Books|武満徹の電子音楽|齋藤俊夫

武満徹の電子音楽

川崎弘二著
アルテスパブリッシング
2018年7月出版
12000円(税別)

text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)

全1160頁(本編1051頁、索引など100頁以上)本編は全2段組という、辞書や事典並みの物量にまず気圧される。しかも決していたずらに字数だけが多い書籍ではない。著者が調査の上に調査を重ねて得た研究成果をギュッと絞りつつ全てを出し尽くしてのこの量なのである。

本書の第一のテーマ、すなわち武満徹が電子的操作を使って作曲した音楽――それには彼が書いた数多くのラジオ音楽、テレビ音楽、そして映画音楽も含まれる――についての著者の研究は驚くべき綿密さをもって、しかもあらん限りの広範囲の調査に基づいて行われている。
例えば、1955年の武満徹初のミュージック・コンクレート作品『ルリエフ・スタティク』についての著者の記述は、『ルリエフ・スタティク』で始まるのではない。この作品の元となった「ラジオ・ファンタジー『炎』」というラジオドラマについての調査・研究からさらに遡り、このラジオドラマが放送されるに至るまでの日本ラジオ放送史がなんと1921年から語られ、調査対象は戦前の新聞や雑誌にまで至るのだ。
「ラジオ・ファンタジー『炎』」と『ルリエフ・スタティク』そのものについての研究もまた詳細を究める。登場するメロディの周波数と倍音を機械的に測定・検討し(*)、作品全体のスペクトログラム解析によって両作品を比較したうえで『炎』から『ルリエフ・スタティク』がどのように再構成されたかを解明する。
その際に参照される録音媒体の調査も怠らない。既存の「武満徹全集」とLPレコードの録音を比較し、「全集」とレコードでの10秒、約2.4%のズレの存在にまで言及する。
このように本書中約20頁の『ルリエフ・スタティク』研究の中だけでも音楽文化史研究、楽譜というものを使わない楽曲分析研究、資料研究が含まれているのである。この研究方針は全編に渡って揺らぐことがなく、少しの手抜きもない。

また、本書は武満の「電子音楽」の研究書であると同時に、武満の著作・発言・行動についての客観的調査の集積でもあり、日本現代音楽史の第一級の研究書でもある。
1958年に(言わずと知れた安倍晋三現首相の祖父である)岸信介内閣に抗議するために「若い日本の会」が結成され(ここに石原慎太郎や曽野綾子の名前も並んでいるのはもはや皮肉ですらない)、1960年には日米安全保障条約改定に抗議する「民主主義を守る音楽家の会」が設立される、その経緯と武満を含むメンバー各々の発言、そして武満がやがて安保闘争から離れていく様を詳細に記した部分など、歴史研究とはかくあるべしと思わされる。
歴史研究や伝記にありがちなのは、研究者・著者が意図的に、あるいは無意識的に事実を「見落とす」ことであるが、本書は武満の発言を調べ尽くすことによってそれを避け得ている。
1973年に高橋悠治が中心となって発刊した雑誌『トランソニック』の、1975年6月号「音楽の政治参加」特集から、高橋と武満の間の「音楽と政治」観の相違により論争が生じ、武満がトランソニックを去ることになったことは(少なくとも評者には)有名な事実であるが、1976年11月16日頃の対談(『ハミング』3巻1号(1977年1月)収録)において「彼らは双方の発言を認め合って和解していたように思える」発言をし、しかしさらに1976年12月4日の讀賣新聞夕刊で高橋が「限りなく貧しい音楽文化 虚構支配する作曲界」という文章を寄稿している(これが武満を批判したものかどうかは明示されていないが)ことなど、よくぞ調べ上げてくれたものである。

玄人裸足というより、玄人研究者ならばもっと打算をはたらかせて、いくつもの研究論文に分けて成果を水増しするのではないだろうか。在野の人間だからこその純粋な熱意と探究心がこの書物を成り立たしめたのである。武満徹、日本現代音楽史研究の偉大なる成果であり、この分野において今後第一に参照されるべき書物がここに誕生したのだ。

(*)ただし、この部分の分析に誤りがあることは以下のWebページで確認されたい。
https://artespublishing.com/news/takemitsu_eratta/

(2018/10/15)