Books|ホモ・デウス 上・下|丘山万里子

ホモ・デウス 上・下

ユヴァル・ノア・ハラリ著
河出書房新社
2018年9月出版
各1900円

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

筆者、右手首靭帯損傷で2週間ギプス装着時に前編『サピエンス全史』上下から4冊一気に読んだのだが、購入するなら『ホモ・デウス』上下だけで足りよう(『全史』上巻冒頭の<歴史年表135億年前〜未来>の2ページを立ち読み、ざっくり頭に入れておけば良い)。
上巻、3千年世紀を迎えた人類の新たな課題から始まるが、『全史』の流れ(認知革命、農業革命、人類の統一、科学革命)を踏まえずとも俯瞰の眼はそこここに働いているゆえ頭はきっちり整頓できる。下の第3部<ホモ・サピエンスによる制御が不能になる>から未来図に入ってゆく。
21世紀先端テクノロジーに支配される「衝撃の未来」「人類はどこへ向かうのか?」などという帯の惹句に「どうなるんだ?」とドキドキしたものの、そんなものはハラリにだってしかとは見えない、当たり前だ、予言者ではないのだから。
つまりは彼が最後に挙げている3つの問い、これを皆さん、真剣に考えてね、と、話はそこまで、だが十分任を果たしている、と言えよう。
その3つをここに記してしまうのは、長い道中、最後にありつくご褒美を先に見せられるようなものだが、かまうことない。

1、生き物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理に過ぎないのか?
2、知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?
3、意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

この3つをめぐり、私たちの周囲で現在起きている日常の様々な事象、現象が詳細、克明(これが非常にリアルで具体的)に語られてゆくのであれば、やはり「未来」を考えるに、彼の案内に沿って丁寧に道筋をたどるのは興味深い作業であろう。

AIに仕事を奪われる、とは巷で喧しい言だがとっつきやすいその辺りを取り上げるなら、AIに置換不能な「無用にならない人々は芸術家」である、という、「芸術信仰」に生きる私たちが飛びつきたくなる説も紹介される。
が、即「芸術的な創作活動がアルゴリズムの進出を免れる理由があるかどうかは、じつに怪しい」と続き、作曲でコンピューターが人間を超えられない、という幻想に異議を唱え「生命科学によれば、芸術は何か神秘的な霊か超自然的な魂の産物ではなく、数学的パターンを認識する有機的なアルゴリズムの産物」で、「非有機的なアルゴリズムがそれを習得できない道理はない」と言う。
「芸術」の例としてここに「音楽」が提示されるのはなかなか興味深い(美術でなく音楽なのはその速攻エクスタシーをハラリも実感しているからだろう)。
カリフォルニア大学の音楽学教授が作曲コンピュータープログラムEMIで作った擬似バッハ作品がファンを欺いた話(バッハと思い感動した)。さらにベートーヴェン、ショパン、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーなど学習させ、オレゴン大学教授の作品と対決させたが、聴衆は誰もコンピューター作品を見抜けなかった、とか(よくある話)。
EMIはさらに進化、最高傑作アニーが誕生、こちらは作曲ばかりか、俳句まで吟ずるそうで、『灼熱の夜が訪れるーー人間と機械による2000句』という本も上梓した。区別がつくかどうか読んでみろ、とハラリは笑う。
筆者はバッハも芭蕉も区別できないと自覚するが。

筆者は常日頃、宗教(神の存在を信じること)とは人間だけが持ちうる妄想だ、と考えているが、7万年前の「認知革命」による人間のみの能力、すなわち想像力が「虚構」、架空の物事を語ることを可能とし、これが伝説・神話・宗教を生み出した、とあるのには深く頷く。宗教とは畢竟、人間の共同主観的想像世界であり、文化・芸術もまた同じ。
であれば、前述のAI論議の解もここにあろうかと思うが、さて、AIが「想像力」を持ちうるか否かを現況の私たち、「想像」し得ようか。アニーは人知を超えて、どんどん我が道を開拓して行くのだ。ハラリ同様、筆者も「芸術は人間の最後の砦」的「有用性」を怪しむ。

本書を読みつつ、常に感じたのは、これは「ハラリの属する世界の語り」でしかない、ということ。すなわち「デウス西洋物語」だ。どれほど突き放して語ろうと「西洋神」の存在が彼の背後にはちらつく。
翻って、私たち東洋は、世界をどう語り得ようか。無論、本書には仏教、中華思想も多少は出てくるが、皮相的扱いと筆者は思う。東西二元論など単純化は稚拙であろうがなかろうが、このように体系だった論旨を構築、歴史と世界を分析解説、世界を席巻するベストセラー「東洋物語」がなぜ東洋思想・人類史学者、あるいは仏教学者から出ないのか。
ちなみに、第9章<知能と意識の大いなる分離>に個人は宗教的な幻想以外の何物でもなくなり「生化学的アルゴリズムと電子的なアルゴリズムのメッシュとなり、明快な境界も、個人という中枢も持たなくなる」の指摘に、筆者は華厳経が描く世界の網目(全ては単一では成立せず、関係性の網目に編み込まれて存在するーー仏教の十二支縁起に由来)を想起したが、アルゴリズムだろうと縁起だろうと「網目」の景色は同じ。
ならば「縁起東洋物語」が現れたってよかろうに。いでよ、東洋のハラリ!

サピエンスは自らをアップデートし、神のような力を持つ「デウス」になる、という本書のタイトル『ホモ・デウス』からして、ハラリが西洋神の軛から逃れられないことを見届けつつ、ともあれ、 AIに奪われぬうちに(?)ちまちまとでも自らの物語を自らの言葉で紡ぐべし、と大いに刺激される書であった。
AIが膨大なデータから編纂した新たな人類史を私たちが読む日も近い。

(2018/12/15)