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フランコ・ファジョーリ & ヴェニス・バロック・オーケストラ|大河内文恵

フランコ・ファジョーリ & ヴェニス・バロック・オーケストラ

2018年11月22日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
フランコ・ファジョーリ(カウンター・テナー)
ヴェニス・バロック・オーケストラ

<曲目>
ヴィヴァルディ: シンフォニア ト長調 RV 146
ヘンデル: 歌劇『ロデリンダ、ロンバルドの王妃』より ベルタリドのアリア
    「あなたはどこにいるのか、愛しい人よ?」
ヘンデル: 歌劇『オレステ』より オレステのアリア「激しい嵐に揺さぶられても」
ヴィヴァルディ: シンフォニア ト短調 RV 156
ヘンデル: 歌劇『リナルド』より リナルドのアリア「愛しい妻よ、愛しい人よ」
    : 歌劇『リナルド』より リナルドのアリア 「風よ、暴風よ、貸したまえ」

~休憩~

ヘンデル: 歌劇『イメネーオ』より ティリントのアリア「もしも私のため息が」
    : 歌劇『忠実な羊飼い』より ミルティッロのアリア「私は胸にきらめくのを感じる」
ヴィヴァルディ: シンフォニア ハ長調 RV 717 歌劇「ジュスティーノ」より
ヘンデル: 歌劇『アリオダンテ』より アリオダンテのアリア
    「嘲るがいい、不実な女よ、情人に身を委ねて」
ジェミニアーニ: コンチェルト・グロッソ ニ短調(コレッリのヴァイオリン・ソナタ「ラ・フォリア」Op5-12による)
ヘンデル: 歌劇『セルセ』より セルセのアリア「恐ろしい地獄の残酷な復讐の女神が」

~アンコール~
ヘンデル:歌劇『アリオダンテ』より アリオダンテのアリア「暗く不吉な夜の後に」
ヴィンチ:歌劇『アルタセルセ』より Vo solcando un mar crudele
ヘンデル:歌劇『リナルド』より アルミレーナのアリア「私を泣かせてください」

 

バロック音楽を愛好する人々の間ではすっかりお馴染みとなったカウンターテナー。その中でも大人気を誇るファジョーリが初来日するということで、今年最も注目された演奏会の1つであろう。カウンターテナーと古楽器のアンサンブルに、このホールは大きすぎるのではないかという心配は、全くの杞憂であった。

今回のツアーは、日本では今年の5月に発売された、ヘンデルのアリア集のCDに収録された曲を中心に組まれている。収録曲の中から、どのアリアをどの順番で歌うのか、直前まで試行錯誤が繰り返されたらしく、当日の曲順は、事前に公表されたものとも当日配布されたものとも違っていた。

少し話が横に逸れるが、クラシックのコンサートでは事前に演奏する曲とその曲順が発表され、(当日に多少の変更があるにしても)多くの場合その通りに演奏される。一方、ポピュラー系のコンサートではどの曲をどの順番でやるかは事前には知らされず、ツアーの中でもその日によって「セット・リスト」は異なる。今回のようなCDを引っ提げてのツアーの場合、クラシックでもポピュラー方式で曲順はその場で演奏するまでわからないというのも可能性としてはアリなのではないかとも思った。

話しを戻そう。こうして練りに練られた曲順は、ヘンデルのアリアのうち、アジリタを多用する技巧的な曲と抒情的な曲とが交互になるように組まれており、アリアはすべてヘンデル作曲のものであるにもかかわらず、同じような曲が続く感じを与えないよう工夫されていた。

1曲目「あなたはどこにいるのか、愛しい人よ?」は抒情的なアリア。いわゆるアルト音域で歌われるこのアリアを聴いていて奇妙なことに気づいた。ファジョーリの声が外からではなく自分の中から聞こえてくるのだ。生理学的には耳の外から音が入ってきて、聴覚神経から脳に届いているはずなのだが、彼の声が自分の頭の中から響いてきているような、まるで脳味噌が共振しているかのような不思議な感覚があった。音域がソプラノ領域に入ると、この共振はなくなり、その代わりに足元からわーっと鳥肌が立った。こうした身体感覚による自分の反応はまったく予想外だったが、これこそライブの醍醐味といえよう。

2曲目の超絶技巧のアリア「激しい嵐に揺さぶられても」では、DVDなどで見られるファジョーリ独特の、腰を落として腕を肩の高さで軽く前に出し、少し首を前に出して歌うあのポーズがみられた。どうやらあの姿勢はアジリタを歌う際にだけ使われるものらしい。そして次々と繰り出される超絶技巧に唖然。これが生で聴けて、本当に良かった。いきなり小学生の感想文のようになってしまったが、これが偽らざるところである。

