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成田達輝×阪田知樹 デュオコンサート|平岡拓也

Music Program TOKYO シャイニング・シリーズVol.4
成田達輝×阪田知樹 デュオコンサート

2018年12月21日 東京文化会館 小ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ヴァイオリン:成田達輝
ピアノ:阪田知樹

<曲目>
シュニトケ:きよしこの夜
シマノフスキ:神話 Op.30
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ ト長調

ラヴェル:『鏡』より 第4曲「道化師の朝の歌」
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番 ホ長調 Op.27-6
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調 M. 8

~アンコール~
パガニーニ(プシホダ編):ソナチネ Op.3-6

 

クリスマスを目前としたこの時期の演奏会、コンサートホールは勿論のこと、街中のスーパーや商店街でもベートーヴェン『第9番』の終楽章が至る所で鳴り響いている。筆者は「年末第9」を嫌うわけでは決して無いが、この時期とてベートーヴェン『第9番』以外の骨太なプログラムを聴きたい、という思いが無いわけではない。

そこに来てこの成田達輝と阪田知樹の演奏会。冒頭の『きよしこの夜』こそクリスマス・カラーを滲ませる―尤も、これも大いに捻っている―が、その後は20世紀前半の西洋音楽史を辿る見事なプログラムだ。若き俊英2人はどのように奏でるか。

シュニトケ『きよしこの夜』では同名のクリスマス・キャロルが徐々に異化される。純朴に奏でられる元の旋律の雲行きが徐々に怪しくなり、次第に異形の音楽へと変貌してゆくさまが不気味なのだが―ここでは筆者の周囲の反応も興味深かった。にこやかに聴いていたご婦人方が、途中から顔を見合わせ、困惑した表情に変わる。時折笑いも聞こえる。コンサートの「掴み」としては成功であろう。シュニトケの狙い、ひいては成田×阪田の仕掛けがまず一つ決まった瞬間であった。
続くシマノフスキ『神話』(1915)では、同時期の『ヴァイオリン協奏曲第1番』(1916)同様、20世紀フランス音楽に通ずる色彩の奥に作曲家の個性が隠見する。成田の運弓は力強く、共感に満ちた筆致でロマンティックな音世界を描いてゆく。随所に散りばめられたトリルやグリッサンドの美しいこと。第3曲では力強い運弓のあまり、上げ弓の勢いでなんと楽器が宙を舞いかけるという場面が!一瞬ゾッとしたが無事楽器は成田の手に収まり、事なきを得た。その直後、彼は何食わぬ顔でシランクス(フルートの模倣による)を奏でた。演奏の見事さに加えて、成田の冷静な判断と切り替えの早さにも喝采を送った。
前半の最後に置かれたのはラヴェルのソナタ。シマノフスキに影響を与えた20世紀フランス音楽の中から、とりわけ革新的な楽曲を選んだというわけだ。第3楽章における成田の突進を支えつつ、自らも鋭く印象を刻印する阪田の技が光った。

後半は阪田のピアノ・ソロによるラヴェル『道化師の朝の歌』に始まる。今度は成田のソロとなり、イザイの『無伴奏ソナタ第6番』。いわば2人の「無伴奏対決」が繰り広げられた後、再びデュオの形に戻ってフランク『ヴァイオリン・ソナタ』という構成。強いアクを有しつつ、それをも表現の武器と為す成田、力強い打鍵と鋭いリズムが持ち味の阪田の呼吸はフランクでも抜群だ。ラヴェルの小品で前半の余韻を引き継ぎ、フランクのソナタの初演者であるイザイの無伴奏作品を置くという流れも、歴史の文脈上に位置している。この見事なプログラムを組んだ若武者二人、演奏は前半にも増して熱狂的だ。悪魔が憑依したように夢中で弾かれた第2楽章の直後には拍手。宜なるかな。
この後に何が来るだろうかとワクワクしていたら、アンコールはパガニーニ。イザイからのヴィルトゥオーゾ繋がりか。溢れる知性と情熱、そして時折見せる悪魔的な熱狂―成田と阪田の息の合った演奏は、ホールを出た寒空の下、筆者の心も一気に火照らせてくれた。

(2019/1/15)