クピドのまなざし~C. モンテヴェルディの系譜をたどって~|大河内文恵

クピドのまなざし~C. モンテヴェルディの系譜をたどって~

2018年10月17日 日本福音ルーテル東京教会
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 早川礼子/写真提供:1750コンサート企画

<演奏>
村田淳子(ソプラノ)
杉田せつ子(バロック・ヴァイオリン)
北谷直樹(チェンバロ)
高本一郎(テオルボ)

<曲目>
C.モンテヴェルディ:「音楽の諧謔」より《あの高慢なまなざしは》
           「美しい歌の諧謔第4集」より
              《ああ、私は倒れてしまう》
           「美しい歌の諧謔第4集」より《私の胸の苦悩は、こんなにも甘く》
           オペラ「ポッペアの戴冠」より オッターヴィアのアリア《蔑まれた皇后》
G.A.パンドルフィ・メアッリ:「教会および室内のためのヴァイオリン独奏ソナタ 作品3」より
           《ラ・カステッラ》
B.フェッラーリ:「独唱のための様々な音楽 第3集」より 《恋する者たちよ、教えてあげましょう》
F.カヴァッリ:オペラ「ペルシア王女スタテイラ」より
           エルモジッラのアリア《メンフィス、私の祖国よ、王国よ》
作者不詳(高本一郎・編):スパニョレッタ
B.ストロッツィ:「カンタータ、アリエッタと二重唱」より 《恋するエラクレイト》

~休憩~

A.B.デッラ・チャイア:「チェンバロのためのソナタ 作品4」第5番より
           《トッカータ》《カンツォーナ》
T.メールラ:《そう信じるなんて愚か者》
作者不詳(高本一郎・編):モニカ
M.ラザール:「チェンバロとヴァイオリンの為のバレエ組曲2014」より
        《コンチェンルト パートI》《シチリア》《コンチェルト パートII》
A.チェスティ:オペラ「アルゲイア」より セリーノのアリア《開けて下さい、深き淵よ》
        オペラ「オロンテーア」より シランドラのアリア《来て、アリドーロ》

~アンコール~
J.D.ハイニヒェン:小鳥
C.モンテヴェルディ:「音楽の諧謔」より 《とても美しいお嬢さん》

 

歌姫降臨。これだけ歌える日本人歌手がいたのかと驚愕。北谷のチェンバロと高本のテオルボが伴奏という時点で、半ば成功が約束されたようなものだが、期待を大きく上回る演奏会だった。

冒頭にいきなり超絶技巧が要求されるモンテヴェルディ《あの高貴なまなざしは》。細かいアジリタを完璧にこなすだけでなく、それがまったく高度な技術に聴こえない。こうした曲では音高を正確に取ろうとすると練習曲のようになってしまう反面、音楽的なフレージングを大事にしようとすると正確さが犠牲になりやすい。そのどちらも損なわれることなく、あたかも自然に歌ってしまう。とくに、半音で下降する箇所では独特のドライブ感があり魅了された。

つづく《ああ、私は倒れてしまう》では、まるで一人芝居を観ているかのよう。3曲目では、ささやく声の艶っぽさに魂を射抜かれた。ふと、声楽家に「大きい声」を求める風潮に疑問がわく。大ホールに朗々と響き渡る声も魅力的だけれど、そこまで大きくはなくとも聴く人の心を鷲掴みにする力をもつ声もある。私たちはもっとそれに気づくべきではないのか。

モンテヴェルディの最後は「ポッペアの戴冠」から、これも難しいことでも有名なアリア。村田のイタリア語は、聞き取ろうと努力しなくても言葉が自然に耳に入ってきて、歌詞の内容がすっと心に落ちる。これは明るく楽しい歌ではなく、夫に裏切られた恨みつらみをぶちまける曲で、その苦悩が村田の歌からストレートに伝わってくる。オペラで上演するときにはチェンバロだけでなく弦楽器なども加わっているところを、本日はチェンバロとテオルボのみの伴奏だったが、村田に歌の力に負けない迫力があった。

杉田のヴァイオリン独奏によるソナタを挟んで、フェッラーリの《恋する者たちよ、教えてあげましょう》。下降音型の伴奏が特徴的なこの曲でも、下降するフレーズが秀逸。長調のような曲調の中で一瞬だけ短調にゆれる箇所は、じつに自然でかつゾクッとする魅力がある。この曲でコケティッシュさを振りまいた後、つづくカヴァッリでは一転、王女の御付きであるエルモジッラを演じ、高貴さが感じられた。

《スパニョレッタ》は作曲者不詳ながら旋律としては有名で、これを高本がうまくアレンジした。最初は元の旋律がほとんどわからないような形で始まり、次に誰にでもわかる形で提示し、変奏を加えていく。その1つ1つが洒落ていて、ふっと短調を混ぜるところなど、聴き手の心を自在に揺さぶってくる。この1曲だけでチケット代の元が取れると思えるほどの見事さ。

前半最後の《恋するエラクレイト》はテオルボのみの伴奏。恋の悲しみ、死に匹敵するほどの苦しみと痛みをせつせつと歌う。徐々に照明が落ちていって、蝋燭を吹き消し真っ暗になって終わる最後の演出にも感嘆した。

後半は北谷のチェンバロ独奏から。《トッカータ》は延々と同じ音型が続くのだが、まるで万華鏡を覗いているように、刻一刻としかも時折思いがけない方向に変化していく。音の流れに丸ごと身を任せて聴く快楽に浸った。《カンツォーナ》はフーガ風に始まるが、次々と新しい素材が出てきて、これまたイタリアの鍵盤曲らしい愉しさに満ちていた。

次のメールラ《そう信じるなんて愚か者》を聴いていたら、よく「七色の声」といった形容をするが、村田の声はいった何色あるのだろう?と思った。次々と繰り出される抽斗の多さに脱帽である。この曲は伴奏のテオルボとの相性がとてもよく、この直後に高本のテオルボ独奏(「めぐり逢う朝」の挿入曲としても有名な《若き娘》=プログラムでは《モニカ》)が続くのは非常によく考えられたプログラミングであった。

今回は基本的に17世紀のレパートリーから構成されていたのだが、ラザールの合奏曲だけが現代ものである。シンセサイザーのように聴こえるチェンバロの音が近未来的・宇宙的なものを感じさせる。硬めの音色をもつ杉田のヴァイオリンが曲調にぴったり合っており、第3音を抜いた長調とも短調ともつかない終わり方とともに、古楽器の現代的な用法の1つのありかたを示した。

最後はチェスティの2曲。ここでも下降する半音階の魅力が炸裂。アンコールでは、これまた超絶技巧で知られるハイニヒェンの「小鳥」。この曲では村田もさることながら、北谷の巧過ぎるチェンバロが冴えわたった。そして最後は、踊り出したくなるような軽快なリズムと明るい音楽の《とても美しいお嬢さん》で締めくくられた。周りの観客がみなニコニコしながら拍手している姿が印象的だった。

プログラミング、演奏ともに大満足で当日配布された冊子も充実した内容であったが、歌詞を翻訳だけでなく原語も併記してあるともっと良かったと思う。また、解説が非常に詳しいのは有難いのだが、作曲家や当時の時代背景に関する内容のみでなく、演奏される曲そのものについての説明があると聴く側の助けになったのではないだろうか。

これだけ内容の濃い演奏会が、たった1回の公演で終わってしまうのは、何とももったいない。ぜひ第2弾第3弾を期待したい。

(2018/11/15)