ウィーン留学記|ジプシー男爵|蒲知代
ジプシー男爵
text & photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)
今回の年末年始はどこにも出掛けなかったが、昨年の正月は、1月3日から隣国ハンガリーのブダペストへ旅行に行った。冬は寒いし日が暮れるのが早いので、外で観光できる時間は短いだろうと余裕のある日程を組んだが、幸い気温はそれほど低くならず、雪も降らなかった(お陰で「ドナウの真珠」と呼ばれる美しい夜景を堪能することができた)。
ブダペストはウィーンから電車で2時間半ほど。ブダペスト行きの列車に乗るため、朝7時半にウィーン中央駅のプラットホームに上がると、目の前には美しい朝焼けが広がっていた。「まぁ、きれい!」偶然居合わせた日本人女性が歓声を上げていた。日本より日が昇るのが遅いので、大して早起きをしなくても、素敵な日の出を拝むことができる。得した気分で電車に乗り込んだ。
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ブダペスト旅行2日目に、オーストリアの作曲家ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)の全3幕のオペレッタ『ジプシー男爵』(1885年)を鑑賞した。本作品はシュトラウスの60歳の誕生日の前日にアン・デア・ウィーン劇場で初演され、シュトラウスの代表作『こうもり』に次いで人気があり、今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは『ジプシー男爵』の「序曲」が演奏された(昨年は同オペレッタの「入場行進曲」が演奏されたので、2年連続のプログラム入りである)。
『ジプシー男爵』の台本は、ハンガリーに生まれウィーンで活躍したジャーナリスト兼翻訳家のイグナーツ・シュニッツァー(1839-1921)が、ヨーカイ・モール(1825-1904)の短編小説『ザッフィ』を基に書き上げた(モールはハンガリーを代表する作家の一人で、ブダペストのリスト音楽院の近くに像がある。「ザッフィ」は初版の題名で、後に「ジプシー男爵」に変更された)。作品の舞台は1717年から1742年のハンガリーとオーストリア。主人公は昔「ジプシー男爵」と呼ばれていた男の息子バリンカイである。彼は、老女ツイプラに育てられたジプシーの娘ザッフィと恋に落ちるが、ザッフィがオスマン帝国のパシャの娘であることが明らかになり、自分は結婚相手として身分不相応と判断して、志願して戦地に行ってしまう。翌年、オーストリア・ハンガリー軍がスペインとの戦争に勝利しウィーンに凱旋すると、戦場で功績を挙げたバリンカイには男爵位が与えられ、晴れてザッフィと結婚することになる、という話である。
『ジプシー男爵』が上演されたのは、ハンガリー国立歌劇場ではなく、国立歌劇場所属のエルケル劇場だった(今年は同劇場で『こうもり』が上演されている)。というのも、国立歌劇場は2020年まで改修工事が行われているからである。昼間に聖イシュトヴァーン大聖堂と国会議事堂を見学し、「レーテシュ」と呼ばれるハンガリー名物のパイ(アプリコットやサワーチェリーの甘いパイもあれば、キャベツが入った、お好み焼きのような味のするものもあって美味しかった)をつまんだ後、地下鉄に乗ってブダペスト東駅に向かい、少し迷いながら劇場に到着した。チケットは事前にエルケル劇場のホームページから購入していたが、ウィーン国立歌劇場とは違って、とても安かった(最も高い席でも3千円ほどである)。
正月に相応しいおめでたい舞台だった。ハンガリー人のミクローシュ・シネタールによる演出で、サービス精神溢れるパフォーマンスが繰り広げられた。第3幕は本来ならばあっという間に終わるはずだが、シュトラウスの別の曲――『春の声』と『美しく青きドナウ』が特別に挿入されたため、有り得ない長さになった。まるでニューイヤーコンサートバージョンの『ジプシー男爵』。アルゼーナ役のソプラノ歌手ジータ・セメレが『春の声』を歌ったのだが、高音部も美しく歌い上げ、カーテンコールでは主役をはるかに上回る拍手をもらっていた。また、ハンガリー民族舞踊も見応えがあって素晴らしく、特に男性ダンサーが手で激しく足を叩きながら踊っていたのは迫力があったし、『美しく青きドナウ』に合わせて踊られたウィンナワルツも素敵だった。
さて、12月16日にも『ジプシー男爵』を観る機会があった。ウィーン近郊のバーデン・バイ・ウィーンの市立劇場で上演があることを知り、オーストリアでも鑑賞してみたいという好奇心に駆られたのである(2018年12月15日から2019年1月31日まで、計13公演が行われる予定であり、大晦日の夜も上演された)。というのも、ブダペスト公演では、舞台がウィーンに変わる第3幕に、ハンガリー人から見たウィーンのイメージが色濃く投影されていたからである。優雅なウィーン。マリア・テレジアのウィーン。実際、本来であれば登場しないはずのマリア・テレジアが子どもと一緒に登場し、ウィーンよりウィーンらしい舞台になっていた。
では、当のオーストリアでは、どのように上演されるのか。意外なことにバーデン公演では、オーストリアらしさ、ハンガリーらしさが薄められていた。登場人物がカラフルなかつらを被り、メルヘンの世界観を創り上げていたためである。老女ツイプラが両⼿を天に広げて魔法をかけ、舞台の状況を瞬時に変えるという見せ場まであった。さらに、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』をイメージした軍服を着た兵士たちも登場し、賑やかな舞台を演出していた。
しかしながら、同時に、シリアスな場面も用意されていた。「影絵パフォーマンス」(序曲と第3幕の冒頭)において、バレエダンサーが戦争の悲惨さを表現していた。例えば、負傷した兵⼠が他の兵⼠に運ばれる場⾯。また、小さい⼟の⼭に⼗字架が⽴てられ、墓の前で妻と幼い⼦どもが頭を抱えて嘆き悲しむ場⾯も印象に残った。ブダペスト公演にも平和を願う台詞が挿入されていたので、平和に対する思いは両国共通だと思った。戦争や紛争のない世の中になるよう祈りながら、劇場を後にした。
先月中旬、ウィーン中心部の路上で銃撃事件が起こった。平日の昼過ぎだったので私は大学にいたが、在オーストリア日本国大使館からの緊急メールで事件を知り、大変驚かされた。幸いテロではなかったし、被害者も加害者も犯罪組織の関係者だったようなので、現場付近が封鎖された以外は生活に支障は出なかった。(もちろん、事件を目撃し、銃声を聞いた人たちのショックは大きかったと思う。)
今回のニュースは日本でも報道されたようなので、オーストリアは危険な国だと思った人もいるだろう。しかし、オーストリアは比較的治安の良い国である。スリには気を付けなければならないが、私自身、3年以上ウィーンに留学していて怖い思いをしたことはない。そういえば、オーストリア人の知り合いに、日本にミサイルが飛んで来ないか本気で心配されたことがある。海外から自国がどのように見られているかは大変興味深いものである。
注記:「ジプシー」という言葉には差別的な意味合いが含まれるため、「ロマ」に改める必要があるが、今回は「ジプシー男爵」というタイトルを尊重して、そのまま表記した。
(2019/1/15)
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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。