忘れがたいコンサート|ドイツからイタリアへ:バッハ没後250年演奏旅行|小石かつら

ドイツからイタリアへ:バッハ没後250年演奏旅行

text by 小石かつら(Katsura Koishi)

2000年。私はドイツ東部の街ライプツィヒにいた。
ピアノ実技の学生として大学院を修了し、音楽学の勉強を始めるべく約3年の計画でドイツに留学した滞在の2年目。ライプツィヒ大学にドイツ人と同様の正規の学部生として入学し、ちゃんと、部活動にも取り組んでいた。ライプツィヒ大学合唱団である。
当時のライプツィヒは、東西ドイツの再統一から10年。ようやく安定の道筋が見え始めた雰囲気だった。西側からの入学者も増えつつあり、東側出身の学生も、統一ドイツの教育を受けた年代になっていた。とはいえ外国人留学生は少なく、大学合唱団も100人の団員の内、外国人はスウェーデン人と私の合計2人だけだった。
ライプツィヒ大学合唱団は、半プロのような団体で、たとえば1999年末には、ゲヴァントハウス管弦楽団の第九演奏会に三夜連続で出演し全国放送もされたが、練習の時から給料が支払われた(楽譜も衣装も支給された)。実際レヴェルも高く、男声にはトーマス教会少年合唱団の卒業生が幾人もいたし、女声も初心者はいなかった。学生の自治という雰囲気は皆無。ライプツィヒ大学音楽監督のウンガー氏が指導にあたり、次から次へと「仕事」を持ってきた。

その一環が、4月のバッハ没後250年イタリア演奏旅行である。大型バスを3台連ねてアルプスを越えた。片道20時間近くかけて、トスカーナ地方のマッサ・マリッティマ(15日)とグロセット(16日)で「ヨハネ受難曲」を演奏する、という大旅行である。トイレ休憩のみでひたすら走り続けるという強行軍で、しかも、日本の高速バスのような3列独立シートではなく、2席ずつのぎゅうぎゅう詰めである。私は何故か、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターであるカルトオーフェン氏と席が隣だった。私が何もしゃべらなくても、カルトオーフェン氏は「こんな風にみんなで演奏旅行に行った話」を次から次へと話し続けた。旧東ドイツ時代の、なごやかでゆったりした、行き当たりばったりの話だ。途中でパンクした、汽車が動かなくなった、電話がつながらない、大雪が降った、到着が翌日になったが演奏会をやった、会場が停電した。そして、どこへ行っても大歓迎された。日本へ行った話、飲んだお酒、芸者のこと。一緒に行った仲間のこと、団員の子どもたちのこと、スロヴァキア人の奥さんのこと。私が往復30時間程聞いたのは、まぎれもなく、知られざる東ドイツ時代のゲヴァントハウス管弦楽団の実態。今思えば宝のような話だが、その頃の私は学生で、ただただ、おもしろいおじさんだなあ、よくしゃべるなあ、ちょっとくらい寝たいなあ、なんて思っていた。

道中のハイライトはアルプス越え。アルプスのあちらとこちらで空の色が変わるということは知ってはいたものの、ブレンナー峠を越えた瞬間のきらびやかな空の色、チロルのそびえ立つ山々は鮮烈だった。別世界である。但し、国境越えの度に、私のせいで足止めをくらった。日本人のパスポートチェックが異様に手間取るのだ。それでも「東ドイツ人」たちは気長で、動く車内ではできないトランプをしたり、外でキャッチボールを始めたり。ずっと進んで海辺で休憩した時。ドイツ人男子は「ワーッ」と声をあげて走り出し、そのまま海へ突っ込んで、ずぶ濡れになった。生まれて初めて海を見たのだと言う。しかも南の、イタリアの海だ。ドイツ人って、こういう人たちなんだなあ、と、しみじみ眺めた。ちなみにバスの運転手さんもドイツ人。イタリアに入るとハプニングの連続だった。道に迷う、車にぶつかる、イタリア人運転手との喧嘩・・・。

イタリア人もおもしろい。最初の訪問地マッサ・マリッティマで、リハーサルの前、どんなところで演奏するのだろうかと、ひとりで大聖堂を訪れた。空と近くて、天国に続くかのような大聖堂の入り口から中をのぞいた。中からおじさんが私に向かって歩いてくる。「今日の夜、バッハのヨハネ受難曲を演奏する学生です。ライプツィヒから来ました。」と、たどたどしく挨拶。するとおじさん。「プロテスタンティン!ノン、ノン!」と、私を追い出すのだ!カトリックとプロテスタントと音楽。そこにこんなに溝があったとは、まったく認識していなかった。今も尚、おじさんの声色までも再現できるくらい、強烈に耳に残っている。その一方で演奏会は満席。しかも、曲の最中でいちいち拍手がおこり、まるでイタリアオペラの舞台にいるようだった。

演奏会のあとは、いつも歓迎会があった。宴もたけなわになると、私たちは学生歌「ガウデアームス・イギトゥル」を大合唱した。ドイツの学生歌ではないとされ、しかも私はドイツ人ではないのに、歌えば、ドイツであることを誇りに思う感覚に満たされる。異国の地イタリアでの、ドイツ人としての一体感。歌うことでひとつになれることに感動すると同時に、戦慄のはしる怖さを実感した瞬間でもあった。

(2018/10/15)