ファジョーリの凄いところの1つに音域の広さがある。ヘンデルが生きていた18世紀に活躍したカストラート(去勢した男性歌手)たちは、カストラート・アルトとカストラート・ソプラノにおおよそ分かれており、レパートリーもそれに準じていたとされている。しかしファジョーリはアルト音域もソプラノ音域も両方こなしてしまう。それどころか、バリトン紛いの低音まで聴かせる。さらには、中音域から高音域に移る切り替えがどこにあるのかわからないくらいスムーズで、アルト音域の声質のままソプラノ音域を歌ってしまう。バロック・オペラが長い間忘れられた存在であったのは、カストラートがいなくなったからだと言われてきたが、彼のようなカウンターテナーが次々と現われて以来、世界中の歌劇場でバロック・オペラが上演されるようになってきたことも肯ける。

一般に、オペラ歌手の評価基準の1つとされるのは声量であろう。バロック歌手、とくにカウンターテナーは声量が大きくないといわれるが、ファジョーリの場合、少なくともオペラシティで聴く限りでは声量が足りないと思う瞬間は一瞬たりともなかった。むしろ驚くべきは、その弱音である。思いっきりしぼった弱音ですら、ホールの一番後ろまで届く。それは、その弱音が音量は小さくとも芯のある「強い」声だからで、こういう声が出せる歌手は通常のオペラ歌手でもごくごく一握りである。喉だけでなく体躯全体を使った支えによるコントロールがおこなわれているのであろう。この弱音の凄さも音源では体験できなかったことである。

今回の来日公演は、CDで共演したイル・ポモ・ドーロではなく、ヴェニス・バロック・オーケストラとともにおこなわれた。このアンサンブルはこれまでにも来日したことがあり、イタリアものでは定評がある。実際、前半に演奏されたヴィヴァルディのシンフォニアとコンチェルトは、余所見していても弾けるくらいの余裕綽々、とくにコンチェルトの早い楽章での快速さ、緩急のつけかたの巧さはさすがであった。ヘンデルは多少不慣れなのか、リナルドの『風よ、暴風よ、貸したまえ』では、ファジョーリの素早いパッセージに最初は喰らいついていたものの、若干ついていけていない箇所が見受けられた。もっとも、機動性のあまりない楽器でここまでついていけているだけでもすごいことなのだが。

ヴェニス・バロックの本領が発揮されたのは、後半のジェミニアーニである。コレッリのヴァイオリン・ソナタに基づくこの作品は、変奏形式になっており、それぞれの楽器の名人芸が披露されるのだが、その見事さに舌を巻いた。ヴェニス・バロックで1つ残念だったことを挙げるとすれば、リュート奏者が来日メンバーの中にいなかったことである。たしかにヴィヴァルディなどはリュートがなくても成立するが、ヘンデルのアリアやとりわけレチタティーヴォの部分にはリュートの音色が欲しかったと思う。

アンコールは事前に準備された2曲に加え、客席のファンが推しうちわでリクエストしたヴィンチの超絶技巧アリアをアカペラで(!)。ヴィンチのこのオペラでファジョーリ自身が舞台を務めていて歌い慣れたアリアであるとはいえ、今回のラインナップには全く入っていない曲なのにあっさり歌ってしまうあたり、さすがである。歌い終わると、別のファンがアルタセルセでファジョーリの役柄がかぶっていた鬘を差し出し、劇中よろしく被ってみせ、後ろに投げるパフォーマンスまで披露した。このサービス精神旺盛さがファンを惹きつけるのであろう。

これだけ注目されたコンサートであったにもかかわらず、オペラシティのコンサートホールにはちらほらと空席もみられた。初来日で一般には知名度がそれほど高くなかったこともあるが、この時期、古楽関係の演奏会が多数重複していたことも無関係ではなかろう。事実、この日のコンサートを聴いて、3日後の水戸に是非駆けつけたいと思ったが、その日はすでに別のコンサートに行く予定になっており、泣く泣く諦めたのだった。古楽関係だけでもかなりの数のコンサートがおこなわれるようになった昨今、主要なコンサートだけでも重ならないように事前に調整することはできないものかと思うところである。

最後に、有料ではあったがパンフレットが非常に充実していたことも書き加えたい。このパンフレット、ロビーの片隅で静かに売っていたために、最初は気づかなかった。もう少し宣伝してもよいのではないか。パンフレットの最後に「謝辞」として招聘元がこのツアーが実現した経緯について触れている。ここでは具体名は挙げないが、日本公演が多くの熱意によって実現したことを知り、スターはファンによっても作られるのだという当たり前のことに改めて気づかされるとともに、それらの熱意に背中を押されて実現に漕ぎつけた招聘元にも感謝の意を表したい。

(2018/12/15)