日本フィルハーモニー交響楽団 第705回 定期演奏会|藤原聡

日本フィルハーモニー交響楽団 第705回 東京定期演奏会

2018年11月10日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
ゲスト・コンサートマスター:白井圭
ソロ・チェロ:辻本玲(日本フィル・ソロ・チェロ)

<曲目>
グラズノフ:交響曲第8番 変ホ長調 op.83
ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 op.112『1917年』

 

「ラザレフが刻むロシアの魂」グラズノフ篇の第4回目はその最後の交響曲である『第8番』が取り上げられた。本シリーズではグラズノフの作品と彼の弟子筋であるプロコフィエフとショスタコーヴィチがカップリングされて来たのだが、今回は後者の交響曲『第12番』を後半に演奏。演奏時間こそそこまで長くはないが、その重量感たるや並大抵のものではないプログラムである。

1曲目のグラズノフ。個人的には8曲あるこの作曲家の交響曲の中では晦渋でとっつきにくい印象のある曲だが、この日のラザレフの表現は極めて明快で親しみ易い。それは各楽章に登場する主題の性格を非常にコントラスト豊かに描き分けているため。基本的にはラザレフ的に推進力溢れる演奏ではあるが、例えば第2楽章のメストでの陰影に富んだ旋律の歌わせ方や第1楽章短調部分の細やかな表情などを聴けば明らかなように、この指揮者の感応力は一筋縄では行かない。そんな方もいないとは思うが(?)、この指揮者はまず「爆演」と先入観を抱いている方は、これを聴けばそんなに単純な音楽家ではないことが即座に理解できるというものだ。終楽章の対位法的に線的な書法への目配せも行き届き、それゆえここでも音楽の形は明快。ラザレフはロシア的情念とモダニスティックな視点を併せ持つ多層的存在だと合点が行く。決して好きではない(好きというほど聴き込んでいない、と言うべきか)グラズノフの第8に少しだけ開眼した思い。

そして後半のショスタコーヴィチは激烈の一語。ここでラザレフは猛然とオケをドライヴし、ともかく鳴らしに鳴らす(この指揮者が振ると日本フィルはなぜこのような図太く豪放で密度の高い音を出すのか。実演で1度だけ聴いたテンシュテットを思い出す)。一時期は御用交響曲などと揶揄され、はたまた映画音楽などとも言われて一段低く見られていた『第12番』だが、近年は本作に登場するEs-B-Cの3音がスターリンの頭文字を表している、やら第4楽章冒頭はグレゴリオ聖歌の「怒りの日」からの引用である、などの「裏読み」がかなり流布し、要は「一見体制翼賛的な音楽だけれどもショスタコーヴィチの本音はそうではなく逆に体制批判的なのだ」との見方が有力とされている。

しかし、ここでのラザレフはそういったテクストレヴェルの強調などの「読み」にまるで加担していないように思える。ここでこの指揮者は前半のグラズノフとは逆に徹底的に「表面的に」演奏している。猛烈快速テンポ、イン・テンポの維持、耳をつんざくばかりの轟音…。

繰り返すが、ここまで振り切って鳴らしまくった演奏は聴いた試しがなく震撼ものである。そして、この表面的な演奏それ自体が技術的かつ美学的に非常に高度なレヴェルで行なわれているため、その内実(があったとしての話だが)なんぞどこかへ吹き飛んでしまう。もしくは、表面的に演奏することによってその空虚さがいやでも際立つ。「この曲にもっともらしい解釈なんかしても無駄ですよ」「書いてある通りに演奏すればコケおどしに聴こえるので、それが逆に体制批判足りえているのですよ」。ラザレフがどう考えているのかはあずかり知らぬことだけれども、ともかくこの徹底ぶりはラザレフの凄さを示して余りある。ショスタコーヴィチの本音など知る由もないが、この豪演の前ではどうでもよい。

 (2018/12/15)