エフゲニー・キーシン・ピアノ・リサイタル|谷口昭弘
2018年11月2日 横浜みなとみらいホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 藤本史昭/写真提供:横浜みなとみらいホール
<演奏>
エフゲニー・キーシン(ピアノ)
<曲目>
ショパン:夜想曲第15番 ヘ短調 op. 55-1
ショパン:夜想曲第18番 ホ長調 op. 62-2
シューマン:ピアノ・ソナタ第3番 へ短調 op. 14
(休憩)
ラフマニノフ: 10の前奏曲Op.23 から
1.嬰ヘ短調 2.変ロ長調 3.ニ短調 4.ニ長調 5.ト短調 6.変ホ長調 7.ハ短調
ラフマニノフ:13の前奏曲Op.32 から
10.ロ短調 12.嬰ト短調 13.変ニ長調
(アンコール)
シューマン:《トロイメライ》
キーシン:《ドデカフォニック・タンゴ》
ショパン:《英雄ポロネーズ》
コンサート前半、当初はベートーヴェンの《ハンマークラヴィーア》が予定されていたが、キーシン自身の要望でショパンの夜想曲2曲とブラームスの第3ソナタになった。まず夜想曲第15番は、静かな内向的性格の中に和声の妙を怪しげに聴かせるのかと思いきや、中間部では堰を切ったように攻めてきた。総体としては夜が大きな翼を広げた一時を堪能した。第18番も、まずはベースラインをしっかり響かせて進めていく。しかし左手のアルペジオが継続的に流れてくると、大きな息遣いで主旋律と、中声部の対旋律をうまく絡めていく。独白的な歌から大きなスケールの音楽へと展開していくのは15番と同じだが、どちらの曲においても、その運び方は決して人為的ではなく、楽譜からもたらされる自然な内面の欲求として聴くことができた。
シューマンのピアノ・ソナタ第3番第1楽章は、シンフォニックな立体性と、オーケストラでは成し得ない、しなやかな呼吸が同居する。様々な楽想が輝かしく提示され、歯ごたえのあるリズムに心は躍る。強靭な表現意欲を感じさせつつも、ユーモラスな面も忘れていない。
第2楽章はピアノが吠える怒涛のスケルツォ。しかし決してうるさくはない。迫力であり、勢いであり、後ろを振り返らない潔さだ。
第3楽章は、左手を慎重にならし、その上に主題を美しく提示する。声部の絡みが複雑な6/8拍子の第2変奏では、どこにあっても線的な彩りを求めていたのが印象的だった。
間をあけずに演奏された第4楽章では、左手のアルペジオが一粒一粒を聴かせるものではなく、静かな和音のうねりを生み出すものとして奏でられていた。そしてそれらは左手から右手へ、あるいはその反対方向へと受け渡され、時には混在する楽想を美しくささえる。さらに後半部分ではアンサンブルの輪が小さくなったり大きくなったり中央にぎゅっと集まったり、ピアノの函の中に鳴り響く音のサイズが自由自在に収縮拡大する。「これピアノだよね? こんなことが可能なの? ピアノでこんなことができるんだ」と驚いてばかりいた。休憩時間に入っても、その余韻が残り「すごいねえ、すごいねえ」と何度も唸ることになった。
ピアノの中で最も古典的な装いを印象づけるソナタではあるが、しかしその中身は大きく変貌していったことが分かる。ソナタ形式でさえ、様々な調の間に生み出される緊張感によって成り立つ構築物ではなく、キャラクター・ピースから派生した音色の多彩さ、威厳と優美さという性格を強調した多面的音楽なのだ。スケルツォにしても、緩徐楽章にしても、ロマンの情感を盛る器としてのソナタを堪能した。
後半のラフマニノフの前奏曲は、第1番から強く旋律線を打ち付ける音そのものに、前半との違いをはっきりと聴いた。第2番はさらにホール全体を揺さぶる圧巻の音。思考停止になってしまいそう。第3番などは、古典的な装いからラヴェルとの関連性、第4番にはショパンとの関連性を以前は感じていたように思うのだが、3番における振幅の幅の大きさ、4番における遠慮のなさに、そんな音楽史の思考は吹っ飛んでしまう。そして第5番の噛み付くピアノ、濃厚な旋律、コクのある対旋律に、やっぱりラフマニノフはムソルグスキーの伝統なのだと妙に納得する。悪魔的アルペジオの第7番、怨念を感ずる音響体としての轟音が響く第10番、つんざくような風雪を表出しつつも寂寥感を漂わせる第12番など、それぞれに圧倒されたが、最後の第13番は、ひそやかに音楽への感謝を捧げているかと思いきや、やはりピアノは弦がしなっているのではないかと思うような音。これが本場のラフマニノフというものなのか?
会場の喝采に丁寧にお辞儀するキーシンはアンコールもサービス精神旺盛だ。シューマンの《トロイメライは》は、一つ一つの音を絶妙なニュアンスとタイミングで歌っていく。当たり前のことだが、ピアノも一気にシューマンの音に変わった。そして通俗名曲によるアンコールといえども、細やかな所をごまかしはない。不協和音に富む旋律の破天荒さも楽しい自作の《ドデカフォニック・タンゴ》につづいて最後はショパンの《英雄ポロネーズ》。聴衆もこれだけ堪能すればもう満足だろう。世界を股にかけるピアニストに対しスタンディングオベーションで喜びを示した観客でホールは沸き立った。
ホールで配られたプログラム冊子の表紙に「巨匠」の文字をみつけ、キーシンも、そういった方向を期待される年齢になってきたのかと思わされた。しかし彼の演奏はみずみずしいものだったし、ピアノから引き出される響きの力強さも印象に残った。キーシンの音楽性が磨き上げられた芸術であることは間違いない。その一方で、彼の演奏に「晩年」というものが来るなんて想像もできない、というのが率直な感想だ。それほどまでに鮮烈なインパクトを与えた公演だったといえる。
(2018/12/15)