ウィーン留学記|ザルツブルク音楽祭|蒲知代
ザルツブルク音楽祭
text & photos by 蒲知代(Tomoyo Kaba)
ウィーンで過ごす3度目の夏はとても暑かった。もちろん、日本の猛暑とは比べ物にならないが、冷房が設置されている場所が少ないため、気温が30℃を超える日はかなりしんどい。とはいえ、昨年までは扇風機がなくてもぎりぎり何とかなっていた。暑い日は数えるほどしかなかったし、気温が下がる夜に窓を開けて冷風を入れ、昼間はブラインドを下げて窓を閉め切っておけば、室温が30℃を超えることはない。しかし、今年の夏は36℃を超える猛暑日もあり、熱中症の危険を感じるほどだった。半年前に帰国した知り合いの日本人夫婦から譲り受けた大きな扇風機がなければ、夏バテで旅行どころではなかっただろう。
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ザルツブルクに行くのは2回目だった。前回は一昨年の5月のこと。イースター音楽祭があることを知らず、音楽祭の翌週に行ったが、州立劇場でロッシーニのオペラ『イタリアのトルコ人』を鑑賞した。笠のような帽子を被り大きなマスクをした、日本人と中国人の特徴を混ぜたような女性が登場すると、会場は笑いに包まれた。オーストリア人からすれば、マスクをする日本人は笑いの対象のようだ。オーストリアでは、もともとマスクをしていると奇異な目で見られるし、昨年10月からテロ対策として公共の場でのマスクの着用は禁止されている。少し気分が悪かったが、まさかのパイ投げと『タイタニック』のパロディーで笑わずにはいられなくなり、終わるころにはすっかり気に入ってしまった。
さて、今回は憧れのザルツブルク音楽祭を観に行った。他の音楽祭に比べてチケットが高額で、行くのを諦めかけていたが、私の様子を見に旅行に来た叔父夫婦に連れて行ってもらえることになった為である。叔父から連絡があったのは6月で、しかも先に日程が決まっていたが、8月6日の21時から祝祭劇場の大ホールで行われるウィーン・フィルのコンサートのチケットを購入することができた。指揮者は、2008年からイギリスのフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者を務めるエサ=ペッカ・サロネン。ウィーンの楽友協会でウィーン・フィルの演奏会を聴く機会は今までに何度もあったが、サロネンのコンサートは初めてだった。曲目はリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』、ルチアーノ・ベリオの『メゾソプラノとオーケストラのためのフォーク・ソングズ』、バルトークの『中国の不思議な役人』。まず知っている曲とはいえ、『ツァラトゥストラ』の導入部から、迫って来る音の群れに圧倒された。そして3曲全体を通して、最初から最後まで、物語を聴いているかのような面白さがあり、存分に楽しめた。2曲目のメゾソプラノのマリアンヌ・クレバッサの歌声は、ずっと聴いていたいほど聴き心地が良かったし、サロネンの激しく情熱的な体の動きを2階席から見ながら思った。指揮者も、演奏者も、歌手も、俳優も、スタッフも、観客も、全力投球しているからこそ、ザルツルブルク音楽祭の歴史は続いているのだろう、と。
サロネンのコンサートが始まる4時間前に、私はバロック様式の大聖堂の前の広場で『イェーダーマン』を観ていた。そもそもザルツブルク音楽祭は、オーストリアの作家フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(1874-1929)、作曲家リヒャルト・シュトラウス、演出家マックス・ラインハルトらが、1920年に道徳劇『イェーダーマン』(ホーフマンスタール翻案・ラインハルト演出)の野外上演で始めた音楽と演劇の祭典である。そのため、『イェーダーマン』は人気の演目で3月の時点で完売していたが、公演5日前の朝に音楽祭のサイトを確認したら、チケットが出戻っていて、奇跡的に買うことができた。(なお、野外公演のため、悪天候時は祝祭劇場の大ホールで上演されるが、大聖堂前の特設ステージで上演される場合のみ、上演1時間前から10ユーロの立ち見券が200枚販売される。チケットは、大聖堂広場の入口付近のフランツィスカーナーガッセに設置された灰色の仮設のボックスで売られ、3時間前に並んでいる人も数人いたが、立ち見があまり知られていないからか、私が行った日は40分前でもチケットは残っていた。)
この作品は、「イェーダーマン」(ドイツ語で「万人」の意)という名前の金持ちの男が主人公である。或る日突然、死神から死を宣告され道連れを探すが、親友からも恋人からも二人の従弟からも断られた挙句、今まで自分の意のままになった「富」からさえも見放される。しかし、(病気の女性の姿をした)「善行」が登場し、イェーダーマンを改心させ、「信仰」とともに「悪魔」を追い払う。『イェーダーマン』は野外公演のため雨のリスクが高いが、1920年の音楽祭初日は上演中に雲間から太陽の光が射し出し、夕日が沈むころ、イェーダーマンは自分の運命を受け入れて死出の旅へと向かったそうだ。
だが、私が鑑賞した日は快晴だった。上演前に、観客の老婦人が恐らく熱中症で担架に乗せられて運ばれて行くのを見た。確かに、とても暑かったし、日差しもきつかった。私は帽子を被っていたので良かったが、公演中に隣の年配の男性の顔が真っ赤で倒れそうだったし、手に持っている水が僅かになり、途中でしんどそうな顔をして俯いたままになったので気が気でなかった。私は扇子で扇いでいたのだが、隣の男性にも風が行くように大きめに扇いだ。演劇鑑賞ではなく、真夏の野球観戦だった。
とはいえ、不憫だったのは俳優である。観客は太陽に背を向ける形で座っていたが、俳優は太陽に向かって演技しなければならなかった。今年の『イェーダーマン』は、昨年新制作初演された舞台の再演で、オーストリア人のミヒャエル・シュトゥルミンガーによる演出だった。今回の演出では、「自立した強い女性像」という新たな解釈が取り入れられていたが、主役の恋人役を演じた新進気鋭の女優シュテファニー・ラインスペルガーはいつもながらの迫力ある演技で魅せていた。また、全身に刺青のボディペイントを施し、男性とも女性とも判別できない姿で死神を演じたペーター・ローマイヤーは、ピンマイクでおどろおどろしい声を反響させ、背筋が凍るような雰囲気を漂わせ続けた。
上演時間は95分だったが、特に主役を務めたトビアス・モレッティの体への負担は大きかったように思われる。因果関係は不明だが、モレッティは肺炎のため、8月6日の公演の後の5公演をキャンセルした。代役はフィリップ・ホフマイヤーが務め、モレッティは8月19日の公演で復帰し、残りの2公演も主演した。
そういえば、日本とオーストリアでは、病気に対する考え方が大きく違っている。病気で仕事を休まなければならなくなった場合、日本人は自己管理不行き届きと言わんばかりに謝罪する。他方、こちらの人は、「病気だから仕方ない」と堂々と宣言する。実際、オーストリア人のタンデムパートナー(定期的に会って、主に会話をしながら、互いの母国語を教え合う相手)に自分の雑感を話したところ、正しくその通りだと言われた。日本人のように、病気になったのは自分の不摂生のせいだと考えたりはしない、と。人間なのだから、病気になることは当たり前。病気のときは無理せず休める世の中になることを願うばかりである。
(2018/10/15)
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蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科修士課程を経て、現在は京都大学及びウィーン大学の博士後期課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ文学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。