五線紙のパンセ|「形」への志向|中川俊郎

「形」への志向

text & photos by 中川俊郎(Toshio Nakagawa)

その頃、幼稚園のオルガン教室に通っていたから、たぶん5歳のことだろう。バイエルを弾いたり、先生の弾いた簡単な3和音を、鍵盤を見ないでドミソ、ドファラ、シレソなどと言い当てる和音当てゲームで、放課後の教室が活気づいていたのをよく覚えている。その頃まだ武蔵野に多かった欅が窓から見える、美しい幼稚園だった。

ある時母親の買い物に連れられて、開設されたばかりのピカピカの「中野ブロードウェイ」を歩いていたら、古本屋で何かが私の目に留まった。楽譜であることはすぐに分かったが、バイエルですら覚束無い時期なのでとても読むまでは行かない。しかし音符の並び方や、3角形が次々に繋がっていく様子がとても図形的に美しく見え、私は「あれ買って…」と恐る恐る頼んだ。というのは母は普段から厳しく、どんな場合でも本当に必要だと納得したものでない限り、絶対に買わなかったからだ。それはぼろぼろになったハノンのピアノ教則本の「舶来版」で、ちょうど冒頭の第1番のページが開いていた。母は「まだ弾けないのに、こんなに難しいの買ってもどうせ無駄にしちゃうでしょう?いけません!」
その後のことはよく覚えていないのだが、後々母に言わせれば「ブロードウェイ中に響き渡るほどの…」というのは誇張だろうが、とにかく泣き叫んで強請(ねだ)ったようで、結局そのハノンは私の手元に残ることになった。常日頃従順な幼児が、急に狂ったように泣き叫んだのは、本能がどこかで働いたに違いない。そして音楽に関する最初期の拘りが音(響き)そのものよりも「形」への嗜好から入っているというのは、自分のことながら大変興味深い。「形」主導の傾向はこれだけではなかった。

私は音符の読み方も正確に知らないうちから作曲をしていた(!)のだが、私の中ではただのいたずら書き…ではなく、純然たる「音楽」を作っているという感覚は、今思い返しても確かにあった。もちろん私は当時から「音楽」という「言葉」自体を信じてはいなかった(もちろん知ってはいたが)。今になってその「譜面」を読み返してみても、音のイメージは朧気に読み取れるものの、全く楽譜の体を成していないこれらを、響きのイメージが先行していてそれを書き取ったとは、率直に言って考え難い。つまり音符も図形の一種として捉えていた(まだろくに読めもしないのだから当然だ)。かと言って耳不在のいたずら書きではなかったという感覚も記憶のどこかにある。一体何が起きていたのか…。
また、別の紙にはメロディーらしき音の連なりの途中からいきなりト音記号を20個ぐらいいろいろな大きさのものを連続して並べて書いてある。

今回この寄稿の話を頂いて、改めて自分を振り返ることが出来た。そして幼少時のこの感覚は実は現在にも通底しているのではと思い始めた。

人間はその習得の度合に応じて可能な技芸のレベルが制限され、芸事の出来・不出来に差が出る。これは当然だ(と言うよりもこの文章自体が既に tautology 例えば「哲学というのは哲学的な思考というよりもむしろ、哲学そのものである」のようなものだが…(笑))。

しかし稀に本人が習得しているレベル以上の段階に意識がシフトすることがある。それに記号の方は追いついて行かない。記号というのは「既知」のものを表すものであって「未知」のものを表すことは出来ない。
つまり「常識はずれ」というのは常識という座標があって始めてあり得る概念であり、常識はずれ自体は誰にも「見えない」。常識の座標の中で始めて常識はずれと認知されるのであって(それは既に「常識はずれ」ですらない)、それ自体はただ無心にそこに「ある」のみである。三善晃の言葉を借りれば「何物にも支えられずに天体のように…」である。

これら(つまりそれまでに息子が書いたものを「落書き」同然のものも何もかもひっくるめて)を、手当たり次第に鞄に投げ入れ、私には何も告げずに母は阿佐ヶ谷の三善宅へ向かったのであった。私はようやく14歳になっていた。

幸運なことに私は、今ようやく自分で気づき始めたことを、書いたものを見ただけで一瞬で見抜く、類稀な教師と出会った訳だが(「一週間後にすぐ本人を連れていらっしゃい。早い方がいい。」)、後年、先生の身体がかなり動きにくくなって来ていた2009年の春に、ご自宅で伺った話では「この子はどうしたら作曲界でというよりも、地球上で折り合って生きて行けるだろうか?」と思ったそうである(笑)。

