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パリ管弦楽団 来日公演|藤原聡

パリ管弦楽団 来日公演

2018年12月18日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 撮影日:12/17

<演奏>
指揮:ダニエル・ハーディング
演奏:パリ管弦楽団

<曲目>
ベートーヴェン:交響曲第6番 ヘ長調 op.68『田園』
マーラー:交響曲第1番 ニ長調『巨人』
(アンコール)
エルガー:エニグマ変奏曲~ニムロッド

 

ハーディングは音楽監督を務めるパリ管弦楽団と約2年前の2016年秋にも来日しており、今回は2度目。しかし元々の両者の契約は3年であり、その3年目が今年2019年。つまり、このコンビでの来日は今後絶対にないとは言えぬにせよひとまずはこの2018年冬で一区切りということになろう。今回ツアーのプログラミング中フランス音楽はベルリオーズの『トロイ人』~王の狩と嵐のみであり(とは言えこれも典型的なフランス音楽ではなかろう)、他は全て独墺もので占められており、この辺りにハーディング及びオケの指向性を垣間見る。

最初の『田園』は極めて新鮮な音楽だ。12型で対向配置を取り、弦楽器はほぼノン・ヴィブラート。音質は羽根のような軽やかさ、それはチェロ・バスですら。全体に第2ヴァイオリンの雄弁さが際立つが、それは(当然だが)音量の問題ではなく清新なフレージングの賜物。第1楽章の115小節以降ではダイナミクスが新鮮。表面ののどかさとは裏腹にこの楽章も徹底した動機労作に貫かれていることを分からせるような演奏と言える。細やかな音量上の差異にこだわっていたゆったり目の第2楽章はパリ管ご自慢のカラフルな木管群も活躍(例の楽章終わりの「啼き声」がまた実に洒落ていてセンスが良い)、反対に極めて快速テンポを採用、荒々しいまでの推進力がある第3楽章。節度ある「嵐」を経て、終楽章がまた見事だ。但しその見事さとは情緒的なものに由来する、というよりは特に弦楽5部の間で様々に歌い交わされる音響構築の上手さ・整理の手腕に由来しよう。なるほど、『田園』という曲の一見したのどかなイメージや典雅さはこの演奏からはあまり(ほとんど?)感じられないが、元よりそれをハーディングに期待しても仕方ない。この指揮者は情緒に酔ったりはしないのだ。常に楽曲をテクスチュアから更新し続ける。その意味で全く見事な『田園』、いや、交響曲第6番、であった。

後半のマーラーもまた同様。細部に至るまでハーディングの鋭い読み込みが浸透した演奏でまずそのことに驚嘆する。第1楽章の序奏部から既にこの指揮者の透徹した視線を感じるが、極度とも言えるセンプレ・ピアニッシモにもかかわらず音楽は全く緩まない。各木管群も個が立っていながらそのコンビネーションは完璧で、オケがパリ管だけに(!)この辺りは明確に指揮者の統制によるもの。チェロの第1主題から始まる提示部ではのどかな気分を喚起させておいて後半の追い込みでは一気に手綱を引き締めて緊張感を演出する。後半クライマックスに至るまでの緩急の自在さには舌を巻くが、しかしその音楽は音響的な爆発の箇所でも明確に「抑制」されていることが手に取るように分かる。ここはあくまで「過程」なのだ。

第2楽章ではメリハリあるリズムは非常に心地良いが、この楽章では何よりもトリオ部分の絶妙な表情付けがたまらない。第3楽章では冒頭コントラバス・ソロの上手さに唖然、中間部の『さすらう若人の歌』に由来する歌の儚げな表情に打たれるものがある。堰を切ったように決然と開始される終楽章だが、しかし多くの演奏で感じられるような音響上のある種の開放感は未だ感じられない。あくまでシャープ、あくまでしなやか。美しくもクールな第2主題を経てのコーダでは今まで抑制していた力感を解放して堂々たる大団円を築くが(終結部のさらに一段ギアを入れたような音量増大と猛烈な加速!)、とは言えここでも常に知的に制御されていて羽目を外すことがない。

筆者の個人的な好みからするならば、まだ20代であった作曲者の感傷やら大言壮語などを露悪的、とは言わぬまでも同化的に表出して欲しい面もあるが、しかし冒頭にも記したようにここまで楽曲構成的に細部まで目が行き届き指揮者の意図が徹底されているこの演奏に驚嘆しない訳にはいかない。スコアを客体化してレントゲンで透視するかのようなハーディングの『巨人』。言うまでもなく、このスタンスがハーディングの倫理感と責任感の表れなのだ。

アンコールにはエニグマ変奏曲からのニムロッド。気のせいでもないと思うのだが、この曲では本プログラムよりも明らかに指揮者の感情移入が聴き取れた。母国の作品だから、などと安易に結論する気もないけれども。

関連評:パリ管弦楽団|平岡拓也

(2019/1/15)