東京二期会オペラ劇場〈三部作〉外套/修道女アンジェリカ/ジャンニ・スキッキ|藤堂清
東京二期会オペラ劇場 プッチーニ:〈三部作〉外套/修道女アンジェリカ/ジャンニ・スキッキ
デンマーク王立歌劇場とアン・デア・ウィーン劇場との共同制作
2018年9月9日 新国立劇場 オペラパレス
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<スタッフ>
指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:ダミアーノ・ミキエレット
演出補:エレオノーラ・グラヴァニョーラ
装置:パオロ・ファンティン
衣裳:カルラ・テーティ
照明:アレッサンドロ・カルレッティ
合唱指揮:冨平恭平
演出助手:菊池裕美子
舞台監督:村田健輔
公演監督:牧川修一
公演監督補:大野徹也
<キャスト>
《外套》
ミケーレ:今井俊輔
ジョルジェッタ:文屋小百合
ルイージ:芹澤佳通
フルーゴラ:小林紗季子
タルパ:北川辰彦
ティンカ:新津耕平
恋人たち:舟橋千尋
前川健生
流しの唄うたい:西岡慎介
《修道女アンジェリカ》
アンジェリカ:文屋小百合
公爵夫人:与田朝子
修道院長:小林紗季子
修道女長:石井 藍
修練女長:郷家暁子
ジェノヴィエッファ:舟橋千尋
看護係修道女:福間章子
修練女 オスミーナ:髙品綾野
労働修道女I ドルチーナ:高橋希絵
托鉢係修道女I:鈴木麻里子
托鉢係修道女II:小出理恵
労働修道女II:中川香里
《ジャンニ・スキッキ》
ジャンニ・スキッキ:今井俊輔
ラウレッタ:舟橋千尋
ツィータ:与田朝子
リヌッチョ:前川健生
ゲラルド:新津耕平
ネッラ:鈴木麻里子
ベット:原田 圭
シモーネ:北川辰彦
マルコ:小林啓倫
チェスカ:小林紗季子
スピネロッチョ:後藤春馬
公証人アマンティオ:岩田健志
ピネッリーノ:髙田智士
グッチョ:岸本 大
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
舞台も音楽も充実したすばらしい公演であった。
2012年にデンマーク王立歌劇場とアン・デア・ウィーン劇場で上演されたダミアーノ・ミキエレットの演出によるプロダクション。彼は三部作をそれぞれ単独の作品とはせず、関連性を持つ物語としている。プッチーニ自身もダンテの「神曲」の地獄篇、煉獄編、天国篇と対応させて考えており、一体の作品として上演されることを希望していた。ミキエレットはその望みに見事に応えた。
三作に共通するのは「死」とその裏返しとしての「生」、そしてさまざまに形を変え、振るわれる「暴力」。
ミケーレは亡くなった子供への思いを引きずっている。《外套》の冒頭、おもちゃの汽車を転がしたり、子供の靴を外套から大切そうに取り出し、見つめたり。妻のジョルジェッタの気持ちは、子供へ執着するミケーレから離れ、ルイージへと向かってはいるが、それは彼女自身の子供への思いを忘れたいがため。子供の靴のような小道具はその後の二作でも使われる。
ウィーンでの配役もそうだったが、《外套》のミケーレと《ジャンニ・スキッキ》のタイトルロール、《外套》のジョルジェッタと《修道女アンジェリカ》のアンジェリカ、《修道女アンジェリカ》の公爵夫人と《ジャンニ・スキッキ》のツィータといったように、異なる作品の主役クラスに同じ歌手があてられている。また、《外套》の舞台の片隅で歌っていた恋人たちは、《ジャンニ・スキッキ》ではラウレッタとリヌッチョという主役クラスを歌う。
舞台には貨物用のコンテナが並び、積み重なっている。この構造も《修道女アンジェリカ》《ジャンニ・スキッキ》で使われ、最後に元のコンテナに戻り、三作が循環する物語であることが示される。
