マハン・エスファハニ チェンバロ・リサイタル|大河内文恵

マハン・エスファハニ チェンバロ・リサイタル

2018年12月10日 すみだトリフォニーホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
マハン・エスファハニ(チェンバロ)
川瀬賢太郎(指揮)
日本センチュリー交響楽団
有馬純寿(音響)

<曲目>
ライヒ:ピアノ・フェイズ(マハンによるチェンバロ版)
ナイマン:チェンバロ協奏曲

(ソリスト・アンコール)
H. パーセル:グラウンド(ハ短調)

~休憩~

J. S. バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988

(アンコール)
J. S. バッハ(マハン編):Bist Du Bei Mir

 

2013、2016年に続く3度目の来日公演のうち、すみだトリフォニーホールでおこなわれた演奏会を聴いた。過去2度の来日公演を聴いている筆者は、彼が通常の物差しでは計れないチェンバロ奏者であることは重々承知の上だったが、それでも新たな驚きがもたらされた。

まず、「来たか」と思ったのは、ライヒである。2013年にリゲティの演奏を聴いて、彼にはミニマル・ミュージックが合っているかもしれないと感じたのだが、その予感通り。通常2台のピアノで演奏する『ピアノ・フェイズ』が、事前に本人が演奏した録音とステージ上にてリアルタイムで合わせるという形でおこなわれた。

12個の音から成る1つの音列を微妙にずらしながら延々と演奏するこの曲は、音列そのものに聴き手の耳に残る中毒性があるため、繰り返し聴いているだけで一種のトランス状態になるのだが、チェンバロで弾くと状況が少し異なる。残響がない分、1つ1つの音がはっきり聞こえてくるために、ずれ具合によって、元の音列とは別の2~5音の断片が聴こえてくるのだ。それが数回ずつでどんどん変化していくのを追いかけていたら、20分ほどの演奏時間があっという間に終わってしまった。こんな曲だったのか?!

つづいて映画「ピアノ・レッスン」でも知られるナイマンのチェンバロ協奏曲。この公演に先立って12月6日に大阪でおこなわれた日本センチュリー交響楽団の第231回定期演奏会が日本初演となったが、それに続く「東京初演」である。

チェンバロ奏者ホイナツカの委嘱によって作曲されたこの曲は、ホイナツカ演奏・ナイマン指揮のCDが出ているが、それとはかなり異なる印象を持った。ホイナツカの演奏ではチェンバロの音が前面にでていて、どこを切り取ってもゲーム音楽のように聴こえる。一方、チェンバロとオーケストラの音のバランスによる部分が大きいが、今日の演奏は弦楽オーケストラの音量が大きいためにチェンバロは埋もれがちで、ふつうのオーケストラ曲のよう。

その中で、中間部のチェンバロソロとチェロとの部分は元が追悼曲であることもあり、感傷的で心打たれる。そこに入ってくる弦楽オーケストラの美しいこと、そしてその後のヴァイオリンのせつなさ。A-B-Aの後ろのA部分には長いチェンバロソロがあり、さすがにそこはエスファハニの独擅場であった。全体にチェンバロがよく聞こえるところは良いのだが、オーケストラのトゥッティの部分ではチェンバロがずっと弾いているにもかかわらず、チェンバロ協奏曲なのかオーケストラ曲なのかよくわからない状況になってしまっていたのが残念だった。曲全体の印象を向上させるためにこのバランスが必要だったのかもしれないが、エスファハニのチェンバロを活かすなら、チェンバロの音量をもっと上げたほうが良かったのではないか。たとえゲーム音楽にしか聞こえないとしても。

ここまでで既にかなりのヴォリュームだが、休憩後はゴールドベルク変奏曲が待っていた。プログラム解説によると、2013年の初来日で演奏した時には第15変奏と第16変奏の間に休憩を入れたが、「愚かな判断だった」としてその後は休憩なしにしたという。皮肉なことにこの日の演奏では、むしろ第15変奏までと第16変奏以降とを分けてもよいのではないかと思われた。

最初の「アリア」で、時々「あれ?」。私たちが普段聴き慣れている演奏と違うからだ。旋律線を少し変えたり装飾を入れたりしただけで、違和感を覚えるほど、いつのまにかグールドの演奏がここまで沁みついていたのか、そのことに無自覚だった自分に逆に驚いた。そこから第15変奏までは軽快なテンポの第5変奏と第7変奏以外は淡々と進む。まるで眠りを誘うかのように。

ところが第16変奏で、いきなりギアが入る。テンポの速い曲が軽快に進むだけでなく、ゆっくりのテンポの曲ももう眠りは誘わない。調の不安定な第25変奏、早いパッセージの第26、28変奏、重音で演奏される第29変奏など聴きどころ満載で長いはずの曲があっという間に感じられた後半だった。そして戻ってきた「アリア」はもはや最初の「アリア」ではなく、台風一過の穏やかさとでも言おうか。

アンコールはJ.S.バッハの『アンナ・マグダレーナ・バッハの小曲集 第2巻 (1725)』におさめられたアリア(シュテルツェル作曲 「御身がともにあるならば」)をエスファハニ自身がチェンバロ用に編曲したもの。ピアノ編曲で演奏されることもある曲だが、彼のバージョンは元がアリアの曲らしく装飾がたっぷりついた豪華版。ソリスト・アンコールのパーセルと並んで、盛り沢山の演奏会を締めくくるにふさわしいアンコールだった。

すみだトリフォニーホールというチェンバロを演奏するには大きすぎる会場でおこなわれた今回の演奏会では、チェンバロの音をマイクで拾い、有馬純寿による音響調整がなされていた。さすが有馬の音響だけあって、マイクを使っている違和感はほぼなかったが、果たしてそこまでしてこのホールでやる意味があるのだろうかと疑問に思った。ピリオド楽器の概念がどんどん拡大されている昨今、古楽器でありモダン楽器でもあるチェンバロの概念も広げて考えなければならないのかもしれないが。

今回、チェンバロの演奏会ではあるものの、ナイマンの初演があったために普段古楽の演奏会に来ている人たち以外にも現代音楽を普段聴いている聴衆もいたように見受けられた。彼らの耳にはどのように聞こえたのか興味あるところである。

(2019/1/15)