そう言えば桐朋学園に居る時も、特殊奏法が活かされるためには、そればかりじゃなくて普通の奏法があって始めて活きて来るんだよ…と先輩が好意的にではあったがおっしゃって下さった。一面では確かにそれは正しかった…と今も思う。それを信じることが出来ていたなら問題はなかった。

…私が生涯の恩人というのは決して誇張ではないし、まして学生時代に幾度かからかわれたように「三善教」教徒などでは毛頭ない。私はそれまでに既にケージを知っていたし、14歳の頃の作品はウェーベルンそっくりだった。また武満徹のミニアチュール第1集に心酔し、サイモン&ガーファンクルや多くの歌謡曲を愛し、高校時代はシュトックハウゼン、クセナキスのかなりコアなファンになり、西武のアールヴィヴァンにも出入りするようになっていた。

まだ15歳の頃、先生に Orchestration を勉強したいが何の本を読んだらいいですか?と聞くと、即座に「伊福部先生のがいい」と言い、紙に書籍名・出版社を、ピストン(戸田邦雄訳)の名著と共にメモしてくれた。そして暫く斜め上を見て何かを考え「難しいかな、まぁいいか…」と小声で独りごち、シェーンベルク  5つの小品 op.16、ベルク  3つの小品 op.6、ウェーベルン  5つの小品 op.10 を原語で書き加え、私の正面に向き直り「楽譜を見ただけでどんな音が鳴るか想像してみて。」 当時は在庫の無い輸入楽譜が注文で届くまで船便で数ヶ月かかり、手元に届いて中を開いたときの喜びと困惑は如何ばかりだったか。それから楽譜との格闘が始まった。そしてこの3曲との格闘は、45年経った今も終わっていない。
(了)

(2018/12/15)

★公演情報
日時 : 12月25日 (火) 19時開演 会場 : 杉並公会堂小ホール
 「會田瑞樹ヴィブラフォンリサイタル~旅するヴィブラフォン~」
 中川俊郎 : 影法師 Ⅱ. ヴィブラフォンとマリンバ(独りの奏者による)のための (2018、初演)
日時 : 2019年 1月8日 (火) 19時開演 会場 : 東京オペラシティリサイタルホール
 「深新會 第35回作品展 二重奏作品百花繚乱」
 中川俊郎 : 《7つのエピソード》~不確定な楽器のための旋律の考察 (2018~2019、初演)
 演奏 : 岩瀬龍太(クラリネット)、中川俊郎(ピアノ)

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中川俊郎(Toshio Nakagawa)
1958年東京生まれ。作曲家・ピアニスト。桐朋学園大学作曲科卒業。作曲を三善晃、ピアノを末光勝世、森安耀子各氏に師事。70歳になるジョン・ケージを迎えて行われた「Music Today ’82(武満徹企画構成)」の一環として開催された10周年記念国際作曲コンクールにおいて自作自演で第1位を受賞し、ケージにも高く評価される。1988年、村松賞、1993年、演奏・作曲家グル−プ「アール・レスピラン」の一員として第12回中島健蔵音楽賞、2009年、サントリー芸術財団主催で「作曲家の個展2009、中川俊郎」が開催され、その成果に対して、第28回中島健蔵音楽賞を受賞。 他にCM音楽界においても「ACC賞」等受賞多数。
これまでに歌手・作曲家の木村弓、邦楽囃子笛方の福原徹、演出家、小池博史等ともコラボレーションを重ね、2005年にTrp.曽我部清典、Bar.松平敬とともに結成した「双子座三重奏団」の活動も近年注目されている。
東芝EMIから、自作のサントリー「烏龍茶CM曲シリーズ」を収録したCD「chai」、ピアノソロアルバムを兼ねた「cocoloni utao」などを、またフォンテックからCD管弦楽作品選集「沈黙の起源」(2017年3月)、299 MUSIC からピアノ作品集「メッセージ/ 佐藤祐介 × 中川俊郎」(2018年10月)をリリース。
テレビ朝日「題名のない音楽会」などテレビ出演も多数。
現在、日本現代音楽協会理事、日本作曲家協議会常務理事、作曲家団体「深新會」副代表、お茶の水女子大学非常勤講師。