NHK交響楽団 第1904回定期公演 プログラムB|藤原聡
2019年1月16日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<曲目>
フォーレ:組曲『ペレアスとメリザンド』作品80
ブリテン:シンプル・シンフォニー 作品4
リムスキー・コルサコフ:交響組曲『シェエラザード』
<演奏>
コンサートマスター:篠崎史紀
指揮:トゥガン・ソヒエフ
演奏:NHK交響楽団
今やN響と最も良好な関係を築いている指揮者は、今回を含め4シーズン連続でその指揮台に登壇しているトゥガン・ソヒエフと言っても良い。このオーケストラの優秀な技術がソヒエフのイマジネイティヴかつカラフルな指揮でこの上なく映える結果を生んでいるのはその実演を聴けばたちどころに理解できるだろう。こう書くと直ちにシャルル・デュトワの存在をも想起されるだろうが、デュトワが水彩画のような上品な趣きを持つとすれば、ソヒエフは時によっては原色的で濃厚な表情を垣間見せるように思う。ともあれ今回の客演でもソヒエフの手腕が最大限に発揮されるであろう作品が並んでいるが、中でもB定期の『シェエラザード』はトゥールーズ・キャピトル国立管との来日公演でめくるめく色彩の乱舞を披露した得意演目にて期待は高まるというものだ。
その『シェエラザード』の前にはフォーレとブリテンが演奏されたが、もう極上の音楽としか言いようがない。フォーレでは前奏曲冒頭のほんのりと湿り気を帯びた柔らかいヴァイオリンの音を聴いただけでこれが稀有な演奏だと分かる。ヴェールを通して眺める風景のような淡い色調で一貫したその典雅な音楽はこれ以上はないほどフォーレに相応しい。弦楽器を土台にして、そこに明滅する木管楽器とのバランスを全体として常に最良に整えるソヒエフの手腕は驚くべきものだ。実演で聴いた最高の『ペレアスとメリザンド』。
この柔和で落ち着いたフォーレの世界から、ブリテンではまるで異なった音彩を弾けさせるその表現力の豊かさ。弦楽器群の音色は明るさを増し、そのエッジははっきりと鋭さを増す。フォーレではブレンドさせた音響をここでは弦楽5部で各々コントラストを強調。「たのしいピチカート」(ゲスト首席清水直子率いるヴィオラの躍動!)や「浮かれたフィナーレ」ではその立体感に思わず目眩を感じるほど。ソヒエフのオケの掌握ぶりは実に堂に入っており、タクトを使わずに腕全体を回転させたり、はたまた指先を柔軟に使ってオケから望む表情をクイッとつまみ出す様な動きは全く見ていて飽きない(双眼鏡でしっかりと観察)。
そして後半の『シェエラザード』。ロシアの指揮者によるこの曲の演奏、と言うと濃厚な色彩と大げさな表情付けというイメージがなくもないが(ロストロポーヴィチはその最右翼)、ソヒエフは全く違う。深みと含蓄があってまろやかな音、暴力的な強音は全く出さない。その音楽はあくまでスコアに忠実であって外から加えたような表題的要素を盛り込むようなこともない。その意味では上品で常に奥床しい音楽が展開される。これをもってして「より派手な盛り上げが欲しい」と言う方もいるだろうが、ソヒエフは音楽の各部分の表情を入念かつ丁寧に整えるので聴き手はただただ音楽それ自体の豊かさに聴き惚れてしまい、「物量作戦的」な高揚などまるで必要と感じない。
今書いたことは「海とシンドバッドの船」冒頭の弦楽器と膨らみのあるトロンボーンの完璧なブレンドによるトゥッティから既に明白で、そこには何か高貴な趣すら漂う。いささか線が細くはあるが透明な音色による超然とした表情(指揮者の意図に沿っていよう)が素晴らしい篠崎史紀のソロを経て、この楽章でソヒエフが作り出すまるで1本の長い線で繫がっているかのような=弧を描くような段階的で構成的な高揚がまた見事(指揮者によってはただただ盛り上がるだけでバラバラに聴こえるのだ)。
第2楽章ではヴァイオリン・ソロによるシェエラザードの主題の後に出るファゴットによるカレンダー王子の主題の表情が聴き物。「語りかけるように」という指示をこの上なく見事に生かし切っている。中間部もやみくもにダイナミックに盛り上げるのではなく、その音響は常に知的にコントロールされている。
実に優美な第3楽章を経て、終楽章は速めのテンポによる推進力のある演奏がそれまでの抑制気味の音楽と誠に巧みなコントラストを成す。しかし、それでもオケが野放図な響きを出す瞬間は全くなく常にパート・バランスは最良である。ソヒエフが凄いのは、単に全体の響きのバランスを常に整えられる能力のみならず、そこに音楽の内実に即した絶妙な表現力が伴っている点である。であるから、楽章大詰めの難破のシーンでの音響の開放でも、驚くような迫力を聴かせながらもその表情はしなやかですらあって、このシャーリアール王の主題が第1楽章の主部で繰り返し登場する同主題の変容と回帰だと多くの演奏よりもより直感的に聴き手に体感させるのだ。
音色に対する鋭敏な感性。楽曲構成に対する全体的視線。以上を備えた上でこれらを実現する抜群の指揮能力。どんな曲を聴いてもソヒエフは今挙げた点で誠に傾聴に値する音楽をやる。一見分かり易い派手さに欠けるということと、録音を通すとこの指揮者の色彩感覚がどうしても伝わりにくくなってしまうため、ソヒエフはとにかく実演を体験すべき指揮者である、とまたしても痛感。
(2019/2/15)