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五線紙のパンセ|子どもの音楽教育と私|森山智宏

子どもの音楽教育と私

text & photos by 森山智宏 (Tomohiro Moriyama)

「ピアノと私」に続き、第2回は「子どもの音楽教育と私」。
私と「子どもの音楽教育」との出会いは二つある。一つは、奉職先の桐朋学園大学附属「子どものための音楽教室」でソルフェージュを教えることになった時、もう一つはカワイ出版より「子どものためのピアノ作品」を委嘱された時である。
前回のコラムで、「作曲活動を細々と始めた頃、ピアノ曲を数多く書く現在の姿を想像したことはなかった」と書いたが、それはそのまま、「子どもの音楽教育」にも当てはまる。
なぜ私は、多くの時間を「子どもの音楽教育」に充てているのだろうか?
子どもの音楽関連の仕事が増えるにつれ、ふと、このような疑問が頭をよぎることもあった。しかし、現在では、私の中で「作曲活動」と「子どもの音楽教育」が密接に結びつき、自身の音楽観を形成している。

私が初めて「子どものための作品」を書いたのは、カワイ出版の委嘱で作曲した『雨の日のダンス』という作品である(「ピアノ・トゥデイ2009」収録)。この委嘱を受けた際、「なぜ私が子どものための作品…?」ととまどったが、当時はまだ若かったので(?)断る理由など何もなく、自分の新たなフィールドとして取り組んでみようと思った。
しかし、いざ作曲してみると、(当たり前の事だが)「手の制限」の壁にぶち当たる。大人が当たり前のように弾いているフレーズは、小さい手には演奏できない。
そこで、改めて私が子どもの時に学んだピアノ曲集を紐解いていくことにした。バッハ『インヴェンションとシンフォニア』、ブルクミュラー『25の練習曲』、ソナチネアルバム、チェルニー『30の練習曲』…。
これは、発見の連続であった。「手の制限」の中で、何と音楽的・教育的意図に満ちていることだろう!
自分の手を見つめ、私はこれらの曲集からピアノを学んだことを再認識した。勿論、ピアノだけではなく、「クラシックの歴史を学んだ」と言い換えてもよいだろう。多分にノスタルジックなものも含む感動ではあったのかもしれないが、そのような感慨にふけりつつ、再びピアノに向かい筆を進める。
完成した作品は、ピティナピアノコンペティションの課題曲に選定され、幸いにも多くの子どもが演奏してくれた。

その後も、継続的に「子どものためのピアノ作品」を書く機会を得る。また、桐朋学園大学附属「子どものための音楽教室」でソルフェージュ主任に任命され、更に「子どもの音楽教育」が私の活動の主軸になっていった(さらに現在、日本作曲家協議会理事として、「こどもたちへ」実行委員長を担当している)。
そのような日々を過ごす中、私の中で一つのキーワードが浮かび上がる。
それは、「技術」。
当たり前のことだが、全ての表現は、「技術」がなければ成り立たない。音楽で言えば、作曲もそうだし、演奏もそうだ。私も、子どもの頃から「技術」を教えられて音楽を専門とするようになったし、また私自身が教師として、子どもたちに「技術」を教えている。
しかし、自戒を込めて言えば、何か大切な、本質的なものを見失っていないだろうか?
「技術」を学ぶことは、「歴史」を学ぶことである。
「技術」は、「想像(イマジネーション)」と「創造(クリエーション)」の産物でなければならない。
だが現在の教育現場は、過度に「技術至上主義」に陥っているのではなかろうか。高度な専門性を要求するクラシック音楽の一つの帰結として、そうような現状があるのかもしれないが、それは音楽をする喜びと、かけ離れている。
指が早く回る、正確にミスなく楽譜通りに弾ける、絶対音感に多くを頼った読譜、コンクールで上位入賞を狙う…、それを「音楽」と勘違いしている「子ども」、そして勘違いさせている「大人」が少なからず存在することに、私は今の「クラシックの悲劇」があるように思う。
ならば「子どもの音楽教育」に携わるにあたり、私自身がこの「技術」の問題に取り組むことで、「クラシック」の未来を考えていきたい。
「子どもの音楽教育」と向き合うことは、現在、そして未来の「音楽」と向き合うことである。私が作曲家として「子どもの音楽教育」に取り組むリビドーは、そこにある。

「技術」を学ぶことが「歴史」を学ぶことなら、私の作品は、バッハやブルクミュラーの延長に位置したい、と願う。それは不遜極まりない願いであることは重々承知だが、教育作品から「歴史」が学べなくて、何の価値があるだろうか。
私の作品は、過去の偉大な作曲家や名作のオマージュであることが多い。一昨年(2017年)出版したピアノ曲集『パレードが行くよ』では、殆どの曲がそうなっていて、この曲集では、自分なりの「ピアノ教育史」を描いてみたい、と考えた。
そこで気が付くのは、「ピアノ(楽器)の技術」と「作曲の技術」が、密接に相関関係を描きながら西洋音楽史を形成している、ということだ。バッハの指使いはバッハのモティーフそのままだし、ショパンしかり、ドビュッシーしかり、である。
私にとって「子どものための作品」を作曲することは、ピアノ(楽器)の技術を通して西洋の作曲の技術を学ぶことである。それは、日本人として「西洋音楽」を問い続けることでもある。

