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Back Stage|群響第4代音楽監督の退任演奏会〜大友直人音楽監督は直球勝負|栗田弘之

群響第4代音楽監督の退任演奏会〜大友直人音楽監督は直球勝負

text & photos by 栗田弘之( Hiroyuki Kurita)

群馬交響楽団は、群馬県民の誇りである。群馬県に住む人は誰もがクラシック=群響という認識を持っている。これは、1945年11月に、音楽で荒廃した日本を復興させようという崇高な目的をもった人間が創り上げたオーケストラであったからに他ならない。
意識は崇高ではあるが、現実が伴わない。何度となく解散の危機に遭うが、そのたびに多くの市民に助けられ、今日まで継続してきた。若かりし頃、群響を指揮した小澤征爾氏も「群響はオーケストラのパイオニアである」と言っている。つぶれかけたオーケストラが、偶然か必然かそのたび毎にホワイトナイトが出現する。これも日常の市民とのつながりがものを言う。ここに地方オーケストラのしぶとさがある。
こうして幾多の苦難を乗り越え、ついには1981年に群馬県の大きな援助で安定することになるのである。

群馬交響楽団がオーケストラとしての体制を整えられたのは、群馬県知事が理事長になった1981年からであった。この年から、ドイツで活躍しベルリン芸術大学教授となった豊田耕兒氏が第2代目の音楽監督に就任する。豊田耕兒氏の要求は高く、その厳しさのあまり、当時の群響には冷酷非情人間と写った。しかし、この厳しい鍛錬の豊田時代に群響は飛躍的な発展を遂げることになる。群響のレコードが制作され、海外の著名な指揮者・ソリストとの共演など、今までとはうってかわったステージに昇ることが出来たのである。群響のこの劇的な飛躍は、豊田時代に安定した経済の元でこそ達成できた。

群馬音楽センター
(2019年1月26日 群響第544回定期)

この安定期に、群響は更に拡大再生産の方向に歩む。時代はバブル経済であった。しかし、バブル経済の恩恵は直接には受けず、巡り巡ってその恩恵を間接的に受けることになる。これは、地方都市におけるオーケストラの宿命であった。
そして、この時代に思わぬ事が起きた。激動するヨーロッパから優秀な日本人が帰国するのである。群響も海外で活躍していたプレーヤーを受け入れることにより、次の時代の到来の足音を聴くことになる。そのきっかけは元プラハ放送響の大嶋義実であった。
ヨーロッパの最新情報をもった新しいメンバーが入ってくるとオーケストラの意識が変わる。プラハで活躍していた大嶋義実は、群響の創立と第二次大戦後に始まった「プラハの春音楽祭」をリンクさせ、共に戦後50年を祝福する趣旨で「プラハの春」への参加を持ちかけた。群響の50周年と戦後50年を記念し、共に平和を祝う目的で「プラハの春」に参加すべきだ、という提案に群響のメンバーは度肝を抜かれた。まさに新しい意識の創造であった。オーケストラでの海外公演など夢にも描けなかった群響に、大きな風穴を開けたのが大嶋義実であった。

1990年代は、高崎駅コン・東京駅コンに始まり、元旦コンサートなど新規事業を積極的に始め、群響定期300回記念シリーズなど豊田時代からもう一歩進んだ事業を行うことが出来た。そして、次の大きな目的である海外公演を実現するために、高関健氏を1993年に音楽監督として招聘した。
1990年代前半は、群響悲願の海外公演の実現に全力を投入する事で群響は一体となった。
今でも忘れられない言葉がある。1947年に入団した故関口利雄さんは「海外公演とは夢のようだ。」と涙を浮かべていたのを良く覚えている。苦しい時代を過ごした楽員の実感であった。
この海外公演が実現すると内外とも群響のイメージは変わった。「群響では客が入らない。」と言われていた演奏会も、一目置かれるようになった。これも、マスメディアの連日の報道により、改めて群馬交響楽団の存在価値が再認識された結果であった。
群響本体では、海外公演をきっかけに退職制度が導入された。これにより新陳代謝が進み、メンバーが徐々に若返っていくことになる。演奏曲目も近現代の曲を組入れていくことによりオーケストラの精度は上がっていく。まさにオーケストラビルダーとしてのプロフェッサー高関健氏の功績であった。

群馬音楽センター
(2019年1月26日 群響第544回定期)

海外公演後の群響には、元の地道な演奏活動が待っていた。すると若手の有力なメンバーは、中央のオーケストラへと移籍をしてしまった。また、プラハの春公演の中心人物である大嶋義実は、1997年3月付けで群響を退団し、現在京都市立芸術大学の教授となっている。
音楽監督高関健氏との活動は、2008年3月まで続いた。その後高関路線を継続するため、群馬県と縁のある沼尻竜典氏を首席指揮者兼芸術アドヴァイザーに、そして群響初の女性コンサートマスター伊藤文乃氏の加入により再度マスメディアの注目を集める事が出来た。こうした路線の延長線上に、大友直人氏を第4代群響音楽監督に招聘し、体制の強化、新たな群響イメージの創出、そして新規事業として東京オペラシティ公演をスタートし現在まで継続している。

桐生市市民文化会館
(2019年1月27日 群響第46回東毛定期)

就任した大友音楽監督は、一つの金字塔となる第500回記念定期、定期演奏会集客過去最高記録、そして群響70周年記念演奏会など、七十数年の実績を持った新たなオーケストラのイメージを創り上げた。もはや映画『ここに泉あり』の群響から、近代的なオーケストラに脱却し、大友直人音楽監督の持つイメージで新生群響をアピールしている。
現在高崎市内には、新たな建築物の仮囲いに必ず群響の写真と音楽監督大友直人の写真が貼られており、「音楽のある街高崎」のイメージ戦略の一翼を担っている。

群馬音楽センター
(2019年1月26日 群響第544回定期)

2019年3月16日(土)に行われる第546回定期演奏会は、大友直人音楽監督最後の定期演奏会となり、私としても群響32年間で最後の演奏会となる。
ソリストには大友の信頼の厚いヴァイオリニスト:レジス・パスキエ、曲は「三大ヴァイオリン協奏曲」の最高傑作であるベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲』である。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ヴァイオリニストにとっては難曲であり、聴かせるのが難しい曲。ヴァイオリンの音型がシンプルで素朴、ある意味地味な曲といって良いが、同時にオーケストラを含め管弦楽曲としては素晴らしい内容の充実した音楽である。
後半は、没後150年となるベルリオーズの『幻想交響曲』で音楽監督6年間の幕を閉じる。ベルリオーズは、斬新で実験的なオーケストレーション、オーケストラの楽器を縦横無尽に使って新しいオーケストラの響きを作り出した。また、オーケストラの力量が試される曲でもあり、バラエティに富んだ表現力を要求される曲でもある。
現在の大友・群響の演奏で是非聴いていただきたい。音楽監督として最後の定期演奏会、最後の最後まで大友直人氏は直球勝負で幕を閉じる。

栗田弘之(群馬交響楽団事務局)

 (2019/2/15)

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公演情報
第546回定期2019年3月16日〔土〕 18:45開演 群馬音楽センター
(開場18:00~/プレ・コンサート・トーク:18:20~)

東京公演2019年3月17日〔日〕15:00開演 すみだトリフォニーホール
(開場14:15~/プレ・コンサート・トーク:14:30~)

指揮/ 大友直人(群響音楽監督)
ヴァイオリン/ レジス・パスキエ
ベートーヴェン/ ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61
ベルリオーズ/ 幻想交響曲 作品14