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NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団|平岡拓也

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

2018年11月2日 サントリーホール 大ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:ルドルフ・ブッフビンダー
管弦楽:NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団
指揮:アラン・ギルバート

<曲目>
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 ト短調 Op. 58
〜ソリスト・アンコール〜
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 Op. 31-2より 第3楽章
J. S. バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調 BWV825より ジーグ

ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調 WAB107 (ノヴァーク版)

 

旧・北ドイツ放送響ことNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団、名称変更後2度目の来日。いまやハンブルクの人気観光地となった新ホール「エルプフィルハーモニー」の杮落し公演を指揮したトーマス・ヘンゲルブロックではなく、2019/20シーズンから首席指揮者に就任するアラン・ギルバートを帯同してのツアーとなった。曲目は変更されず、独墺圏の作曲家による傑作が並ぶ。

前半はベートーヴェン『ピアノ協奏曲第4番』。エレーヌ・グリモーが故障で来日不能となり、ウィーンのヴェテランであるルドルフ・ブッフビンダーが代役として登場した。ピアノのみで演奏される(この時代では特異なことだ)冒頭部、ブッフビンダーは静かに自らの世界へと沈降してゆく。独奏に呼応する弦には目もくれず、ひたすらに我が道を往く。両手の美しいバランス感覚、ペダルの使い方—いずれも熟練の技だが、オーケストラとの温度差は続いた。
ウィーンのブッフビンダー、ハンブルクのオーケストラ。同じ独墺圏と言っても、その音楽言語には不可視の隔たりがあるのだろう。その中でアラン・ギルバートはオーケストラ側と音楽を作った。ギルバートが指揮するベートーヴェンは都響でも聴いたが、エルプフィルとの演奏は当然都響とは違う。対向配置やバロック・ティンパニの使用など、時代様式への一定の配慮は行いつつ、あくまで骨格はモダン。エラの張った剛直なベートーヴェンだ。隈取り明快、トゥッティは威勢良く鳴らす。指揮の個性と楽団の演奏伝統が融合した結果だと思う。第2楽章冒頭の弦はいつになく厳(いかめ)しく響いたが、その四角四面の一撃に続く力みのないピアノ、という落差が奇妙だ。結局、ブッフビンダーはアンコール2曲で自らの音楽性を惜しみなく刻印した(自適に見えたが、一応は楽団に遠慮していたのだろうか?)。

この楽団のブルックナー、と来ればオールド・ファンもそうでない方もギュンター・ヴァントと結びつけて語る方が多い。自分も数々の録音は愛好するが、世代的に実演は聴いていない。よってヴァント時代との比較は全く意味を成さず、あまり意味があるとも思えない。あくまでアラン・ギルバートとNDRエルプフィルが演奏するブルックナー『交響曲第7番』に虚心に耳を傾けるのみである。
冒頭、トレモロで奏される最弱音が滑らかな質感。それ以降もフレージングやバランス変化等、弦5部への気配りが非凡だ。この弦への拘りはギルバートの指揮ではしばしば感じる要素で、自身が弦楽器奏者だということもあるかと思う。トゥッティを俯瞰すると、調和した響きの中である要素だけを突出させて、次の楽節への推進力にしている。管楽器へも概ね同じ工夫を施しているのだが、そのリードやバランス調節には更なる繊細さを望みたくなる瞬間もあった。
当夜のブルックナーは幾分ゆったりとした歩みで進んだが、それは楽節の推移箇所で呼吸を整えていたからではないか。特にそれは第1楽章に顕著だった。練習番号Q直前、フルートとクラリネットのソロにトレモロが続く箇所。またコーダ直前、ティンパニによるE音のオルゲルプンクト(強めに鳴らし、和声のぶつかりを際立たせつつコーダへの橋渡しとした)でもテンポを落とす。続く第2楽章は弦のうねり、指揮の推進力が印象に残る。そしてホールの天蓋を破るが如きヴァーグナー・テューバの分厚い響きに、やはり演奏伝統の力は大きい、と思うのであった。スケルツォを経た第4楽章ではノヴァーク版ならではのテンポ変化を忠実に実行し、コーダではコンマス筆頭に弦の渾身のトレモロが持続して終結。

ベートーヴェンでもこれはそうだったが—アラン・ギルバート、実によくオーケストラを見ている。弦が僅かに先走ると、次に訪れるフレーズでははっきりと振って示す。先述したフレージングの拘りの他に、こうした細やかなリカバリーも支持される理由なのではないか。そして何より、彼は楽団の様式をリスペクトしつつ、自分の主張も臆さず提示する。エルプフィルの「様式」の一つは、完全対向配置(金管も低音→高音の順に下手から上手へ並ぶ)である。今回のような独墺作品によるプログラムでは、その音響的な効果は如実であった。自分達をリスペクトしつつ果敢にチャレンジする次期首席指揮者に応え、オケの楽員が皆全身を思い切り揺さぶりつつ表現していたのも強く印象に残った。この組み合わせ、今後の熟成が楽しみである。

(2018/12/15)