音楽との出会い|ギーゼキングの LP|片桐文子
ギーゼキングの LP
text by 片桐文子(Fumiko Katagiri)
子供の頃の、音楽にまつわる思い出…… 真っ先に思い浮かぶのが、ギーゼキングのLPである。美しい紫のジャケット。シューベルトだった。よく聴いた。母が好きで買ったものだ。
我が家は父も母も教員で、二人とも学ぶことに貪欲だった。「家は借りて住め、本は買って読め」。今や死語のこんな言葉を、二人とも、ごくあたりまえのように呟いていたのだからすごい。母は戦後間もなく音大でピアノを学んだ音楽の教員。父は数学だったが絵を描きたくて描きたくて、50過ぎにリタイア、画家となった。父のアトリエの片隅が私の遊び場で、100号の大きなキャンバスと取っ組み合う(まさにそんな感じ)父が無言で、何度もなんども、キャンバスに筆を走らせては数メートル後ろに下がって筆致を確かめ、またキャンバスに戻って、大きな音を立てて絵の具を削り…… 時には夜を徹して響くその物音が、私にとっては胸が締めつけられるほど懐かしく、心地よい音楽だった(隣にあるピアノ室は、練習のための「監禁部屋」のようなもので、できれば行きたくなかった)。
優雅に見えるが、決して裕福ではなく、とにかく両親とも忙しくて、LPにしろラジオにしろ、音楽をゆったり聴いている姿など記憶にない。子供たちも、おおむね、ほっぽらかしで育った。音楽の教育番組を見る習慣もなかったし、コンサートなんて、とてもとても。唯一、記憶に残っているのは、母がリヒテルの演奏会に連れていってくれたこと。たぶん、1979年の来日で、演目はシューベルトだったかもしれない。緊張感ただよう会場の雰囲気は覚えているが、演奏はまったく記憶になく(だめだなぁ…)、それよりも、子供心に「お母さん、よほど行きたいんだな」と驚いたことのほうが、記憶に鮮やかである。
NHKの《みんなのうた》が好きで、毎月、楽譜を買ってもらって一人で弾き歌い。英語教室のラボ・パーティで、英語の音楽劇をするのが楽しみ。子供時代の音楽体験といえば、こんなものである。まことに凡庸。たとえば、ラジオで聴いた巨匠のチケットを徹夜で並んで手に入れて……なんていうエピソードは皆無である。そんな人間が今も音楽の仕事を続けていて、コンサートのレビューなど書いているとは申し訳ないような次第である。
けれど、両親のあの情熱、芸術・芸術家への憧れと尊敬、あの高みを仰ぎ見ながら自分も生涯学びつづけるのだ、という姿勢。それを無意識のうちに心に刻みこまれたことは、まことに幸福なことだったとしみじみ思う。たぶん私も、死ぬまで音楽を聴き、下手なピアノを弾き続けるだろう。果てしなく遠い憧憬を胸に抱きながら……。
(2018/10/15)