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吉原すみれ パーカッションリサイタル 2018|齋藤俊夫

吉原すみれ パーカッションリサイタル 2018

2018年11月7日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos &写真提供:小出稚子

〈演奏〉
パーカッション:吉原すみれ(全ての作品を演奏)
十七絃箏:沢井一恵(*)
パーカッション:前田啓太(**)(当初共演予定であった山口恭範から変更)

〈曲目〉
小出稚子:『花街ギミック』(2010/18、改訂初演)
原田敬子:『サファリ』打楽器奏者のための(2018、委嘱作品初演)
杉山洋一:十七絃箏と打楽器のための『ディスタンス』(2018、日本初演)(*)
田中賢:『時の変容』パーカッション・デュオのために(2018、委嘱作品初演)(**)
石井眞木:『漂う島』十七絃と打楽器のための Op.38(1979)(*)

 

唐突に個人的なエピソードから始めさせてもらうと、筆者が吉原すみれの名前を知ったのは栃木の男子高校の管弦楽団で打楽器を叩いていた頃、すなわち20数年前である。どこでその名を知ったかは判然としないが、友人たちとの会話の中に「すみれちゃん」という単語が出てきていたのは間違いない。好きな人ほど、尊敬する人ほど、よそよそしい尊称ではなく、「ちゃん」や「さん」で呼ぶべきである、そんな面倒くさい気風を抱えた男子高校生達が「すみれちゃんの打楽器はスゴイな」などと狭く暑苦しい部室の中で語り合っていたのであった。
彼女の何が小生意気な男子高校生たちをして「スゴイな」と言わしめたのか、それは彼女の演奏に自分たちの「力こそパワー」とも言うべき乱打とは別次元のものが宿っており、かつ、その「力」ですら彼女に敵わないことを自覚せしめられたからであろう。

その吉原すみれのリサイタルは、今年もやはり「スゴイ」と言わざるを得なかった。

まず小出稚子『花街ギミック』、「架空の花街におけるお座敷遊びのエッセンスを凝縮した作品」(プログラムの作曲者による解説より)だそうだが、花街もお座敷遊びも知らない筆者にもこれは楽しい作品であった。
ハーモニカを咥え、「キュッ」と一足ごとになる子供向けの靴を履いて、吉原が登場。アサラト(紐の両端にシェーカーのような球がついており、それを振り回しぶつけることで様々な音やリズムを作る楽器)での基本リズムを保ちながら、ボンゴや小さな銅鑼(あるいはゴング)や鐘でそのリズムを変奏し複雑に。一旦アサラトから手を放し、ハーモニカ、靴、ギロ、銅鑼、鐘、ボンゴを淡々と、しかしおどけるように叩きだし、そこから足で木魚(らしき音だったが、目視できず)も強打して、それまでの楽器を総動員し軽妙かつ華やかに彩り、「ポコン!」という音で了。このような音楽があるのならば、花街というものにも行ってみたいものである。

原田敬子『サファリ』は手袋のようなものを擦り合わせての「ザラザラ……」という音で始まり、その手袋のようなものでさらに木の台(?)を擦り、叩く。さらに「ハッ」「ヒッ」「ホーッ」という気合いと共に空手か何かの構えのようなポーズを取る。その後、様々な打楽器を叩き、擦り、揺すり続けるのだが、聴いていて、見ていて、全く気の休まる所がない。一つ一つの音、所作が幾重にも突き刺さってくる。それでいて、テンポやリズムと言ったものはおそらく存在しない打楽器独奏曲なのである。スゴイ曲であり、演奏であった。

杉山洋一『ディスタンス』は全4曲で構成された作品。
沢井が十七絃箏で低く太い音をゆっくりと発し、吉原が木製の何か(楽器ではなく、木材かもしれない)を叩き続ける第1曲は、全てが調和した静かな世界。
第2曲、十七絃箏の強い同音反復を基調に、吉原が神楽鈴を奉納のように鳴らしながらステージを一周する。そして大きな太鼓をゆっくりと強く叩き、十七絃箏が止まった後、さらに強く「ドン!」、で了。神秘的かつ、禁忌のものに触れたかのような感覚をおぼえた。
第3曲は十七絃箏が静かに雅やかな旋律を奏でているのに、吉原は「ガリガリガリガリ」とラチェットを速度と強弱を変えてかき鳴らす。ボンゴなども交えつつ、最弱音から最大音まで至ったと思ったら急に吉原は動きを止め、沢井は淡々と十七弦箏を弾き続けた。すれ違う恋人二人のようであった。
第4曲は十七絃箏をバチで沢井が静かに打ち、吉原は床に置いた小さな木製楽器や金属楽器をせわしなく、しかし弱音で叩く。リズミカルかと思えば、時折ゲネラルパウゼも挟まり、虚ろで、この世ならざる不気味な音響空間が形成された。最後は人の唸り声のようなスプリングドラムの弱音が長く延ばされ、全てが終わった。死んだように。

前田啓太との打楽器デュオ作品、田中賢『時の変容』はシロフォンの鍵盤だけを外したようなもの、トムトム、ウッドブロック、トライアングル、木魚などを、とにかく高速で強打する前半から、一転して静かな、特に前田のレインメーカーが印象的な中間部が現れ、そこからクレシェンドかつアッチェレランドして、気持ちよく二人が揃って大音量で締めてくれた。いっそ痛快な気分にさせてくれる作品であった。

銅鑼を弓か何か(目視できず)で擦っての茫洋たる響きに始まる石井眞木の大作『漂う島』は通時的に記述しても意味をなさないであろう。吉原のマリンバと沢井の十七絃箏は、日本という島国の風土より、シルクロード的、西域的な荒野、あるいは、広大な海原に漂う舟のような茫漠たる孤独を感じさせる。風が吹きすさび、波が荒れ狂い、かと思えば、全くの静寂の中で見渡す限り乾いた土か塩水しかない中にただ独り残される。マリンバを主とする打楽器と十七絃箏という、時代・土地・伝統から近くも遠くもある楽器を用い、さらに十七絃箏の音高数という制約の中で、何を表現するか、石井でしかありえない音楽が初演者にして被献呈者の2人によって完璧に再現された。ゆっくりと2人の音がディミヌエンドして遠くに去った後、しばらくして会場から盛大な拍手が沸き起こった。
このような偉大な打楽器奏者と同じ時間・空間、そして時代を共にできたことを心から喜びたい。

(2018/12/15)