バイエルン放送交響楽団|平岡拓也

バイエルン放送交響楽団

2018年11月25日 ミューザ川崎シンフォニーホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
管弦楽:バイエルン放送交響楽団
指揮:ズービン・メータ

<曲目>
シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」序曲
シューベルト:交響曲第3番 ニ長調 D200
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
~アンコール~
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」Op.20 第1幕より ワルツ

 

今年の来日オーケストラのうちいくつかの団体が指揮者の変更に見舞われたが、バイエルン放送交響楽団もその一つであった。首席指揮者マリス・ヤンソンスが体調不良によりアジア・ツアー(16日間で11公演というタイトなものだ)をキャンセル、代役としてズービン・メータの登壇が発表された時、多くの音楽ファンは驚きを隠せなかったのではなかろうか。メータが終身音楽監督の任にあるイスラエル・フィルの今年の来日もまた、彼の健康上の理由により中止となっていたからだ。昨年末の肩の手術(別の病名も囁かれているが、真偽が定かではないゆえここでは措く)以降メータの復帰は遅れ、今秋ようやくテル・アヴィヴに帰還したばかりであった。そこに来てバイエルン放送響の大規模ツアーを引き受けるということで、「当日メータは本当に現れるのだろうか?」と若干気を揉みつつ会場へ向かった。勿論SNS全盛の現代ゆえ、ツアーの情報はある程度入ってくるのではあるが。

対向配置のオーケストラ―首席指揮者ヤンソンスは通常配置を採るので、この配置でバイエルン放送響を聴くのは却って珍しい―の前にスロープ付きの指揮台が鎮座し、その上には椅子が置かれている。そしてそこに現れるメータの姿は、つい最近までの彼を知る者にとって痛々しいものだった。大地を踏みしめていた彼の足は療養生活の長さを物語るが如き細さになってしまい、杖をつきつつ介助人を伴ってゆっくりステージ中央へ向かう。その姿には晩年期のシューリヒトのエピソードを思い出してしまったほどだ。幸いにして、コンサートマスターと介助人の力を借りつつ杖を固定し、座って振り始めたその上半身の動きは、幾分小ぶりになったとはいえかつての力強さを髣髴とさせた。

そうして開始されたシューベルト『ロザムンデ』序曲。12型のオーケストラが奏でるハ短調の冒頭和音には一切の力みがなく澄んでおり、長調に転じて運動性を増す主部に至ってもあまり解放感は生じない。テンポやリズムの伸縮で聴かせるのでなく、微細な和音の変化に色彩を融け込ませるという、この名門ならではの高度な技だ。メータが第1ヴァイオリンへ左手を僅かに上げて転調を示すと、その動作以上にオケが動く。奏者が指揮者の意図を汲んでいる何よりの証拠であろう。

同じくシューベルトの『交響曲第3番』は弦を1プルトずつ減らし、より編成を絞っての演奏。序曲で聴かれた色彩の移ろいは、ここで更に前面に押し出されていた。非常に快活で、跳ね回るような演奏も可能な楽曲ゆえ、本演奏のスタティックな性格がより印象付けられたのだろうか。そのロココ的な調和の美に、メータの音楽的出自がウィーンにあることをも思い出しつつ聴く。遅い運びの中で繊細な和音を重ねるバイエルン放送響の音楽性(重さを排した響きは明らかにウィーン寄りのものだろう)とメータの棒が合わさり、ふわりと羽毛に抱かれるような演奏が続く。筆者は普段、アクセントやリズムの隈取りが明晰な演奏に惹かれるが、第1楽章序奏部の泣き笑いのような美しさ―甚だ感覚的な比喩で恐縮だが、雲ひとつなく晴れ渡った空を見上げて、何故か涙が溢れるような感慨―には抗い難かった。

後半はストラヴィンスキー『春の祭典』。今のメータが生命が跋扈するこの問題作を振るのか、いや彼の十八番ゆえきっと大丈夫、と様々な思いが交錯する。

冒頭のファゴットに始まる木管群、その明滅の鮮やかさは流石に現代最高の名門たる所以を示すもの。アルトフルートやバスクラリネットがこれほど肉感豊かに奏されることはそうそう無い。しかしながら、「敵の部族の遊戯」で管に応答する弦が丸ごとリズムに乗り遅れ、第2部大詰めの「生贄の踊り」も大管弦楽が一瞬大きく歩調を乱す等、「らしくない」場面もいくつか聴かれた。これはメータが遅めのテンポを貫いたからか、あるいはリハーサルの不徹底ゆえ(『春の祭典』はこの日がツアー中初披露だった)なのか。座って振るメータの腕の位置が低い(あるフルート奏者は椅子を三段重ねにしていた)ということも考えられよう。とはいえ、スコアを頭に叩き込み最小限の動作で鮮やかにこの曲を振り通すメータ、その指揮に必死に食らいつくバイエルン放送響の猛者集団、という構図は、それだけでもかなり凄味を帯びた光景であった。

なお『春の祭典』で、メータはヤンソンスの使用する版をそのまま引き継いだと思われる。かつてメータで聴いた『春の祭典』の実演、複数の録音はいずれも本公演の演奏とは細部が異なっており、今回の演奏に聴かれた特徴はヤンソンスの新盤(BR-KLASSIK)と共通していた。

前半の柔和なシューベルトを含め、演奏会の中で最も満足度が高かったのはアンコールの『白鳥の湖』のワルツであった。メータの豪奢な歌(指揮は本編よりも大きく、しなやかに見えた)と楽団の機能性が合致し、実に巨大な構築で展開。

最後に一点。プログラム全体を通して、今回メータの指揮が一段と重く、テンポも遅くなったように思われたのは何故なのだろうか。盟友ヤンソンスの危機に際し、コンディションが戻る途上でツアーを引き受けたという背景もあろう。メータの更なる回復を祈るばかりだが、筆者はコンディションの問題だけが理由ではないようにも思う。近年、年齢と逆行するようにテンポを早め、古楽奏法を取り入れるなど若々しい特徴を持つ老指揮者が増える中、たっぷりとしたテンポの中で凄味を聴かせる方向の円熟をメータは静かに歩んでいるのではないか。ウィーンの音楽伝統と共に生きてきた彼ゆえ、数々の先達を鑑みれば、そういった深化を彼が迎えるのは何ら不思議ではなかろう。メータという指揮者の老成は今後いっそう注視する必要があると思わせられた演奏会であった。

(2018/12/15)