東京都交響楽団第864回定期演奏会Aシリーズ| 佐野旭司
2018年10月24日 東京文化会館
Reviewed by 佐野旭司 (Akitsugu Sano)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団
<演奏・出演>
大野和士 (指揮)
アウシュリネ・ストゥンディーテ (ソプラノ)
アルマス・スヴィルパ (バリトン)
東京都交響楽団 (管弦楽)
<曲目>
シュレーカー:《室内交響曲》
ツェムリンスキー:《抒情交響曲》
20世紀初頭のウィーンといえば、グスタフ・マーラーから第2次ウィーン楽派の3人へと、いわば後期ロマン派から表現主義への様式の橋渡しがなされた時代である。1909年には無調の作品が、17年には音列作法が、そして20年代初めには十二音技法がそれぞれシェーンベルクの手で生み出された。
そんな時代にあって、後期ロマン派的なスタイルにとどまりつつ新たな道を模索した、フランツ・シュレーカーとアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー。上述のいわゆる「大作曲家」たちに比べれば彼らの影はやや薄いが、先月行われた東京都交響楽団の第864回定期演奏会は、そうした2人の作曲家に着目した興味深いものであった。
演奏会はシュレーカーの《室内交響曲》で幕を開ける。1916年の作品だが、曲名の通り当時としては編成が小さい。また単一楽章で、その内部は複数の部分に区切られる。これらの特徴はシェーンベルクの《室内交響曲》第1番と共通している。しかしシュレーカーの作品ではチェレスタやハルモニウム、ピアノといった鍵盤楽器を多用し、音色的に輝かしい。
また全体を通してR.シュトラウスさながらにポリフォニックな部分が多いが、今回の演奏では、個々の声部を明瞭に聞き取ることができ、かつ大きなまとまりもうまく作り上げており、緻密さが感じられる。弱奏の部分で弦楽器と木管楽器がもう少し芯のある音を出していたら、この曲の持ち味でもある色彩的な美しさをさらに引き立たせることができただろう。
プログラム後半はツェムリンスキーの《抒情交響曲》(1922~23)。作曲時期に彼はプラハで活動していたが、曲は後期ロマン派のウィーンの作風である。7楽章からなる独唱つきの交響曲で、奇数楽章ではバリトンが、偶数楽章ではソプラノがそれぞれ歌う。マーラーの《大地の歌》を短くしたような作品で、そのオーケストレーションからは重厚さが伝わる。
本公演では、オーケストラは声部書法が複雑な部分もよく響いており、色彩豊かな特徴を引き出すことに成功したといえよう。
ソリストは両名とも、曲が進むにつれ調子が出るという印象を受けた。ソプラノは、第2楽章では歌詞の発音が不明瞭、音程が不安定といった点が目立ったが、後の部分では改善され、特に第4楽章では音色が美しいだけでなく、フレーズを見事に表現していた。
一方バリトンは、歌詞をはっきりと歌うがソプラノに比べるとやや声量に欠ける。特に第1楽章ではフォルテの部分でオーケストラに声がかき消される時もあった。しかし次第に調子が出てきたのか、荒れ狂うスケルツォ(第5楽章)では絶妙なバランスにより、オーケストラと独唱の両方が際立っていたといえる。さらに終楽章では最高のコンディションで、丁寧かつ表情豊かに歌い上げていた。
今回の作品は20世紀初頭の中で、今日では必ずしも有名ではなく、演奏の機会も少ない。筆者自身もこれまでよく聴いたことがなかったが、それでも様式的特徴や魅力がよく伝わってくる演奏であった。大野和士の指揮は見事という他ないが、こうした作品を取り上げる大野のポリシーにも拍手を送りたい。
(2018/11/15)
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佐野旭司 (Akitsugu Sano)
東京都出身。青山学院大学文学部卒業、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程および博士後期課程修了。博士(音楽学)。マーラー、シェーンベルクを中心に世紀転換期ウィーンの音楽の研究を行う。
東京藝術大学音楽学部教育研究助手、同非常勤講師を務め、オーストリア政府奨学生としてウィーンに2年留学、2018年7月帰国。