アントネッロのエソポのハブラス|小石かつら
2018年11月3日 兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール
Reviewed by 小石かつら(Katsura Koishi)
写真提供:兵庫県立芸術文化センター
〈演奏〉
古楽アンサンブル《アントネッロ》
〈配役〉
竹田イネス(武士の妻でキリシタン):阿部 雅子(ソプラノ)
ゴンザロ・オリヴェイラ(ポルトガル人宣教師):中嶋 克彦(テノール)
ヴィオラ・ダ・ガンバ:石川 かおり
チェンバロ/バロック・ハープ:西山 まりえ
パーカッション:濱元 智行
リコーダー/コルネット/音楽監督/企画構成:濱田芳通
〈スタッフ〉
演出:家田淳
台本:タナカ・ミオ
制作:栗原佳江
〈曲目〉
パバナス[器楽]ディエゴ・オルティス(レセルカーダ第8番に基づく)
《恋人よ、あなたを見る時》[ソプラノ&テノール]作者不詳(エルヴァシュ歌曲集)
《大いなる秘蹟ゆえ》[ソプラノ&テノール]作者不詳(サカラメンタ提要)&ホアン・デ・ウレーデ
『アリとセミ』エソポのハブラス
『ウサギとカメ』エソポのハブラス
『犬と肉』[ソプラノ]エソポのハブラス アロンソ・ムダーラ
(主が家を建てられるのでなければに基づく替え歌)
『牛とオオカミ』エソポのハブラス
《牛の世話をしてくれたら》[テノール]作者不詳(古謡)
ラス・バカス[器楽]
《緑の野原にため息をつきに来てちょうだい》[ソプラノ&テノール]作者不詳(エルヴァシュ歌曲集)
《君の町へ》[ソプラノ&テノール]作者不詳(エルヴァシュ歌曲集)
休憩
ファンタシア[器楽]アントニオ・カレイラ
《牛の世話をしてくれたら》による変奏曲[ハープ独奏]ルイス・デ・ナルバエス
『出陣の法螺貝』エソポのハブラス
《おろろんおろろん》[ソプラノ]天草の子守唄
《めでたし澄みきったワインの色》[テノール]ホアン・ポンセ
《僕のかわいいヒョウタンちゃん》[テノール]作者不詳(王宮の歌曲集)
ハカラス[器楽]
『カラスと狐』エソポのハブラス
《あなたから笑顔と元気を奪ったのは誰?》[ソプラノ]エステバン・ダサ
《ああ、美しい恋人よ》[テノール]作者不詳(古謡)
《キスして抱きしめて》[ソプラノ&テノール]作者不詳(ウプサラの歌曲集)
エソポのハブラス。
演奏会のチラシを見つけた時、疑問でいっぱいになった。「イソップ物語」に音楽?
「イソップ物語」に音楽を付けたものなのか、「イソップ物語」という新作なのか、それとも何か、新発見なのか。宣教師とイソップと音楽???
しかも、関西では初めてだが他所では既にやっている。ずるい。
演奏会に行くまでずっとわくわくする、というのは久しぶりだ。会場で席についても、プレトークが始まっても、何が始まるのか、感触がつかめない。
始まるや、別の空間へ、すうと連れて行かれた。「エソポのハブラス」は「芝居仕立ての演奏会」だった。「演奏+解説」を、まるごとお芝居にしてしまう。
ちょっと敷居の高い「古楽」のアンサンブルを、解説付きで聴くというのは、実はますます、敷居が高い。けれども、悲劇のラブストーリーを土台に、コント風の笑いを端々に交えつつ演奏を聴いていくというのは、なんとも言えない心地よさだ。物語を紡いでいくのは2人の歌手。長崎に宣教に来た「ポルトガルのユダヤ人キリスト教徒・マラーノ」という複雑な背景設定の宣教師と、キリシタン大名に仕える武士の妻である。後者は実在の人物がモデルだという。「ポルトガル人宣教師」とされる中に、「ユダヤ人キリスト教徒宣教師」が含まれるという指摘は、十分にありうる設定だ。この、「学術的に確かな感じ」は、古楽演奏という行為そのものに通じるスタンスで、聴いてみて初めて、演奏と物語の親和性の高さに納得した。
つまり、たんに「芝居仕立て」にして「聴きやすく」したのではなくて、時代も背景も、パーフェクトに追求した成果としての「演出」なのだ。日本に「イソップ物語」をもたらしたのが長崎に来た宣教師で、実際、ローマ字で印刷された『ESOPONO FABVLAS』が宣教師の日本語学習に用いられ、ほぼ同時に国字の「伊曾保物語」が広まり、長崎では日常の風景に宣教師そのものも存在した。そして、その時代の西洋音楽。こういった「同時代」としての背景を土台に、今回の企画のアプローチの仕方が、「資料を読みといて当時の演奏の在り方を追求する」ということと、「宣教師やキリシタンやイソップをめぐる演出の在り方を追求する」ということの双方において、同じスタンスで貫かれていて、地に足のついた方向性の確かさに相乗効果を実感した。
そして何より、とにもかくにも、演奏がすばらしく上手い。
バロック・ハープとチェンバロをまるで別人のように弾き分ける西山。濱元の打楽器のリズムときたら、この世のものとは思えない自由さ。この、囚われなさ。音楽そのものが純粋に持っている力に、全身全霊、素直に身を委ねる。濱田の笛。リコーダーとかコルネットとか、そういう「種類」ではなくて、口につながる笛。人間というのは、歌いたくなって、口に笛をくわえたくなって、指で何かをはじきたくなって、ちょっとこすってみたくなって、何かそこらのものを叩きたくなったんだな、と思った。そんな6人が、さまざまな組み合わせで合奏する。もちろん、研究し尽くして。
そして一番すてきだと思ったのは、「ふっ」とはみでる解釈だ。古楽だ、クラシックだ、ということに全く囚われない。既成のジャンルの枠を、けっしてスタイルを崩すことなく、「ふっ」とはみでる。その一瞬のすてきなこと。そしてこれがまた、閲覧注意の解説として語られる、通説とは異なるカッパの話と相乗効果なのだ。
始まるまでは謎に満ちて、終わってからは誰かに話したくて仕方ない。もっとあちこちで宣教されんことを。
(2018/12/15)