通常の舞台設定と異なるところが大きかったのは《修道女アンジェリカ》。《外套》の最後の場面、ジョルジェッタは悲鳴をあげ、そのまま舞台に留まる。髪を切られ、囚人のような服を着せられ、アンジェリカとして舞台に立つ。大切に持っていた子供の靴も取り上げられてしまう。修道院というより刑務所、洗濯のような決まった作業をやらせられている。細かなミスでも罰を与えられる。一生そこから出ることはできない。
アンジェリカのもとに来た公爵夫人は、彼女の子供を連れてはいるが最初は会わせない。アンジェリカが公爵夫人を非難し、子供の様子を問い詰めると公爵夫人は「二年前重い病気となり、救うべく手を尽くした・・・」と言葉を切り、その場を立ち去る。「死んだのね」とアンジェリカが受け、アリア〈母もなく〉へ入っていく。彼女は薬草をのみ、幻影を見る。多くの子供があらわれるが、彼女にはどれが自分の子供かわからない。子供たちは着ている服を脱ぎ捨て、去っていく。アンジェリカは残された服をまるめて下腹部に入れ、妊娠の喜びを思うが、現実に立ち戻り、聖母を賛美する合唱の流れる中、手首を切って自死する。そこへ公爵夫人が彼女の子を連れてもどってくる。子供は倒れている母にすがるが、修道院長らに引き離される。
セリフだけからみれば無理な読み替えではない。しかし、アンジェリカに対する聖母の赦しのまったくない終わり方。
《ジャンニ・スキッキ》でも、ミキエレットの読みは冴えている。ラウレッタのアリア〈私のお父さん〉、彼女は歌いながらバッグから写真を取り出して父に見せる。それをみたジャンニは驚愕の表情を浮かべ、一転して遺言書の書き換えに関与していく。彼女が見せた写真は子宮の超音波エコーの映像。たしかに歌詞の中身よりこちらの方がインパクトが強い。亡くなった子供を思うミケーレと新たな命のために動き出すジャンニ、この二役を同じ歌手が歌うことがここでつながる。公証人の読み上げる遺言書の日付が、字幕では2018年9月1日とこの上演日の直前となっていた。現在の話でもあるのだというミキエレットの主張がうかがえるようだった。最後の場面でジャンニは、ブオーゾ・ドナーティの屋敷から舞台転換でふたたびあらわれたコンテナに、親族たちを押し込めてしまう。そして、ミケーレの外套を羽織って最後のセリフを言う。まるで、ミケーレ、アンジェリカの罪までその中に包み込み、地獄での罰を受け入れるかのように。
音楽面では、ベルトラン・ド・ビリーの細部まで彫琢されたオーケストラ・コントロールをまず挙げる。
《外套》の冒頭の抑えた響き、それが全体を通じた基調となり、強く鳴らす場面との対比が大きくなる。また、かなわぬ希望ではあるが二人で歌うフルーゴラ、タルパに対し、思いのすれちがうミケーレとジョルジェッタの会話、といった違いもくっきりと描き分けられる。
《修道女アンジェリカ》でも、アンジェリカと公爵夫人が対話というか対決する場面で、両者の思いをオーケストラが際立たせる。それをド・ビリーは実に細やかに音にしていた。
《ジャンニ・スキッキ》では、セリフを言いあう場面が多い。それぞれの遺産をめぐる思惑がぶつかりあうのだが、そのあたりの棒さばきは見事。
東京フィルハーモニー交響楽団が整った音で、彼の指揮に応えていた。
歌手は、2役、3役という人もいて、なかなか大変だっただろう。ジャンニ・スキッキの今井俊輔、アンジェリカの文屋小百合は歌も演技も充実していた。
ほとんどの歌手の演技が自然に感じられたのは、早くから来て指導にあたった演出補のエレオノーラ・グラヴァニョーラの功績だろう。
合唱には二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部の三者が入り、公演はこれらの団体の共催で行われた。
(2018/10/15)