「技術」が、「想像」と「創造」の産物であるなら、今の子どもたちは不幸なのかもしれない。
「想像」と「創造」の源泉である、「基層文化(アーバンカルチャー)」は、どこにあるのだろうか?
豊かな「基層文化」がある時代、音楽家はそこから多くのインスピレーションを受けて創作した。例えばベートーヴェンの『田園』は、作曲者が「基層文化」から得たインスピレーションを、クラシックの語法に変換したといえる。
このまま「基層文化」が消滅し、「都市文化」が世界を覆ってしまったら、クラシックはどうなってしまうのだろう。
文章は手ではなく小さな画面で書き、その小さな画面から発信される玉石混交の情報におどらされ傷つく…。このような生活を送る現在の多くの子どもは、とてもかわいそうに思う。自然の声に耳をすませる、などという時間と環境がない中で、これからの子どもたちは音楽とどう向き合っていくのだろうか?(それが「技術至上主義」に拍車をかけているのだろうが)。
また、「技術」は「手の形」から来ているとも言える(もし人間が八本指だったら、クラシックの歴史は変わっていたのでは?)。
コンピュータに打ち込んで音楽を作る、小さな画面に向かって文章を書く、という行為は、明らかに今までとは違う「手の形」だ。デジタルネーチャーの登場は、人間の思考回路に変化をもたらすだろう。
私は九州の田舎出身のためか、このような世相に対してどうしてもなじめず、どこか批判的になってしまう。未だに清書は手書きにこだわり、スマホすら持っていない(それで各方面にご迷惑をおかけしていることを重々承知のうえで)。
しかし、このような私でさえ、禁断の果実かもしれない「近代文明」の恩恵を受けて生活している。
この矛盾は大きく私を困らせるが、それでも未来を志向していくしかないのだろう。
私は「子どもの音楽教育」を、社会のあり方とともに考察したいと考えている。私自身、これらを深く考えることになったのは、「子どもの音楽教育」に携わってからだ。音楽は我々の生きる社会と相似形なのだと、改めて認識する。
「子どもの音楽教育」と向き合うことは、「社会」と向き合うことと同じである。
[この部分の文章は、恩師である間宮芳生先生の著作『現代音楽の冒険』(岩波書店)に大きな影響を受けている。]

さて、最後に、「子ども」とはどのような存在なのだろう。
私は、「未完成な大人」と考えている。
大人が考える「子どもの世界」、大人が押し付ける「子どもらしさ」は、ファンタジーに過ぎないのではないか。
子どもに媚を売る必要はない。
私は「子どものための作品」を作る際、決してそうならないように心がけている。
まずは、子どもが弾く音を想像すること(それも、現代に生きる日本の子どもが弾く音を)。子どもは技術的につたないかもしれないが、「子どもの時期にしか出せない響き」が確かにある。
そこに耳をすますことから、クラシックの未来を描いていけたらと思う。

【楽譜】
ピアノ曲集『パレードが行くよ』
ピアノ・トゥデイ2009
やさしいかぜ
午後のステップ
星をめざして
いろえんぴつ ならんだ
カードマジック
木漏れ日のエチュード
こどもたちへメッセージ2016 世界のごちそう編2
(全てカワイ出版刊)

【you tube】
雨の日のダンス
雨の不思議
ニワトリが先かタマゴが先か…
パレードが行くよ インタビュー
作曲家からレッスンを受ける

【コンサート】
・2/22 アジアの伝統(表) (裏)
・3/7 日本の作曲家 第1夜
・3/8 日本の作曲家 第2夜
・3/24 第34回 こどもたちへ
(全て日本作曲家協議会主催公演)

【コンクール】
第10回JFC作曲コンクール

(2019/2/15)

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森山智宏(Tomohiro Moriyama)
1977年福岡県生まれ。桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科を経て、同大学研究科作曲専攻修了。作曲を北爪道夫、飯沼信義、鈴木輝昭、ピアノ・作曲を間宮芳生、ピアノを志村安英の各氏に師事。
第68回日本音楽コンクール作曲部門入選。第17回奏楽堂日本歌曲コンクール(一般の部)第1位。
フルーティスト間部令子氏、ピアノデュオ瀬尾久仁&加藤真一郎、東京混声合唱団、日本演奏連盟、指揮者山田和樹氏、サクサコール(サックス四重奏団)、プリムローズ・マジック(ピアノデュオ)、カワイ出版、音楽之友社等より委嘱を受け、国内外で作品を発表。CDはFONTEC、オクタヴィアレコード、TOMATONE LABELより発売されている。
2007年より、作曲家鈴木輝昭氏と、邦人作曲家の作品によるコンサート「Point de Vue」を共同プロデュースし、現在まで毎年、公演を開催している。また、子供のためのピアノ作品が、ピティナピアノコンペティションやカワイ音楽コンクール等で課題曲に選ばれる。
現在、桐朋学園音楽部門の専任教員(高校教諭)として勤務し、高校・大学でソルフェージュ、音楽理論の授業を担当しつつ、同大学附属子どものための音楽教室「仙川教室」ソルフェージュ主任も務める。また、日本作曲家協議会理事(「こどもたちへ」実行委員長)、全日本ピアノ指導者協会 正会員としても活動している。