ボンクリ・フェス2018 スペシャル・コンサート|谷口昭弘
2018年9月24日 東京芸術劇場
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by Hikaru.☆/写真提供:東京芸術劇場
<曲目>
作者不詳:《ハナクパチャプ》
オリヴィエ・メシアン:《おお、聖なる饗宴》
ペーテル・エトヴェシュ:バス・ティンパーノのための《雷鳴》
アルヴィン・ルシエ:《Sizzles》
クロード・ヴィヴィエ:《神々の島》
大友良英:オーケストラみらい(世界初演)
坂本龍一:《Cantus Omnibus Unus》
《Cantus Omnibus Unus》ライブ・リミックス
藤倉大:チェロ協奏曲(アンサンブル・ヴァージョン/日本初演)
<出演者>
アンサンブル・ノマド(指揮:佐藤紀雄)
東京混声合唱団
カティンカ・クライン(チェロ)
ヤン・バング(エレクトロニクス)
エリック・オノレ(エレクトロニクス)
アイヴィン・オールセット(ギター)
ニルス・ペッター・モルヴェル(トランペット)
イサオ・ナカムラ(パーカッション)
大友良英
藤倉大(エレクトロニクス)
サウンドデザイン:永見竜生[Nagie]
大きなコンサート・ホールでの催し物にも関わらず不思議とアットホームで、現代音楽を扱っているのに、何も歴史的なものを背負っていない感覚を覚えるコンサートだ。「いま・ここ」であることは間違いないが、どこかしら、ふんわりとしている。客席をぱっと見回した感じ、いわゆる「ゲンダイオンガク」の聴衆とは違うのだろうか、あるいは…という疑問を持った。
コンサート冒頭から作者不詳の作品というのも、作家性が強く出る現代音楽路線とは違う感覚。プリミティブな路線の新曲なのか、民族音楽なのか、あるいはそうではないのか。とにかく舞台上を歩む儀式的な動作に伴い、モノフォニーからハーモニーへの展開を東混の合唱で堪能した。メシアンの《おお、聖なる饗宴》は円陣を組んで、その内側に声をぶつけるような形での演奏だった。分厚い声の幕がステージ真ん中に出現し、コンサート・ホールの上へと向かっていく。丁寧に生み出されるその声は、前を向いて歌わないことにより、凄みを伴って客席に届く。さらに言葉や声域に従って、声の幕の様態も微妙に移り変わっていく。ゴシック教会の礼拝堂における声を疑似体験した気分だ。
エトヴェシュの《雷鳴》は、ペダルの細やかな足使いにより生み出される膜の張力の変化により、ティンパニーがアフリカのトーキング・ドラムのような音の戯れをしているようだった。イサオ・ナカムラはやがてリムや楽器のボディを叩いたり、ブラシを使ったり手のひらで叩いたり。しまいには指を湿らせてこする、楽器を共鳴体に見立てて叫ぶなど、心を自由に解放していくような音楽であるとともに、さまざまな音が楽器の内外で反響し、乱反射する様が興味深い。
ルシエ作品はオルガンを鳴らし、ドラムの皮を共鳴させる作品。皮の上には豆が撒かれ、振動によって動き回る。そして4つの様々な大きさのドラムのそばに人が立ち、振動するごとに手を上げる。あれをルシエが見てどう思うのか(彼の本来の意図とどのくらい離れているのか)、あるいは視覚的な面白さによって耳を澄ます行為がお留守になってしまっていないかなど、自問しつつも視覚的には面白く、適度な長さで楽しめた。豆が動き回る音はFMラジオ放送を聴いていて近所を車が通った時に入るノイズのような音、といえばいいだろうか。どれくらいオルガン作品として聴けばいいのか分からないが、空気を揺るがす重低音など普段のコンサートではなかなか聴けない音が多く飛び出した。貴重な体験だった。
アーティスティック・ディレクターの藤倉大氏による会場における説明によれば、ヴィヴィエの《神々の島》は音符とリズムは確定され即興的な要素はないものの編成は自由ということだった。アンサンブル・ノマドが今回選んだ音色はトイピアノだったりバンジョーだったり、インドネシアの竹の楽器アンクルンやガムランだったためか、架空の民族音楽と西洋の出会いという印象を受けた。民族楽器でなくともトイピアノとバンジョーの組み合わせは、これまでに聴いたことのないようなきらびやかな音色を聴かせていた。反復音型を随所に交えつつ、ゆったりとした時の移ろいから神秘的な世界が生まれ、最後はペロッグ音階による東南アジア色が明確になった。
後半はまず大友良英の新作。指で数字を示しつつキューを出す進行は手慣れたもの。サインを送りながら進めていく様は、さながら野球の監督のようだ。特定の反復パターンに則った音型があちこちから聞こえてきた。
坂本龍一の《Cantus Omnibus Unus》は静かに、叫ぶことなく、淡々と少ない歌詞を紡いでいく。豊かに響くハーモニーとユニゾンの一体感が美しい。
この坂本作品をライブ・リミックスが続く。柔らかなトランペットがエコーし、全体はゆっくりとドローンの上に展開する。時折素材となったコーラスが混ざるものの、あまり大々的には使われていなかったようだ。
最後は藤倉大のチェロ協奏曲。冒頭はアンサンブルの軋む高音域とこすれあうチェロの音、テンポ・アップすると、リズミカルに飛び回るチェロに、やはり高域で絡みつくバック。レチタティーヴォ的展開。アンサンブルは、その後もチェロと細かく関わっていく。まるでチェロの延長線上に他の楽器が存在するかのように。独奏楽器を音域的に上方に延長したり、楽想を音色的に拡張したり。両者は対峙する存在ではなく、共同体的存在というべきか。集中力を要する一方で、ゆるく合わせて交わっているようにも聴こえた。
この日はホールでのコンサートの他にアトリウム・コンサート、ワークショップ・コンサートなどもあり、作曲家と聴衆との関わりの多様性にも目が向けられていたようだった。残念ながら筆者はスペシャル・コンサート以外には参加していないが、このコンサート自体は「現代音楽」というよりは「音楽の現在」を楽しく体験できる公演だったといえる。聴衆が自然に巻き込まれていく雰囲気にも好感を持った。
(2018/10/15)