クリストフ・プレガルディエン & ミヒャエル・ゲース 2018|藤堂清
ミュージックサロン・シリーズ 2018-2019 ~室内楽を極める~ Vol.35
クリストフ・プレガルディエン & ミヒャエル・ゲース 究極のドイツ・リート
2018年11月6日 パルテノン多摩
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第23篇
クリストフ・プレガルディエン(テノール)&ミヒャエル・ゲース(ピアノ)
2018年11月9日 トッパンホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 大窪道治/写真提供:トッパンホール
♪ミュージックサロン・シリーズ Vol.35
クリストフ・プレガルディエン & ミヒャエル・ゲース 究極のドイツ・リート
<演奏>
テノール:クリストフ・プレガルディエン
ピアノ:ミヒャエル・ゲース
<曲目>
ブラームス:君の青い瞳 Op.39-8
永遠の愛 Op.43-1
野の寂しさ Op.86-2
夜に私は立ちあがり Op.32-1
墓地にて Op.105-4
マーラー:さすらう若人の歌
——————-(休憩)——————-
シューベルト:遊びにおぼれて(J.W.ゲーテ) D715
歓迎と別れ(J.W.ゲーテ) D767
夜の曲(J.マイルフォーハー) D672
別れ(J.マイルフォーハー) D475
我が心に(E.シュルツ) D860
孤独な男(K.ラッペ) D800
我が家(L.レルシュターブ) D957.5(《白鳥の歌》より)
母なる大地(F.Lストロルク) D788
月に寄す(J.W.ゲーテ) D259
休みない愛(J.W.ゲーテ) D138
別れ(L.レルシュターブ) D957.7(《白鳥の歌》より)
—————-(アンコール)—————–
シューベルト:セレナード(L.レルシュターブ) D957.4(《白鳥の歌》より)
菩提樹(ミュラー) D911.5(《冬の旅》より)
夜と夢(M.フォン・コリン) D827
♪〈歌曲(リート)の森〉~詩と音楽 Gedichte und Musik~ 第23篇
クリストフ・プレガルディエン(テノール)&ミヒャエル・ゲース(ピアノ)
<曲目>
シューマン:5つの歌曲 Op.40(詩:アンデルセン、フォリエル、訳:シャミッソー)
シューマン:リーダークライス Op.39(詩:アイヒェンドルフ)
——————-(休憩)——————-
シューマン:詩人の恋 Op.48(詩:ハイネ)
—————-(アンコール)—————–
シューマン:ミルテとばらの花を持って Op.24.9
(《リーダークライスOp.24》より)
あなたの顔は Op.127.2(《5つのリートと歌》より)
ベルシャザル Op.57
献呈 Op.25.1(《ミルテの花》より)
シューベルト:夜と夢 D827
クリストフ・プレガルディエンが盟友ミヒャエル・ゲースとともに2年ぶりに来日。
東京圏では2回のリサイタル。パルテノン多摩ではブラームス、マーラー、シューベルト、トッパンホールではオール・シューマンといった、二つの性格の異なるプログラム—-前者は歌に、後者は詩に重点—-が用意された。
リサイタルのほか、京都と東京でマスタークラスを開き、彼らの歌曲演奏の極意を若い歌手、ピアニストに伝えたという。
プレガルディエン、62歳、ゲース、65歳、二人の共演は、協演であり、競演である。シューマンを歌ったトッパンホールで、それがより強く感じられた。
作品40の二曲目〈母親の夢〉、第2節まではゆりかごに眠る子供への母の甘い気持ちを歌うが、最後の節はその子はいずれ自分たちの餌食とカラスが歌う。三節とも同じような表情で歌われていくが、最後にカラスが”Dein Engel,dein Engel wird unser sein”という部分ではプレガルディエンが少しテンポを落とし、ゲースは微妙にアクセントをつける。それによって歌の表情がガラッと変わる見事な協演。
リーダークライスの9曲目〈悲しみ〉の前奏に続く歌い出し、プレガルディエンはかなり間をとる。そのテンポでは遅すぎるとでもいうようにゲースは弾き進む。節が変わると両者は折り合いを付けていく。おそらくリハーサルのときとは異なる歌い方を試みたのだろう。ゲースが仕掛ける場合は多くはないが、彼がピアノを速く弾きだしプレガルディエンが抑えるということもある。互いに、仕掛け、仕掛けられという関係、聴く側に刺激を与えてくれる競演といえるだろう。
プレガルディエンの声自体は、2年前と較べると暗めになり、バリトン的な色合いを帯びてきている。《詩人の恋》の第7曲〈ぼくは恨みはしない〉の後半の”Herzen”の選択音、低い方を歌ったことは、今の声であれば正しいことだと思うが、彼にもこの時がきたのかという思いがした。そのようなところはあったが、ピッチのぶれない声、安定した響きは健在。
パルテノン多摩でのリサイタルは、多摩市文化振興財団の主催の「ミュージックサロン・シリーズ2018-2019 ~室内楽を極める~vol.35」の一環で行われたもの。普段は小ホールで行われているこのシリーズだが、この日は大ホールで、改修前最後のコンサートとして開催された。
幅広いレパートリーを持つプレガルディエンだが、ブラームスの歌曲を取り上げることはめずらしい。録音も少ないが、来日公演でも演奏機会はあまりなかったのではないだろうか。この日、5曲のブラームス歌曲は譜面を前に演奏された。ゲースともども、ていねいに作り上げている。
マーラーとシューベルトは互いに充分知り尽くした曲。
マーラーの《さすらう若人の歌》では、ゲースがピアノからオーケストラ版に負けない色彩とダイナミクスを生みだす。プレガルディエンは、その流れに乗り〈愛しい人が嫁いで行くと〉を歌い、〈僕は真っ赤に焼けたナイフを〉ではピアノの音に対峙する。
休憩後のシューベルトは何度も歌ってきている曲ということもあり、歌詞によってはリズムの変化を付けるといった、いつもの彼らの丁々発止のやりとりが聴けた。
今回も、プレガルディエンとゲースの歌詞が明瞭に聴こえる歌、そして言葉の変化を双方で表現する様子を楽しむことができた。ただ、これをいつまで味わえるだろうかという一抹の不安の念をおぼえたのも否定できない。彼らのことだから、違う姿をみせてくれるのかもしれないが。
(2018/12/15)