のままにできない、ということでもありません」として、二点条件が提示されていることについてである。つまりこの類の「抵抗」は、作曲家に対する神秘めいた世俗的なイメージで済ませる事柄でもなければ、テクノロジーの導入や易経などの使用によってもたらされる、作曲行為内の偶然的な契機のことでもない。むしろ反対である。作曲家が思い通りに自覚的に作曲して、その上で到達されるというのである。シェーンベルクの木管五重奏曲は、十二音技法による二番目の作品であった。 
作曲家が思い通りに自覚的に作曲して、出来上がった作品との間に結果的に「抵抗」があるということ。ここには何が生じているのか。
 
結局、作曲家は創作過程において「ユニーク」でありきることはできない。作曲行為が、音や技法や論理という、他人が過去に作曲行為の対象としていたものでまかなわれる限りにおいて。
 
こんなことは身も蓋もないことだろうか。しかし肝要なのは、その際作曲家が音や技法や論理を直接相手取っているように感じていても、実際にはその音や技法や論理に対して抱いている、個人的な実感も相手取ることを避けられないということだ。この直接意識されることのない個人的な実感が、作品が完成すると意識されることとなる。芸術家全般に及んで、作曲家が思い通りに自覚的に作曲した果てに、どういう事態になるのかアドルノが説明している別の箇所を参照しよう。
 

芸術家が素材を意のままにするということは別の面から言えば[……]まさに次のことに他なりません。芸術家がこの素材に可能な限り純粋に身を委ねること、芸術家が客観への自由を獲得すること、いわば芸術家が自らを徹頭徹尾、素材がそのさまざまな契機のどれにおいても芸術家に要求するものの執行機関にするということです註9 

つまるところ「抵抗」とは、「客観への自由」が獲得され、主観から脱却したということの、ひとつの証左である。音楽の「素材」に「可能な限り純粋に身を委ねる」ことにより、作曲家は素材のためのいわば「執行機関」になりはてて、しかしここではじめて「よいものがよい」という感覚的な恣意性を打開するということだ。 
さて、残されたのは「素材に可能な限り純粋に身を委ねる」とは何かという問題だ。ここからのことはそろそろ、個々の作曲家の事情によるとしか言いようのない部分になってくるのだが、上記引用の「芸術家」が仮にシェーンベルクのことだとしたら、そのシェーンベルクが身を委ねたところのロマン派的な素材が、シェーンベルクの作品においてどうなったか、聴き取られたときにはその事態を想像するに難くないだろう。
 
1903年作曲《8つの歌曲》の第1曲目〈夢の人生〉にヴァーグナーの音調を聴くとき、《架空庭園の書》第3曲目〈あなたの垣の中に新参者として私は入った〉にブラームスのリート作品の韻律法を感じるとき、そして木管五重奏曲においてはそれらがすっかりなにものかに変ってしまったのを聴くとき、いずれのときにおいても影響関係という単純な言葉を口にすることは憚られる。この場合「素材に可能な限り純粋に身を委ねる」こととは、シェーンベルクのロマン派へのスタンスの複雑さ、愛憎といってもよいもののことである。
 
「もうロマン派みたいに書けない、ロマン派なんて大嫌いだ(
Nicht länger mehr romantisch schreib‘ ichromantisch haß‘ ich.)」とは、合唱作品《3つの風刺》第3曲目〈新古典主義〉で、シェーンベルクが当時の新古典主義を揶揄して書いたものだが、まったく別様にしてシェーンベルク自身にもこの言葉が響いている。 
シェーンベルクという作曲家がいかにロマン派的な書法を憎んでいたか。そしてまたそれが彼の音楽の出発点となったことか。あの愛憎をもって彼は彼の手にした素材に身を委ねるのだ。そしてこのことをきっと、彼は意識しきれていなかっただろう。彼の中のブラームス、ヴァーグナーはグロテスクに変容し、彼らの残した素材の言いなりになるよりほかはなかった。作曲家と自作の間の理解不可能性という抵抗の原型がまさにここにある。
 
「ユニークな歴史意識」「人工重力」の議論から、随分素朴なところに帰り来たようでもある。作曲行為における音楽、その素材に対する愛憎という、きわめてナイーブな現実がここには立ちはだかっている。
 

8)Der Widerstand gegen die Neue Musik, S. 466. 
9)Ästhetik(1958/59), S. 109. 

(2018年度第5回柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞作改訂版) 

 (2019/3/15)

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西村紗知(Sachi Nishimura)
鳥取県出身。2013年、東京学芸大学教育学部芸術スポーツ文化課程音楽専攻ピアノ科卒業。のち2016年、東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻美学研究領域修了。修士論文のテーマは、「1960年代を中心としたTh. W・アドルノの音楽美学研究」。研究発表実績に、「音楽作品の「力動性」と「静止性」をめぐるTh. W・アドルノの理論について —— A. ベルク《クラリネットとピアノのための四つの小品》を具体例に——」(第66回美学会全国大会若手研究者フォーラム)、「Th. W・アドルノ『新音楽の哲学』における時間概念の位相 音楽作品における経験と歴史に関して」(2014 年度 美学・藝術論研究会 研究発表会)がある。現在、音楽系の企画編集会社に勤務

参考文献:
片山杜秀白石美雪楢崎洋子沼野雄司日本の作曲 : 2000-2009サントリー芸術財団2011 年
戸田邦雄架空庭園の書あるいは現在の創作意識について」『音楽芸術』第24巻7号1966年、6-9 
Theodor W. Adorno und Karlheinz Stockhausen: »Der Widerstand gegen die Neue Musik«. Gesendet: HR, 22.4.1960. In: Karlheinz Stockhausen: Texte zur Musik 1977–1984. 6: Interpretation. Ausgewählt und zusammengestellt durch Christoph von Blumröder. 1989: S. 458483.
Theodor W. Adorno: Ästhetik (1958/59)herausgegeben von Eberhard OrtlandSuhrkamp2009. (Nachgelassene Schriften / Theodor W. Adorno ; herausgegeben vom Theodor W. Adorno Archiv, Abt. 4 . Vorlesungen ; Bd. 3)